Mission-04 天嶮の回廊


 白銀に覆われた標高7000m級の山々が地平の彼方まで連なる、ロージアン王国有数の山岳地帯、ハイラテラ山脈。

 北のノヴォロミネ連邦との間に横たわった天然の要害は、幾度も繰り返された戦役の中で、あまりの過酷さに突破を行おうと試みることすら行われなかった。ある種の聖域とも言えるだろう。

 神が巨大な岩石を乱雑に砕き、わざと尖った部分ばかりを天に向ける様に配置したかのような山々は、今日に至るまで地上を這いずる生命体の侵入を頑なに拒み続けている。

 しかしそんな霊峰達であっても、自らと天の間に満ちた領域については関心を持たないようだった。

 何処までも透き通る青をたたえ、所在なさげに白が揺蕩たゆたう高度30000フィートの世界。積雲と青空のコントラストが作り出す神々しいまでの領域に、騒々しいジェットノイズが無作法に響き渡っている。

 霊峰に流れる風を塗りつぶす轟音の方では、自然が作り出した蒼穹のキャンバスが、十数条の白線――飛行機雲によって切り裂かれていた。

 イルカを連想させる大振りな機首下部には、凶悪なシャークマウス。苦い経験を糧に追加装備された口径20㎜のガトリング式機関砲の牙を、目前に迫るであろう獲物に突き立てようとするかのように大口を開けている。途中で上方に折れ曲がった主翼の下には、出番を待つ白い槍。腹の下に抱え込んだ2発のJ79ターボジェットエンジンが、戦闘機としては大柄な機体を約500ktで巡航させている。

 天嶮を眼下に、凍てつく高みを駆ける鉄騎の名はF-4E ファントムⅡ。

 亡霊を意味する大型艦上戦闘機の垂直尾翼には、紫の火炎を吐き出す三つ首の竜が描かれていた。

 F-4Eを駆る彼らは【エントランス】第332戦術戦闘飛行隊『ズメイ』。主に制空戦闘を担当するヴァルチャーであり、名機とはいえ、やや型遅れの感は否めないF-4Eを、自在に操って見せる実力者集団だ。渡りをする鴈の群れの様に、一切ブレることのないV字編隊を組みながら、一路北を目指している。

 地方によっては悪竜とも守護竜とも言い伝えられる怪物の名を冠した部隊に、後方から追いすがる白条があった。


『ズメイ8より隊長、後方から接近する機影在り。数1、機種は――Mig-21』

『確認した。予定通りだな』

『ミグ野郎のお出ましだ』


 失笑と揶揄い、一握りの不審が混じった冷やかしを聞きながら、ズメイ隊の後方から接近するMig-21-93の搭乗者ウィザード――レーヴァンが通信回線を開く。


「こちらグラム1。ズメイ・リーダー、聞こえるか? 」

『よく聞こえる。迷子にならずにすんだようだな』

「ナビが優秀だったからな。それに、いきなり遅刻じゃ格好がつかない」


 軽口を交わしながら、編隊を組んだズメイ隊の真横に遷移する。居並ぶ機体の数は12機、ヴァルチャーの中では中々の大所帯に分類される。


『グラム1。事前の取り決め通り、こちらからカバーは出せない。その代わりに、好き勝手動いていいが、落ちるなら俺らの見ていないところで頼む』


 それなり以上に場数を踏んだ傭兵の本音混じりの忠告に、思わずマスクの下で苦笑いを浮かべる。こちらが単独なのは自業自得の部類とはいえ、それを気にする程度には面倒見が良いらしい。そうでなくては、荒くれ者のヴァルチャーを飛行中隊規模で統率出来ないのだろう。

