Mission-03 東西論争
背中へ襲い掛かった総重量50㎏近い衝撃に情けない悲鳴と共につんのめる。誰かに抱き着かれたらしい事は辛うじて解ったが、遠慮も何もあったものじゃない。
目を白黒させながら顔を上げると、ゴキブリでも見つけてしまったかのような表情を浮かべたノルン。その不愉快そうな瞳は、自分の背中へ注がれていた。
「何の用だ、ミネルヴァ」
「何の用も何も。ニーズヘッグも苦笑いする最凶オペレーターが、とうとう口説き落とされるところを見たとあっては、売り込みにいかない方が失礼だろう?」
「その下世話な口を縫い合わせて可及的速やかに失せろ」
殺意が3割程度含有された罵詈雑言を受けるも「おお、こわいこわい」と、見せつける様にレーヴァンに頬ずりをする赤金色の少女。
顔を合わせて即座に臨戦態勢となるあたり【エントランス】女性陣の性質がだいたい解ってくるような気がした。早くも厄介ごとの予感に、鳩尾の当たりに原因不明の痛みを感じる。グラウンド・ゼロとはまさにこの事か。
とにかく、この少女の良い様にされていては、何とか契約にこぎつけた相方の機嫌が、パワーダイブを敢行するF-15Eの如く急降下してしまう。少々強引に引きはがそうと決心し、首に巻き付いた細い腕をほどくと、思いのほかあっさりと引き下がった。
「おっと。レディはもうちょっと丁寧に扱いたまえよ鴉殿」
「レディを名乗るには、少しばかり御転婆が過ぎると思うがね」
「深窓の令嬢ほど退屈なモノはあるまい? まあ、ちょっとした役得だとでも思ってくれたまえ」
クルンと身をひるがえした少女は、一歩離れて優雅にお辞儀をして見せた。その所作だけを見れば、どこぞの貴族令嬢と言って差し支えないだろう。浮かべている表情は「お嬢様」ではなく「お嬢」と呼ぶべき代物だが。
「初めましてレーヴァン。私は【商会】のミネルヴァ。ざっくりと言ってしまえば、おばあ様と一緒に【
胡散臭そうな半目を向けたノルンが「第4世代ジェット戦闘機やら
大統領官邸は流石にハッタリも良い所だが、ノルンの言葉は真実だろう。つまり、この少女はヴァルチャー御用達の、
「これはご丁寧にどうも、よろしくミネルヴァ。で、その看板娘は何を売り込んでくれるんだ? 実際の所、割とカッツカツなんだけど」
レーヴァンの返答には、何処か切実な自虐が含まれていた。
額面上は高額な報酬により、ヴァルチャー・ドリームなどと市井の人々からは羨望と妬みと恨みが綯交ぜになった視線で見られる彼等ではあるが、懐具合が温かいと言うことは滅多にない。
というのも、基本的にヴァルチャー達の装備・弾薬は自費で賄われているからだ。
一応【エントランス】などのジャガーノート側が、配下の傭兵を半強制的に参加させる作戦においては、燃料が支給される場合もあるが、逆に言えば支援らしい支援はそれだけ。
逆に、航空機は世代が進むごとに高度化、高性能化が飛躍的に進むが、当然と言えば当然で代償の運用費は跳ね上がる傾向にあった。
さらに言えば、ヴァルチャー達が翼を広げるのは気楽な遊覧飛行では無く、物騒な対空ミサイルが飛び交う戦場の空。機体にはより負荷がかかり、被弾損傷など日常茶飯事。整備に使う部品もメーカー規格品から規格外品、金口が合うからつけてるやつ、バッタモンなどなど問題が多く、耐用年数も当てにならない。
出撃の度にどこかしら故障したり損傷するのは日常茶飯事だった。
レーヴァンもその例に漏れず。飛行機をタダ同然で譲り受けると言う幸運が有ってさえ、可及的速やかに依頼をこなし、資金を手に入れなければジリ貧に陥る立場にある。いきなり愛機を新調する余裕はない。
何処か試すような彼の視線に、赤金の少女はカラリと笑って見せた。
「いやぁ、期待させて悪いけど、ウチも基本的に飛行機においてはツケやローンの類を認めてないからね。だって返済前に爆散されちゃ大損だし。対地ロケットや油ならば、いくらかは融通するけど」
