トレイン
夏眼第十三号機
第一夜
車窓から見える景色は、私に死を幻視させる。
ある日、私は時速約100キロの電車に乗っていた。行先なんて知らない。
ただ動くばかりの車体にうんざりした私は、ふと車窓を覗いてみたのだ。
そして序文に繋がる。なんとも、つまらん話だ。
電車は未だ————途中停車すらもなく、動き続けていた。
止まる気配は一切ない。
再び車窓を見下す。
やはり車窓からの景色は、私に死と蒼い美しさを連想させるだけだった。
具体的に言うと、眼下に美しい蒼々が広がっている。海だ。
海は生命の母だと言われる。同時に多くの人間の命を奪う死神でもあるわけだが。
座ってみる。やはり退屈だ。
こうして考えると現代というのは実に飽和的だと、私は思う。
スマホ一つ手に取れば、そこはもう自分だけの世界が広がるのだから、実に退屈しない。
しかし私は、現代技術の結晶たるソレを、持ち合わせていなかった。
よくよく探ってみると、財布もない。
唯一あるのは交通系電子マネーのICカードだけだった。うん、これは必要だ。
という訳で、私は無一文である。なんとも恥ずかしい。
不意に、右隣を見てみた。特に理由は無い。言っただろう?私は暇なのだ。
そこには、一輪の花が咲いていた。
茎は柔らかく、花弁は鮮血のワインレッド…………うん、なんか、かっこいい。
とにかくとにかく、そんな花がたった一輪で、不相応に咲いていた。
なんとなく、近づいてみる。うん、やっぱり本物の花だ。偽物じゃない。
そして私は、嗅いでみた。
やっぱりだ。例に漏れずいい香りがした。
「ねぇ、あなたもここに無賃乗車してるの?」
誰もいないことを良いことに、私はその花に話しかけた。
…………ギャグじゃないぞ。槍でやり直す、みたいなもんだぞ。
返ってくる、訳が無い。
だって、これは独り言だから。
返ってくるはずが、無かった。
「キミと一緒にしないで貰えるかな?カエデ。」
返って、来た。
というか、花がひとりでに喋っている…………!?
「ふむふむ。どうやらその表情を見る限り、かなり動揺している様だね。安心して。これは、この物語は至って短編。ここから奇妙奇天烈摩訶不思議な大冒険が始まるわけではない。だからそこは安心してよ、カエデ。」
どういうこと。私の名前を知っている?
ワインレッドの花弁は、絶えず私に言葉を紡いだ。
「あなた…………誰?」
「人に名前を聞くときは、まず自分から名乗るのが礼儀じゃないのかい?」
「いいえ、その必要はないわ。だってあなた、知ってるもの。」
「僕はまだ、キミの名前を聞いていないな、カエデ。」
「ほら、言ったそばから。あなたはもう私の名前を知ってる。だからもう、私が名乗る必要性は無いんじゃない?」
「しまった。僕としたことがボロが出てしまったようだ。」
「なら早速、あなたの名前とその正体について、先程の様に語ってくれる?あなたは私の名前を知っているみたいだけど、私はあなたの名前を知らない。こうした認識の齟齬は、会話に支障をきたすだけよ。」
「それじゃあ、僕の名前を一つ。僕の名前は
「嘘ね。花は通常喋らない。結果、あなたは花以外の存在である可能性が捨てきれないわ。」
「そんな事言われても、僕は困るだけじゃないか。僕は花。それ以外になったことは無いし、それ以外の記憶は無いし、それ以外の————キミの期待するような正体は持ち合わせていないよ。」
「本当に?」
「認識の齟齬は互いの会話に支障をきたすだけ、そうだろう?なら僕はキミに対して嘘はつかないよ。僕は花であり、それ以外の何者でもないよ。」
「……一旦は、信じるわ。」
「助かるよ。」
花は口もなく、ただ当たり前に私と会話していた。なんとも、生意気に。
「それで、あなたはどうしてこんなところに居るの?」
「僕こそ問いたいよ。何故、キミはここに居るんだい?」
「…………私は、気が付いたらここに居たの。この電車がどこに向かってるとか、どうして電車に乗っているのか、知らないの。」
「いやいや、僕が問うてるのはそんな些細なことではないよ。」
「なっ……!」
「あのね、僕が問いかけてるのはどうしてキミは生きているの?ってこと。いつの間にかこの車両に乗っていた。そんなことは至ってどうでもいいんだ。キミはここに居るから、ここに居る。真実はそんなモノさ。」
「…………。」
何を、言ってるの?