 後方をカバーする味方が居ないのはいつもの事。いや、今日は少し違うか。

 噂をせずとも無線のコール音、発信元は隣では無く、遥か後方の空飛ぶ巨神だ。


『こちらグラム2、ノルンだ。レーヴァン、聞こえるか? 』

「良く聞こえる、感度良好だ。こちらの姿は見えているか? 」

『群れからハブられたイワシが良く見えるよ』


 グラム2ことノルンの揶揄いを含んだ声がレシーバーから響く。

 彼女は今【エントランス】の管制室から指示を飛ばしている。今頃ノルンの目の前には、早期警戒管制機AWACSや自機のレーダー画面、そして自機を中心とする周辺の空間がそっくり切り取られたかのような画像が並列して映し出されている事だろう。

 要するに、神の視点で自分を見下ろしていると言い換えて良い。


『さて、出発前にも軽く話したが、やることは単純だ。【エントランス】に攻撃を仕掛けようと進撃する敵爆撃機を、護衛機ごと叩き潰せばいい。開店早々緊急発進スクランブルで一苦労だが、その分の報酬は上乗せ、さらに撃破報酬も出る。稼ぎ時だ』


 口調とは裏腹に、ノルンの声には若干の堅さが残っていた。

 もともと今回の出撃は、一度目の出撃と言うことで楽な任務を探そうとした矢先に舞い込んで来た凶報が発端だった。

 連日の攻撃に晒されているリスタ川南岸防御陣地への航空支援の為に、【エントランス】から多くのヴァルチャーが出撃している留守を狙った襲撃。相手は考えるまでも無く、連邦に雇われている同業者【メチニク】、もしくは再建なったらしい連邦空軍。

 確認された敵の攻撃隊は大型の戦略爆撃機を中心としていた。

 仰々しい布陣であるが、巨大であるとはいえ航空機のカテゴリに含まれるジャガーノートに対し、戦略爆撃機を攻撃に使用する事は珍しくなかった。

 そもそも、ジャガーノートはどれほどエンジンに負荷をかけたとしても250ktにすら届かない鈍足であり、旋回にも信じられないほどの時間がかかる。機動性は皆無と言ってよい。

 超重巡航空中管制航空母艦などと仰々しい名で呼ばれることもあるが、その実体は浮遊飛行場と呼ぶ方が適切であった。

 幾らかの例外はあるが、軽快な攻撃機が搭載可能な爆弾には限りがある。

 ジャガーノートの撃沈、もしくは攻撃隊に幾らかの損害を受けたとしても、それを上回る損害を与えられる状況であれば、今回の様に重爆撃機に白羽の矢が立つことがあった。

 この事態に対し【エントランス】はリスタ川方面に派遣した制空隊を呼び戻すと共に、敵の針路付近を哨戒中の全機を直ちに迎撃に差し向ける。勿論、休養等で艦内に残っていた部隊も、防空戦闘に投入する事が決定された。

 そうやって不幸にも叩き起こされ、説明もそこそこに空に放り出されたのが、こうしてハイラテラ山脈上空を北進するズメイ隊とグラム隊と言う訳だった。

 彼らの役割は哨戒機の防御ラインを突破した敵に対する邀撃、ないし足止め。ここで時間を稼いでいる内に、リスタ川から急行した出撃組が【エントランス】に戻り最終防衛ラインを形成する手はずとなっている。

 ただし、現状の味方と本丸の位置関係を鑑みれば、最終防衛ラインが完全に間に合う望みは薄いと言わざるを得なかったが。


『先ほども言ったが、弾はともかくミサイルはぶら下がっている分だけだ。出し惜しみして落とされるほど馬鹿では無いと信じたいが、よく考えて使え』

「了解。まあ、F-14Dのシリウス隊や、他の隊が幾らか削っているだろうし、何とかなるだろう。もしかしたら全機撃墜だったりしてな」

『それは楽でいい――連中が真面に当たるAIM-54フェニックスを買えていればの話だが』


 全く信用していないノルンの返答に、邪悪な笑みを浮かべた赤金の少女の姿が一瞬脳裏を過る。

 ただでさえ高級なミサイルの中でも、輪をかけて特上品と名高い長射程空対空ミサイル。ヴァルチャーが仕入れられそうな値段になる様な代物、と考えると彼女の言う様に希望的観測の様な気がしてきた。