「だろうね」
「レーヴァン。先に忠告しておくが、コイツは不良品でも平気で売り付けてくるからな。そこは頭に叩き込んでおけ。この間なんて、ズーニー・ロケットが飛行甲板で暴発してえらい騒ぎになった」
忌々しそうに忠告するノルンの声には妙な実感が籠っている。その騒ぎとやらに彼女も巻き込まれたのだろうか。
「おいおい! 値段相応と言ってくれたまえよ。5発10ターレのズーニー・ロケットを買った奴が悪いのさ」
「態々そんな不発弾まがいの危険物を仕入れるなと言っとるのだ、馬鹿者」
「金も商品も巡りものさ。求めるものが居るからこそ、巡り巡ってそこへ流れる。それに、あの事故は整備の連中がこっちの説明を無視して、普段通りに取り扱ったのが原因だ。安物には安物なりの扱い方があるってのに、正規兵上がりは頭が固くていけないね」
「やれやれ」と肩を竦めて見せるミネルヴァ。
レーヴァンは後に知ることになったが、その時の事故は死者12名、重軽症者43名、A-4スカイホーク3機全損、A-7コルセアⅡ3機全損、2機大破と中々の大惨事。その片棒を担いでおきながら、全く懲りた様子は無かった。
「解ったか? これがコイツの本質だ。金に目がくらんでセール品に飛びつくのは止めめて置け。補給品やらの交渉は私がする、文句はないな?」
ギロリと睨まれ、ほぼ反射的に頷く。まあ、彼女の危険性を把握しているノルンならば、目標手前100mで自爆する
「さあ、顔合わせは済んだだろう? とっとと失せろ。私はこれからどうするのか、
追い払うように手を振るノルンだったが「おいおい、私は売り込みに来たと言っていただろう?」と嗤うミネルヴァは全く帰る様子はない。それどころか手近な椅子を引きずっていてストンと腰を降ろす始末。
「たしかにウチは即金でないと機体は売らないが、見たところ君は見どころがある」
頬杖を突き、ガーネットを細めながら目の前でそう言い切ったミネルヴァに、少しばかり興味を惹かれる。
彼女の言う見どころとは、いったい何を指すのか。
承認欲求を満たすため、というよりは純粋な興味の類。それなりに修羅場をくぐっているらしい少女が、会って10分も経たぬうちに、そう評価した根拠は何処にあるのだろう。
それが
まだ自分の知らない自身の欠点によるものであれば、自覚することでそこを奇襲されると言う事は無くなる。自覚した上で不意を打たれるのは、それは自身の怠慢だ。納得が出来る。
無理、無茶、無謀のコンバットボックスが理不尽の護衛を受けながら進撃し、唐突に死が肩を叩く世界だ。せめて死ぬ時ぐらい、納得していたい。
少なくとも、こんなことを即座に考えてしまう小賢しさは、生来の臆病さの表出だろう。まったく、毎度のことながら反吐が出るな。
さてこの少女は真実を意図的に隠すことはするだろうが、歯の浮くようなおべっかを使いそうな印象は今のところない。いやいや、そう思わせておいて、今まさにそのおべっかを使う所なのだろうか。
隣で「またか」と軽くため息を吐くノルンの態度が少々引っかかるが、看板娘の次の言葉を待った。件の少女は、これまで表に出していた仮面を幾らか別のモノに――年相応の無邪気さを含むモノに変えて言い切る。
「何せ【エントランス】では数少ない東側機体のユーザーだ! これは幾らか色を付けねばなるまいよ!」
「同志を見つけた!」と言わんばかりのキラキラとした表情に、レーヴァンの顔が思いきり引きつった。
これが本や俳優やファッションの話であれば、正しく地上のいたるところで見られるありふれた反応だ。しかし、残念ながらここでの対象は超音速で成層圏をカッ飛ぶ殺戮兵器。ある意味で、空の上ではありふれた話題なのか。