いいや分かっているはずだ。
……なんて、酷いコトを。
「キミはどうして生きているんだい?死ぬのが怖いのかい?あの娘はもっと辛かったのに。キミはたった一瞬の恐怖すら耐えられないのかい?あの娘は耐えたのに。」
なんて、本音を。
なんて、暴言を。
なんで、本心を。
なんで、知ってるの。
「あなた…………本当に何者?」
「言っただろう、僕は花さ。なんてことない、ただの花さ。それ以上でもそれ以下でもない。」
…………私は、思い出した。いや思い出してしまった。
あの、雨に濡れた午前12時を。
マユミは、私の友達だった。それもとんでもないほどに、昔からの友人であった。
私とマユミはいつでも一緒。
きっと、世界が滅亡しても一緒だって、そう信じていた。
15歳になり、それがマユミへの好意もとい恋であった事を知った日は、鮮烈に覚えている。
私はその日、自分の想いを封印することにした。
いつまでも、子供じみた考えを持っている訳にはいかないし、何よりマユミに迷惑だ。
例えこの想いが消えないとしても、ずっとしまい続ける。そう決意した。
というのも、当時マユミには絶賛片思い中の人がいたからでもある。
長き月日を経て、遂に彼女は大勝負に出た。
結果は…………惨敗であった。
彼女はしばらく、とてつもないほどに落ち込んでいた。
それが3ヶ月も続いたころ、誰が広めたかこんな噂があった。
「マユミはどうも、鮮烈にフラれたらしい。」
具体的には、どうも相手方の男がなんとも言い難いクズ野郎で、告白した彼女に対して、結構好き放題言ってくれちゃっていたのだ。
世論的には「男の方が悪い、マユミかわいそう」となっており、マユミの社会的地位は保たれた訳だが、彼女のメンタルはもうかなりズタボロだった。
自己否定に次ぐ自己非難。
彼女の墜ちていく様は、まさに見ていられなかった。
それもこれもクズ男が悪いのだが、いまさら誠心誠意謝られたところでマユミの精神は元にもどる訳ないほどボロボロで、私はただどうしようもなく、傍にいるしかなかった。
そんな私に、
『チャンスだ。マユミを自分のモノにする絶好のチャンスだ。』
マユミは現在、正直な所私に依存しきっていた。
私を世界一愛しているとも言ってくれたし、私の為に死ねるとも言ってくれた。
でもそれは、彼女の本当の想いなんかじゃない。
彼女はただ欲しいだけなんだ。自分を愛して、自分を受け入れてくれる存在を。
でも壊れてしまう。今の彼女に、私の愛は重過ぎる。
そんな事は、彼女が私を受け入れてくれない事より嫌だ。
『マユミも求めているではないか。早くマユミをお前のモノにしろ。それはマユミも望んでいることだぞ。』
嫌だ。私とマユミは友達なんだ。
『お前が長年求めていたモノではないのか?」
違う違う違う!そんなモノ私は求めていない!
私が欲しいのは友達としてのマユミ!女としてのマユミは、マユミが大切にしたい人にあげるべきなんだって!
『お前が、そうじゃないのか?』
「…………。」
彼女は、壊れた人形の様に私を愛してくれていた。
こんなのは違う、絶対に違う。そう、確信しているはずなのに。
「大好きだよ……カエデ。」
甘く、濡れた声で私に囁く。
こんなの…………っ、我慢できるわけないじゃないかっ!
私は生まれて初めて、人を押し倒した。
「え…………っ」
突然のことに、マユミは驚く。当たり前か。
「ちょっと……あんた煩い。そんなに言うなら、私の女になれ。」
「へっ?」
マジで、彼女は困惑していた。
「どういうこと……カエデ。」
「だから、あんたの愛してるって言葉、確かめるだけよ。」
そして私は、彼女の唇を、奪った。
「んくっ…………………………ぷはぁ…………どう……したの?」
「どうしたもこうしたもないでしょ。あんた、誘いすぎ。いくらなんでも耐え切れんわ。」
「えっ……でもこれって……」
「私が、あんたにいかれちまったって訳さ。嫌でもやっちゃうもんね。もうとまんないもん。」
その後の私は………最低だった。
人間の原初的本能に基づく衝動的な行動。
私は、彼女を喰らった。
その後、彼女は死んだ。自ら死んだ。
アレが、直接的原因であったかは分からない。
けど、私は勝手に思ってしまっていた。
………違う、これはどうしようもなく情動だ。
分かっている、嗚呼わかっているとも。
私が、彼女を殺したワケ無いって。
しかし、私は思ってしまっていた。
私は、彼女を間接的に殺してしまったんだって。
「………最悪の気分よ。死にたくなるほどに。」
「死ねば?それがキミの願いなんだから。」
「えぇ死ぬわ。でも、その前に………!」
「?」
私は、花を。
花を両手で、千切らんとしていた。
「やめてくれないかい?死んでしまうではないか。無理心中なら他を当たってくれ。」
「悪いけど、あなたと心中なんて御免よ。私が知りたいのは正体。あなた、何者なの?」
「僕かい?僕は花さ。ワインレッドのただの花。そう言っただろう?」
「だから……!どうして私を、こう、ほら————」
「どうしてキミを苛めるのかって?それは自分に聞きなよ。キミを苛めぬいているのは、他でもなくキミなんだから。」
「そう…………。」
全てが、どうでもよくなった。
風が気持ちいい。
海辺の景色は、私に安楽なる死を幻視させる。
そんなの、許さない。
私は鮮烈に死ぬの。
それ以外は許さない。
「ごめんね。そっちで、会えないや。」
どうやら自殺した者は天国に行けないらしい。
……彼女も自殺したって?
彼女が地獄に居る姿なんて想像できない。
彼女はきっと、天国で、私の創造を超える美しさで生活をしていると、私は信じている。
だから、きっと永遠に会えない。
「あれ……なんかバカみたい。」
そして私は————
「さようなら、
地面に墜落した。
即死はせず、地面に寝そべりながら私は生き腐っていた。
「早……く…………ね……よ」
あぁ、死んでいく。
私が、どうしようもなく死んでいく。
意識が死んでいく。
体が死んでいく。
思考が、死んでいく。
死にゆく思考の中で、ふと思い返した。
走行中の電車の扉が、簡単に開くわけがないって。
トレイン 夏眼第十三号機 @natume13th
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