 嫌な予感が湧き上がった直後、いつも通り不機嫌そうな墓守の声が届く。


『グレイヴ・キーパーよりズメイ隊及びグラム隊。シリウス隊等の攻撃は残念ながら不十分に終わった。仕事の時間だ、ハゲワシ共。方位0-1-0、高度31000、交戦を許可する』


『どうせそんなこったろうと思ったよ』とズメイ隊の誰かのボヤキを聞きつつレーダーを確認。グレイヴ・キーパーの言葉通り、方位0-1-0に大小の輝点の群れ。小さな護衛機が前に出て、後方の爆撃機を守る格好だ。

 本命の爆撃機を十分に落とす為には、まず護衛機を叩き落とさなくてはならない。

 ズメイ隊の12機が空戦の邪魔となる増槽を切り離す。回転しながら後方へと消えていく増槽を後目に、方位0-1-0へ向けて針路を修正しつつ加速上昇。対面攻撃ヘッド・オン体勢。こちらも増槽を投棄し、操縦桿を引いて後に続く。


『レーヴァン、シリウスの連中によると、敵の主な護衛機はMig-23MLフロッガーG。エンジン出力はドライ推力でも1.5倍近い、単純な力比べだけはするな』


 Mig-23――Mig-21の欠点を補い、同時に短距離離着陸性能も重視したWTO東側の戦闘機。当時のトレンドであった可変後退翼を取り入れ、大柄な機体に似合わず機動性は其れなりに高い。

 中でもNATO関係者からフロッガーGと呼ばれるMig-23MLは後期型に分類され、機体本体の軽量化や主翼の改良により飛行性能を更に向上させた型だ。火器管制システムにも手が加えられ、より遠距離から、より正確に獲物を狙い打つことが可能になっている。

 純粋な戦闘能力ならば、Mig-21にとっては少々分が悪い相手といえる。

 相対する敵機の基本情報をザっと確認しつつ、マスターアーム・スイッチをON。直後、ヘルメットにレーダー照射を知らせる警報音が響き始める。同時に此方もレーダー照射、HUD上をシーカーが滑り、こちらを狙う彼方の敵へと狙いをつけ始める。


『おいでなすった。野郎ども、ビビッて山肌に突っ込むんじゃねぇぞ!――ズメイ1、エンゲージ! FOX1!』


 ズメイ隊の12機が次々に交戦エンゲージを宣言し、直後に翼下が白煙に包まれ、セミアクティブレーダー誘導の中距離空対空ミサイルが解き放たれる。積雲の間を引き裂くように、10条を超える白煙の槍が虚空へ向けて我先にと駆けだしていく。


「グラム1、エンゲージ――FOX1」


 レーヴァンも、ロックオンを知らせる連続音と同時にミサイルレリーズを押し込む。

 翼下から切り離された中距離ミサイルが、僅かな自由落下の後にロケットモーターに点火。自機の発する火器管制レーダーが指し示す目標を貫かんと加速する。

 入れ替わるように、神経を逆撫でするミサイル接近警報と火器管制レーダー照射警報が、ヘルメットの中でどんちゃん騒ぎを始めた。


『敵機ミサイル発射! 正面!』


 ノルンの鋭い声を聴きながら、レーダーを確認。真正面から1発、まっすぐ突き進んでくるが、母機の群れに動きは見られない。

 スロットルを絞り、エアブレーキを展開。ハーネスを肩に食い込ませながら急減速。

 敵が放ったミサイルは、恐らくこちらと同じセミアクティブレーダー誘導。

 ミサイルを発射した母機が、目標にレーダーを照射し続けることで誘導されるタイプだ。つまり撃った方は、敵か自分が落ちるか、攻撃自体を諦めるまでは目標に機首を向け続ける必要があり、派手に動くことができない。