ノルンが先ほど溜息を吐いたのは、そういう事だろう。何か別の評価点があるかと思ったが、単に同好の志だと見なされただけらしい。
「いや何、【エントランス】のヴァルチャーは皆揃ってまあまあ優秀なんだが、機体のセンスだけはどうにもいただけなかったんだ。私も【商会】の一員であるからして、積まれた金に対して不義理を働くことはできなかったけれども、やれ
NATOこと
規格の統一化や技術強力等、同じNATO製の製品ならばある程度の互換性や各種兵器の統合運用が可能となっている。また、このNATOの前身となった組織が西方企業連合と呼ばれていた関係上、単に西側と呼ばれることがあった。
太古から存在する魔術と先進的な工学を融合させた
しかしその反面、生産される製品はどうしても高価になりがちであり、得意先の大国ですら数を揃えるのに苦労する事態が多発している。
NATO自体もF-5シリーズやF-16シリーズ、最新版では遂に本格的なステルス機であるF-35シリーズをロールアウトさせて対応してはいるものの、維持費や流通ルート、得意先への優先等を加味すると、特にヴァルチャー達にとっては不利な要素が多くなっていた。それでも、ミネルヴァが嘆くように重宝するヴァルチャーは数多いが。
無論、一応は量産の努力が図られてはいる。
しかし、第1世代ジェット戦闘機レベルの飛翔能力を持つワイバーンや、主力戦車クラスの戦闘能力をもつ魔獣が闊歩するこの世界においては、古く安く扱いやすい機体の需要が落ちることが無かった。
どれだけ小さな農村にも、野戦飛行場と骨董品同然のMig-19やF-104がいざという時の猟銃と同じ感覚で並べられている。
彼らにとって必要なのは
必要な時に爆弾や短距離ミサイルを積んで飛びあがって魔獣を散らし、村民のカンパ程度の資金で維持が出来る軍馬崩れの農耕馬だった。
その結果この世界の企業群は、程度の差こそあれ第2世代戦闘機から第4世代戦闘機までを同時生産しつつ、シェアの奪い合いをすることを強いられている。
なお性能と価格の最大公約数的な関係によって、特にヴァルチャーに好まれるのは第3世代から第4世代ジェット戦闘機の一部であり、第4世代でも改良が重ねられた型や第4.5世代以降の機体は敬遠される傾向にあった。
「その点、
声色からして、東側機体を押す理由の8割ぐらいが
確かに、特に同一の幹から生じた
ただし、性能では無く姿形を論じ始めると、最終的な結論が趣味嗜好の相違に行き着いてしまう。ようするに酒の肴になる類の話だった。
「そこでだ」と言葉を切った少女が、ずいとこちらに乗り出して顔を寄せ、潜めた声を囁くように紡ぐ。暗赤色の瞳に、困惑する自分の顔が映りこんだ。
「実のところ、近々新しくMig-29が手に入りそうでね。形式は今のところ明言できないがダウングレードのB型では無く、フルスペックのA型以上は固い。少々値は張るが、M型については既に別の場所に在庫がある。貴重な同志だ、幾らかは勉強するとも」
「ちょっと待て」
突如、上目遣いをしながらすり寄りつつあったミネルヴァが、「ぐえー」と出してはいけない類の悲鳴とともに不自然に後退する。青筋を立てたノルンが、今まさに獲物を飲み込もうとしていた少女の首根っこを掴み、引きはがしたのだった。
「ったく、人が黙っていれば調子に乗りおって。何が勉強するだ、だいいち――」
不機嫌そうに腕を組みつつ、看板娘を睨みつけるダーク・ブルー。
こちらが口車に乗せられる前に、早めに手を打って交渉役を引き受けてくれるつもりのようだ。個人的に先ほどの話には惹かれるモノが無いと言えば嘘になるが、これなら任せた方が――。
「WTOの機体よりNATOの方が良いに決まっとるだろうが」
チーン、とゴングにしては聊かショボい音が鳴ったような気がする。
