3.怪物に目を付けられた話

 テーブルに積まれた空のグラス……。

 薄暗い店内の静けさ。


「お客さん。お客さん?」


 身体を揺さぶり呼びかける誰かの声。


「お客さん起きて下さい。もう閉店時間ですよ」


 俺は耳障りな声と酔いの頭痛で意識を取り戻した。

 目を開ければそこにはエプロンを付けた男性の姿が……?

 つい先程まで満員だった店内は今では一人の従業員と俺のみ。

 リュコの摂取量ペースに乗せられ俺も相当な数を飲んで潰れたらしい。

 そういえば目の前にリュコの姿が無い……。


「これお客さんのお連れさんから預かってた勘定です」


 ぼやける視界に映る手書きの領収書には酒の杯数が三桁は刻まれており……。

 合計の金額を店員が口にした時は流石に酔いも冷めて青ざめた。


「全部を合わせまして12万6000ロナに成ります」

「はぃ……はい!? 何かの間違いじゃ……?」


 再度と長蛇の領収書に目を通してもぼったくりではなく正当な金額である。

 いやいや俺の月の手取りが15万ロナなので給料の八割が飲みに消える計算だ。

 いつもはリュコに自分の分は払わせてたのだが……油断した。 

 内心で鬼畜後輩野郎と呪いつつ財布を開く。

 前述の通り、安月給な俺の懐に10万以上の金などある訳もない。


「あのですね店員さん……」

「何でしょうか? お客様?」


 展開を察した店員の笑顔は固まっていた。

 笑顔なのだ。ただ冷徹で冷酷な方の笑顔だったんだ。


「……足りない分をツケに出来ませんか?」

「お客さん、うちはツケとかやらないですよ。払えないならチョイと裏まで来て貰いましょうか? タダ酒できるほど、うちは甘くは無いんでねぇえ?」


「お願いです。訳を聞いてください! 俺はあの女に勝手に連れてこられただけなんです! 止めろ! 引っ張るな! ああああああ嫌だァアアア!!」


 俺の悲鳴はバックヤードへと消えて行った。

 結局は有金6万6000ロナは回収され。未払いは閉店作業の手伝いをさせられた。

 皿洗いとか、掃除とか、在庫整理とか、会計の合算と売上計上とか……。

 後は……。


「あんさん、器用なもんだね?」

「いえいえ、前職で山ほどやってたんでこれくらいは慣れてます」


 包丁研ぎとか、コンロに使用されている魔石の調整なんかもやらされた。

 いいように使われているが、代金払えない自分にも非はあるので致し方ない。

 五徳とバーナーキャップを外し赤黒い石が姿を現す。これが魔石である。

 魔力を含んだ魔石は色ごとで性質が違う。

 黒ずんだ赤をしているが火の魔石なので鍛冶場で毎日調整していた簡単な作業だ。

 表面の汚れを拭き取り、劣化部分をやすりで削る。後は元の位置に戻すだけ。

 

 するとどうだ。


「おお! 以前より火力も上がって調節しやすい。 あんちゃんありがとな!」


 弱火や中火の切り替えも良くなり強火も安定した炎が出ている。

 なんでも買い替え予定だったらしいが、見た感じまだ一年は使える良物だ。

 魔石も意外と値段が張る。そのため今回の飲み代はチャラにしてくれた。

 お陰で最初は店員さんに無茶苦茶むちゃくちゃ怒られたが表沙汰おもてざたにならずに済んだ。


 それどころか「うちでバイトしないか?」と言われた……。

 仕事を辞めたばかりだったが丁重に断る。

 今の俺には目的も無いまま何かを始めることが怖かった。


 全てが終わり店を後にしたのは夜空の端が白んだ頃だ。

 季節はそろそろ夏へ差し掛かるが、朝方の空気はまだどこか肌寒い。

 自分もこの街で暮らしてかなり経つと思うが意外と知らない場所もあるんだなと思いながら見慣れぬ道をおおよその方角を目指して歩き出す。


「リュコめ今度会ったら全額請求してやる」


 薄暗い路地に人の姿は無く。となれば愚痴の一つも呟きたくなるものだ。

 後輩への怒りとは裏腹に自分が無職になったことが未だに信じられなかった。

 これから何をして生きればいいだろう?

 自問して空を見上げても何も変わらない。


 俺は何も変われなかったのだ。


「何にもなれなかった俺がこれから何になればいいんだか……ん?」


 漠然としない足取りで川べりの橋に差し掛かった時だ。

 鼻に付く妙な異臭がした。どこか嗅ぎなれない鉄錆の匂い。

 周囲を見回すと川の透き通る水に交じる赤褐色の何かがぷかぷかと水面を浮き沈みする。どうやら匂いもそこから来ているような気がした。

 いつの間にか食い入るようにそれを凝視する。


「なんかの果物か? それとも動物?」


 遠目でははっきりしない距離、まるで割れた果実の断面を彷彿とさせる鮮やかさ。しかし鮮度の良さに反して粘液と肉片の裂目はただただ生々しい。それが何かの頭部なのだと、悲壮を浮かべる男性の反面なのだと、そう理解した時は心臓が止まる思いだった。


「何だよあれ……?」

「あれはネ。失敗しちゃったんだヨ」


 思わず口にした疑問はあさっさりと背後で回答される。

 振り向いた背後には夜の闇の中に浮かぶ何者かの姿。

 薄闇に浮かぶ灰色のローブに身を包みフードで顔を覆う謎の人物がいた。


「そこまデ、驚くこと、ないジャないカ」


 フードの奥で囁く性別の偏りが無い声音は不気味なほど穏やかだ。

 ふと嫌な物が目に映る。


「その手に……持ってるのは……なんだよ……。」

「お兄さン、質問が多イね。それに答えはモウ出てるだろウ?」


 赤く色付く袖口の先に握られた片割れの反面、形を留めない中身はべちゃりと耳にこびり付きそうな音と共に石橋へ零れ落ちた。それは隋海ずいかい贋作つくりものではなく実物なまものだったという証拠だ。

 鉄錆の匂いが人血の香りと勘付けば意思とは関係なく体が反応を示す。


「うっ……おぇえええ」


 飲んで浮かれた気分と胃から込み上がる熱を川へ吐き出す。

 胃が空になっても不快感は晴れない。寧ろ悪夢が始まる序章ともとれる。


「ありャ? グロいのはダメだったか、失礼したネ」


 奴は悪びれも無い謝罪を口にすると手に握る肉塊をグシャリと握り潰し川へと捨てた。まるで壊れた玩具に興味が失せた様に。だが残念な素振りなどしない。なぜなら……。


「君の方が面白そウ。あのサ、私と今から鬼ごっこしないかイ?」

「嫌だと……言ったら?」


 俺の必死の質問も時間稼ぎにすらならない。

 灰ローブもそれを知ってかどうか微笑気味に答える。


「ハァ……君はこの場でバラバラになるだけダ」


 逃げても殺しに来る。逃げなくても殺される。

 ならば、この二択に対して選ぶ答えは決まってる。

 即実行とばかりに俺は灰ローブに背を向け全力で走り出す。


「遊んでくれるんだネ? 素直で嬉しいヨ。……素直な君に一つ希望を上げよウ」


 追うことはせず敢えてその場で俺との距離を確認する灰ローブ。

 俺が聞いているかなど関係ないとばかりに話を続ける。


「朝日が出るまで逃げきれたら君の勝ちダ。いいネ? それじゃ始めようカ」


 こうして俺の長い長い朝までの鬼ごっこは始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こちら修理屋シュレッガーです ほしくい @hosikui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