 その結果生じるのは、命がけのチキンレース。

 回避を優先するか、攻撃を優先するか。先に回避機動を取れば敵に対して主導権を明け渡すことになるが、ミサイルの回避に集中できる。

 グラム1の減速により前方へ飛び出す格好になったズメイ隊が、攻撃を諦め次々とブレイク。大柄なファントムがその巨大な翼を翻し、前方から迫りくる超音速の槍を躱しにかかる。レーダーの敵の光点もほぼ同時期に、ただ1急速に陣形を崩し、回避機動。


『ミサイル着弾まで2、1――』


 ノルンのカウントがゼロを刻むと同時に、バレルロール。例外の1機――動かないグラム1を狙い続けていた1機が、避ける間もなく真正面からミサイルを喰らい派手に弾け飛んだ。

 天地逆転した視界の中、彼方の空に紅蓮に縁どられた黒煙の華が開き、一拍遅れて道案内を失った敵のミサイルが頭上と山脈の隙間を掠め飛んでいく。


《アクーラ3がやられたぞ!?》

『グッキル! ――っておい、誰のミサイルだ?』

『ミグ野郎だ! アイツ、減速して距離を稼ぎやがった!』

『クソ度胸は認めるぜミグ野郎!』


 呆れ混じりの賞賛の声を聴きながら機体を水平に戻し増速。失った速度を回復させつつ乱戦に持ち込まれつつある戦場へと突き進む。しかし、早々に1機を葬った自分に危機感を抱いたのか、たちまち火器管制レーダー照射警報が怨嗟の声の様に鳴り響いた。


《ミグ乗りの【エントランス】機とはな》


 続いてミサイル接近警報。もう先ほどのペテンは使えない上、乱戦で誰からのレーダー照射を受けているのか分かりづらい。アフターバーナー点火、小柄な機体が弾かれたように加速する。


『1時方向ミサイル接近、数は2! 降下して躱せ!』


 タイミングを計って一気に操縦桿を前へ、マイナスG旋回。血が頭に上り、赤く染まる視界が切り立った山々を映し出す。

 ミサイルの接近をがなり立てる警報を務めて無視し、スロットルはそのままに急降下パワーダイブ。大口を開けたエアインテークが高空の冷たい空気を貪って推力に変換し、切り裂かれた大気がキャノピーを震わせる。

 頭上から針路を修正しつつミサイルが迫るが、振り下ろされる白い槍が自らを貫く前に交差予定点を通過、回避成功。狙いを外されたミサイルが斜面を抉り、降り積もった雪を黒煙と共に飛沫に変換して四方に弾き飛ばす。

 操縦桿を引いてピッチアップ、降下によって得た速度を利用し、急角度で再上昇。


《チッ、来るか。アクーラ4、援護しろ!》

《了解!》

     

 上昇する正面に2機のフロッガーG、どちらも翼を後退させ降下体勢。ミサイルは間に合わない、ガン攻撃を選択。

 敵機の腹が光ったと同時に、攻撃を諦め操縦桿を倒し右ロール。細長い機体が弾かれたように倒れこみ、頭上と腹側の空間を曳光弾の束が威嚇するように駆け抜ける。一瞬遅れて2機がその後に続き、互いのジェットノイズを轟かせながらそれぞれの背後へ飛び出した。

 押しのけられた大気がぶつかり、不気味な轟音が機体を震わせる中、強引にピッチアップし半ループ。先ほどの2機の内、上昇に移ろうとした片割れの背中を視界に収める。


《無傷だと!?》

《面白い。アクーラ4、頼んだ》


 背後を取られたフロッガーGが可変翼を開いたかと思えば、カチ上げられたかのように様に左90度ロール、翼端にヴェイパーを靡かせながら急旋回。負けじとこちらも追いすがる。