いや、実際に鳴ったな、これ。音源に首を巡らせれば、カウンターの向こうにニヤニヤしながらこちらを眺めるトロイアの姿。傍らには手のひらサイズの銀のボウルを引っ繰り返した様な、よくある卓上ベル。
Oh……と知らずに呟きが漏れると同時に、第一ラウンドの火蓋が切って落とされた。
「ほう? 【商会】よりも金に魂を売り払う術に長けたNATOがより高性能だと?」
「空戦において必要なのは、敵を見つける索敵能力と大推力のエンジン、そしてステルスだ。クルクル回る能力など、誘導兵器が発達した今となっては無用の長物。
「おやおや、まずもって前提条件を理解していないようだ。彼がF-22やF-35に届くまで、一体どれほど死線を潜らねばならぬと思うのだね?」
「あくまでも終着点の一つとして挙げたにすぎん。ステルスはともかく、索敵能力と大推力エンジンならば選択肢は多い。そう言えば貴様、最近
「おおっと、流石耳が早い。しかしだねぇ、実績のあるF-15Eは人気でねぇ」
「さて、このところ多くの奴が機体を買い替えたり修理に出しているからな。【エントランス】内のヴァルチャーの懐事情は大体把握している。それにE型は、部品が高くて敬遠される第4.5世代ジェット戦闘機だ。案外、買い手がつかずに、しばらく在庫送りになるんじゃないか? 不良在庫を抱えるのは辛いだろう? とっとと処理して、より
口調はにこやかだが、レンズの奥の目はあからさまに「格安で寄越せ」と言っている。交渉と言うよりも恫喝や誘導尋問の類だったが、この件に関してはミネルヴァの方が1枚上手だった。
「それを何とかするのが商人さ。実のところ、件のF-15Eはもう既に買い手が決まって輸送中だよ。行先は【エントランス】ではないけどね」
「チッ、どっちが金の亡者だ」
「そもそも、そんな金ないだろ君ら。F-15EなぞMig-29の
「F-15Eならミサイルは勿論、無誘導爆弾からバンカーバスターまで積める。魔獣どもを森ごと焼き払うなり、他について行って
獲物を崖に追い詰める魔界の群団長じみた顔と台詞に「前から思っていたが君の情報網は一体どうなってるんだ!?」とミネルヴァの悲鳴が重なる。
「前情報も無しに、バレなきゃぼったくり上等の貴様と交渉する気なんぞ起きんよ」
ニタァと、赤銅の眼鏡の下で愉悦に歪む三日月が浮かびあがった。
赤金の少女が最初に口走った最凶オペレーターと言うセリフは、どうやら煽りの類では無かったらしい。ともかく、一連の攻防で彼女にミネルヴァとの交渉を一任するのは最善手である事がハッキリした。――下手に敵には回さないでおこう。
「ま、まあともかくだ。傑作機とはいえ改造に改造を重ねたMig-21bisでは、早晩息詰まることは目に見えている。【エントランス】が戦う戦場はそれ程苛烈だ。
「それならばF-16Cだ。高性能でありながら、西側第4世代機の中でも安い。それにMig-21と同じく単発軽戦闘機のカテゴリに入る。西側の機体に乗り換えていくのであればうってつけの入門機だ。
商人としては痛いところを突かれたはずだが、先ほどの攻防で若干余裕を崩されたはずの看板娘に動揺は無い。いつの間にか手元に置いていたカクテルグラスを余裕たっぷりに傾けていた。立ち直りは軽戦並みに速い。
「さっきも言ったが、どいつもこいつもNATOシンパで買い手が此処にはほとんどいないからね、他に流しているのさ。Mig-29を買うのであれば、勿論常に用意するとも!」
「で、特別料金とかでふんだくるつもりだろ?」
「――いやまさか、そこまでは流石の私もしないさ!」
隣から「その手もあったか」とか小声で聞こえてきたのは記憶から消しておくことにする。ノルンの警告通り、いきなり飛びつかなくて正解だった。
「それに、今のうちに西側に乗り換えておいた方が絶対に良い。今もって最強クラスと呼べるF-35やF-22を揃え、同等の後継機や派生型の開発も彼方此方で進んでいる。それに何より、カッコよさならば西側の方が上だ」