『グラム1、8時方向に敵の片割れが居る。サッチ・ウィーブに注意』


 こんな時に、専属のオペレーターが居ると言うのはありがたい。

 自機の周辺を俯瞰する目が何時でもあると言うのは、実質複座機で戦っているようなものだ。むしろ、派手なGを駆ける亜音速のダンスに振り回されない分有利ですらある。

 出力を上げれば振り切れるものを、先行する敵機は余程腕に自信があるのか、此方を誘うように右へ左へ旋回を繰り返す。どうみても罠だが、此処はあえて付き合い続けてやる。

 左旋回から右180度ロール、翼を立てて逆方向へ。続いて更に90度右ロール、背面飛行から間髪入れずピッチアップし山の合間めがけて下方半ループスプリットS。尾根を掠める様に急上昇。かと思えば針路を修正しつつ斜め上方へ半ループシャンデル

 細長い主翼を振り回し、此方より一回りは大きいMig-23を気流の乱れる山間部で

 自在に操ってみせる。

 機動の組み立て、タイミングは見事と言う他無く、ミサイルを撃つ暇も、機銃を叩きこむ隙も丁寧に潰されていた。それどころか、囮の機動である筈なのに、並みのウィザードなら瞬く間に振り切られてしまうだろう。


《アクーラ1が振り切れない!?》

《アクーラ2より全機へ、やたら動きのいい奴が混じってる、注意しろ!》


 つまり、そんな手練れのフロッガーGを鼻歌交じりに追い掛け回しているフィッシュベッドは、対峙する者達にとっては異常と言う他無かった。


《ほう、存外やるな。だが》

『来るぞ! 10時方向上空!』


 何度目かの右急旋回に移ろうとした瞬間、ノルンの警告が耳朶を撃つ。

 それよりも一瞬早く、罠のネタを読んでいたグラム1は操縦桿を引き、左上方――敵機の正面めがけピッチアップ。HUDに急降下する片割れの姿が現れた直後、敵機の翼が白煙に包まれ、ミサイル接近警報が鳴り響く。

 ラダーを蹴飛ばし、生じた反動を利用してやや大きめにバレルロール。同時にフレア射出。敵機が吹き延ばした2本の白条は、グラム1が描く螺旋に引きずり込まれるように突入し、バラまかれたフレアを追いかけ始める。


《んなっ!?》

「ミサイルに頼りすぎだ」


 驚愕した声にぼそりと答えながら、バレルロールの途中でピッチアップ。

 頭上を通り抜けようとした敵機へ機首を向け、トリガーを僅かに握る。機体下面の23㎜機関砲が待ちくたびれたとばかりに咆哮。

 十数発が閃光と共に吐き出されると、火箭の奔流がMig-23の背部へ強かに叩き付けられた。火花が散り、破片が舞い、尾翼が砕け、タービンが引き裂かれ、瞬時に火炎が湧き上がる。

 アフターバーナーの煌めきを放っていたノズルが咳き込んでドス黒い黒煙を吐き出し、推力を失った機体が赤黒い流星と化して白銀の世界へと吸い込まれていく。


《アクーラ4! ベイルアウト! 脱出しろ!》

《まただ! またあの赤い鳥のミグにやられたぞ!》

『おいテメェら! ミグ野郎にスコアで負けてんぞ!』

『おいおい! またアイツかよ!?』

《クソ! よくも》

『隙あり! あばよサメ野郎!』

『ズメイ5、FOX2!』


 ズメイ隊機の追撃を切り上げ、強引にグラム1を攻撃しようと急旋回したフロッガーGが、横合いから突っ込んできた2機のファントムのミサイルを喰らって火球に代わった。

 ズメイ隊は乗機の旋回性能を過信することなく、格闘戦を避け大出力エンジンに物を言わせた一撃離脱に徹している。しかしファントムの突撃をひらりと躱し、反撃に移るフロッガーGも多い。戦況は漸く五分と言ったところか。

 2機目撃墜の余韻を噛締める暇もなく、三度レーダー照射警報。敵を罠に掛け損ねたどころか、僚機を返り討ちにされた手練れの敵機が、さらなる味方を引き連れ早々に復讐戦を挑んできたようだ。


《調子に乗るなよ鳥のエンブレム!》

《隊長! 援護します!》


 機首を下方に向け、急降下する残骸を追跡するようにパワーダイブ。敵機も逃す気は無いのか追撃を開始。


「ノルン、道案内頼んだ!」

『ええい世話のかかる! グレイヴ・キーパー! あの大馬鹿野郎を見失うなよ!』

『グレイヴ・キーパーよりグラム2、レーダーはクリア。手のかかる飼い犬の手綱はしっかり握っておけ』


 散々な言われようにマスクの下で苦笑いを浮かべつつ、蒼空を駆け下りていく。

 高度計の針が狂ったように回り、雪化粧に身を包んだ天嶮が急速に迫る。衝突寸前で引き起こし、尾根を掠め、そのまま山肌を舐める様に複雑な紋様を描く渓谷へと突入。

 戦闘機にとっては狭苦しい谷の中で、先ほどのお返しとばかりにコンパクトな機体を可能な限り振り回し、攻撃のチャンスを潰しつつ針路を北へ向ける。


『10秒後に2-2-3へレフトターン、18秒で高度100上げ、2-8-0へライトターン』


 空域図と地形図を睨みつけているノルンの道案内、捜索レーダーと火器管制レーダーの警報音、そして甲高いジェットノイズの四重奏をBGMに、風光明媚な白銀の谷を亜音速で駆け抜けていく。


『次の左カーブの出口に狭隘部! 上空へ逃げろ!』


 急峻な斜面や切り立った崖が描く急カーブを数度通り抜けると、これまでの通り道が急速に狭まった隙間が目と鼻の先で口を開けているのが見えた。

 深さは十分だが幅は凡そ20mと言ったところ。指示を無視、迷いなく機首を向け、アフターバーナー点火。

 僅かな直線飛行を見逃さなかった敵は、好機とばかりに容赦なくミサイルを発射。接近警報が再び響く中、バンク90度で翼を立てたまま。現状出せる最高速度で隙間を突っ切る。

 轟、と機体と谷の間で圧縮された空気が爆ぜる音と共に、横倒しになったMig-21が狭隘部から飛び出した。追尾していた2発のミサイルは狭間の向こうへ消えたグラム2を失探ロストし回避する間もなく断崖に着弾、爆炎が狭間を覆い隠す。


《こいつ正気か!?――クッ!》

《あ、うぁああああああああああああああああああ!?》


 先頭の手練れのフロッガーGは間一髪のところで断崖上方へと機体を跳ね上げ回避。しかし、2機目は引き起こしが遅れ、黒煙の燻ぶる狭隘部の右岸に接触し翼をもぎ取られる。たちまち右側面が火焔に舐められたかと思えば、バランスを崩し錐揉み回転しながら谷底へと叩き付けられ爆炎が吹き上がった。


「マニューバ・キルはスコアに入るのか?」

『交渉はしといてやるが、それとは別に帰ったら話がある』


 ドスの利いたノルンの言葉に「説教確定かー」と内心で肩を落としつつ、危険なドッグファイトを続けながらさらに北進する。2発に減ったジェットノイズが凍結した断崖に反響し、蹴り飛ばされた大気が新雪を舞いあげる。

 こうしている内にもう片方も山肌に突っ込んでくれないかとも思ったが、なかなかどうして。こちらに振り回され気味だがついては来ている。

 もっとも、周りが見えているかは怪しいが。


《クソッ! 隊長はどこ行った!?》

『頭上注意だ間抜け野郎! 』

《畜生! アクーラ7がやられた!》

『一番厄介な奴をミグ野郎が引き付けてる! 今のうちに潰せ!』

『ええい! こんなことならもっとアイツに賭けとくんだったぜ!』


 3機を撃墜しもう1機――しかも隊長機らしい――を封殺した結果、上の趨勢はこちらに傾きつつある。数はやや敵が多かったはずだが、勢いに乗ったズメイ隊は敵を圧倒しつつあった。

 しかし、ここで我に返った後方の敵機に逃げられるのは面白くない。目的地も近いし、潰すべきか。

 後方に意識をやりつつ、前方の風景を確認。頭に叩き込んだ地形図と一致したことを確信し、僅かに機動を緩めてやる。

 さて、レーダー照射警報は相変わらずガンガン鳴っているが、ここはレーダーの乱反射が特に強烈な谷の中。最新鋭ではない、古い型のレーダー誘導ミサイルは使いづらい。残るは先ほどと同じように魔力・熱源誘導の短距離空対空ミサイル、もしくは接近してのガン攻撃。


 ――さあ、どうする?