何の気は無しに付け加えられた言葉――あるいは相手同様こちらが本命の可能性もある――が、ミネルヴァの逆鱗に触れた。
チーンと2回目のベルが鳴る。
「はぁー!? 君は何時になったら
「貴様、
「マッチョさなら
「
気が付けば胃に穴が開きそうな冷戦から、完全な趣味嗜好の熱戦に発展してしまっている。流石にここまで来てしまうと、当事者とはいえ付き合う義理は無いだろう。
二人に気づかれぬように立ち上がり、そっとカウンターの方へと避難することにした。
「いやはや、3人どころか2人でも姦しいネ。君、止めてきたまえよ」
「文字通り
「吞まないのかい?」
「大論争した後に当事者が酔いつぶれてたら、彼女らに何されるかわからん」
「賢明なことだ」と苦笑したトロイアから、良く冷えたジンジャーエールの瓶を受け取り一口煽る。いつも通り、飲みなれた炭酸が喉を潤した。
「いつもああなのか?」
「顔を合わせて飛行機の話になると大体はね。決着がついた試しは無いけれども」
「むしろこの手の話題で決着が付くところを見てみたいね。与太話ついでに一つ質問――トロイアなら何を進める?」
「そうだねぇ――BACライトニングとかTSR-2とかどう?」
「
「読み方それで合ってる!? ――オホン、じゃあ君の希望は何なんだ? 流石にどれでも良いわけではないだろう?」
彼がそう問いを投げかけた直後、ピタリと言い争う声が止まり二人分の視線を背中に感じた。恐る恐る後ろを振り返ると、ぐるんと首だけこちらに向けた、絶賛性癖核戦争中の女性陣の姿。どうにも攻めあぐねる彼女らにとっては、あと一押しを実現する援軍の登場なのだろうか。
「解っているだろうな?」と睨みつけるようなノルンに、「信じているとも」と言いたげな邪悪にすぎる微笑を浮かべるミネルヴァ。何をどう言葉を選んでも碌な結末が見えないが――それならそれで、いっその事本音を言えると開き直る。
「まあ、強いて言うなら――東側なら何でも?」
「何故だッッッッ!?」
「
直後ノルンが崩れ落ち、ミネルヴァが大きく拳を突き上げた。
航空機が今現在、地面に対してどういった姿勢であるかをリアルタイムで表示する姿勢指示器は大きく2つに分けられた。一つは、画面中央に自機を示す十字線やアイコンが固定され、空と地面を示す背景が動いて姿勢を表示する西側の規格。もう一つは、逆に自機が動く東側の規格。
雑に言い換えれば、「自機から見た水平線の傾き」を表示する西側と「水平線から見た自機の傾き」を表示する東側と表現できる。
空を飛ぶ者にとって、計器はある種の命綱だ。夜間や雲中、悪天候など
ドッグファイトなどで目まぐるしく姿勢や外界の状況が変化する戦闘機においては、姿勢指示器の読み違えは地獄への特急券となりうる。それを理解できるからこそ――そして珍しくそれを失念していたからこそ、ノルンはぐうの音も出ないまま地に伏せることとなった。
何とも残酷な裁定を「これからどうしようか」などと思いつつ眺めていると、人の悪い笑みを浮かべたトロイアが耳打ちする。
「ぶっちゃけ、西側の機体に東側のADI積んだら済む話じゃないの?」
「とりあえず不毛な百年戦争にケリつけておきたかった。それに――」
「それに?」
「Mig-29なら以前飛ばした事があるし。ぶっちゃけ、今更西側に乗り換えるの面倒」
「あ、ふーん」
「うう、裏切り者ぉ……」
「いやぁ済まないねぇノルン! いきなり寝取っちゃって!」
「寝てから言え」
10分後、テーブルに戻ったレーヴァンの前に広がっていたのは、天板に突っ伏し恨めしそうな目を向けるノルンと、椅子にふんぞり返り上機嫌に煽るミネルヴァ。自分が作り出した地獄ではあるのだが、居心地は最悪に近い。