『敵機、ミサイル発射!』


 レーダー照射警報は無し、となるとやはり受動パッシブ式の短距離空対空ミサイル。敵機は反転する様子はない、此処が何処なのかを思い出したようだ。であれば、こちらの撃墜を確信するまでは追いかけ続ける。

 操縦桿を引き、進行方向の左側で針路と並行に連なる尾根へ向けて、大きくバレルロール。天地逆転したキャノピーの向こう、触れられそうなほど近くで新雪が煌めくのが視界の端に映る。ロールの頂点で尾根の頂上を超え、並行する逆側の谷へと飛び込んだ。

 最短距離を目指して駆け抜けてきたミサイルは、尾根の向こうへ消えた自分を失探ロスト、あえなく斜面に突き刺さり雪と岩石交じりの爆炎を盛大に噴き上げる。

 間髪入れずにGリミッタ解除、スロットルをアイドルへ、エアブレーキ展開、9Gオーバーで引き起こし。刹那、機首にアッパーカットを喰らったかのように、フィッシュベッドの細い機体が跳ね上がる。

 Mig-21bisでは8.5Gと設定されている機体構造上の加重制限を、魔術を用いることによって一時的に無視。本来であれば空中分解必死な急旋回に、機体と体の彼方此方が悲鳴を上げる。

 一瞬で色素が抜け落ちた灰色の視界の中、敵機が尾根に吹き上がった爆炎を避ける様に飛び越え、此方の鼻先で無謀な腹を晒した。情け無用、トリガーをコンマ数秒だけ握りこむ。


《ぐ、くそっ! こんな、こんなことが!》


 アフターバーナーを焚き、可変翼が僅かに後退した敵機の腹側に、口径23mmの機関砲弾が次々に喰らいついた。

 左翼側から胴体中央部にかけて、袈裟切りにするかのように無数の破孔が穿たれる。エンジンから血飛沫の様にオイルと黒煙と火焔が噴出し、根元を破壊され耐えきれなくなった主翼が可動部から折れ飛んだ。

 コントロールを失い、黒煙に巻かれ不規則な回転を始めた機体は、空中分解する前に斜面に叩き付けられた。間髪入れずに残りの弾薬がパイロットごと爆発。真っ白なキャンバスに4つ目の赤と黒が書き加えられた。

 敵機の最後を確認し、無茶な急旋回による荒い息を吐きながら、機体を水平に戻して上昇を開始。眼下に先ほどまで死闘を繰り広げていた白銀の回廊が現れ、南の方では、入り乱れながら曳光弾と白条を突き付け合うズメイ隊と敵機の死闘が一望できる。

 一息つこうとした時、怒りと呆れが半々の罵声が届いた。。


『いきなり無茶しすぎだ、馬鹿者』

「随分食いごたえのある敵だったからな、無茶に見合った戦果じゃないか?」

『そんなもん誇るな。――そら次だ、方位0-0-5、高度31000、直衛機及び敵爆撃機、ライトターン』


「そういう君は、随分と人使いが荒いな」とボヤキながら旋回、レーダー画面に高空を進撃する大粒の輝点が映し出されていく。


『オードブルをチンタラ食ってるやつが悪い。ここまで来たんだ、帰る前にメインも喰えるだけ喰ってけ』

了解ウィルコ――ズメイの連中に恨まれなければいいが」

『ランチに遅れる奴が悪い』


 ピシャリと言うノルンに苦笑しつつ、機首を巡らせアフターバーナーを点火、ズーム上昇。銀翼を連ねた巨鳥達に、災厄が迫りつつあった。


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