「まあ西側も悪くは無いと思うよ? うん。ラファールとか実にいいじゃないか」
「煽るな煽るな。一応客だぞ、こっちは」
「フフン、まあこのぐらいにしておこうか。じゃあミグの件は、話を進めておいても良いかな?」
チラリと突っ伏するノルンへ視線を送ると、「好きにしろ」と何処か不貞腐れた様にソッポを向いた。割と子供っぽいところあるな、彼女。
「ああ、それで頼む。弾薬と部品の在庫は切らさないでくれよ」
「任せたまえよ、その辺りのアフターサービスは抜かりないさ。今回の様に、しっかり落として稼いでおくことだ」
半ば予想していたことだが、ミネルヴァも自分が此処に来る時の戦闘を大方把握しているらしい。商人としては、顧客の
「ところで、
「あー、そう言えば」
ヴァルチャーの機体は部隊章が国籍マークの代わりになる。【エントランス】の様に大規模な軍事衝突で一方に加担している場合は、味方をしている国家のマークを追加する例もあるが、基本的には部隊章が名刺代わりだ。
またウィザード1人、オペレーター1人の2人組であっても【エントランス】では一つの部隊として扱われる。例え戦場に出るのが1機のみでも、部隊章は設定する必要があった。
「いっそのこと、この鴉のマークをそのまま部隊章にしてみるかい?勿論、デザイナーを紹介しても良いけど」
新しい金の匂いを嗅ぎつけたミネルヴァの目が怪しく光るが、「じゃあ、そのまま使ってくれ」とレーヴァンはあっさりパーソナルマークを流用する事に決めた。
愛着が無いわけではないが、どうせこのマークを付けるのは当分は自分一人だ。今とそう変わらない。
「なんだ、つまらない。じゃあマークに入れる部隊名は?飛行隊の番号は部隊名を申請した後に、【エントランス】で空いてる番号を振られるだろうが、名前は決めておかないと」
「名前、名前ねぇ」
パーソナル・マークを流用すると決めた以上、その意匠からあまり逸脱しない名前にしなければならない。パッと思いつく名前だと、当然のようにワタリガラスを意味するTACネームと丸被りしてしまう。
机に置かれたノルンの結晶端末には、最初に彼女に話しかけた時に見ていた画面――自分の名前と顔写真、経歴、件のマークが表示されている。
赤い鴉が、西洋剣を咥えて翼を広げている意匠。呼びやすい名前であれば何でもいいが――。
「――グラム」
ぼそり、と呟きが耳に届く。呟きの主は何とか立ち直り、頬杖をついていたノルン。その視線は、鴉が咥える剣へ向けられていた。
グラム――かつて大英雄シグルドが携えていた、”怒り”を意味する名を持つ剣。元は彼の者の父シグムントが所有しており、或る戦いの折に破壊されていたが、邪竜を斃す為にシグルドが目を付け鍛え直した逸話を持つ。最終的にはシグルドを殺した刺客へと投擲され、その身を両断したという。
「大昔の英雄が携えていたという、
一体、彼女のダーク・ブルーに自分はどのような危険人物として映っているのか、一度問いただして見たくなる。まあ、エクスカリバーやらアスカロンやらデュランダルを振り回す清廉潔白なガラでは絶対に無いけれども。
横には「悪くは無いんじゃないか?」などと当事者目線でこちらを見るミネルヴァ、正面には「対案があるなら出せ」と何処か投げやりなノルン。提示された案の前には、名前なぞ言い易ければ良いと考えているヴァルチャー。
赤い鴉のグラム隊、特に反対する理由は見当たらない。
『エントランス・タワーよりグラム隊、離陸を許可する。ブリーフィングでも聞いた通り爆撃機が接近中だ。とっとと上がって稼いで来い、グッドラック』
数日後、【エントランス】第59戦術戦闘飛行隊『グラム』が、飛行甲板を蹴って空へと舞い上がった。
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