第4話「災禍の狗・前編」

幸村との話を終えた俺達は、そのまま元子さんの宿に戻る事にした。


途中、俺は影井氏からメールが届いていないか確認した。

影井氏は今回のフィールドワークのスポンサーでもあり大事な情報提供者でもある。

それに神谷 静子との繋がりも何かないかと疑っていた俺は、昨夜の内にハクの事を影井氏に報告しておいたのだ。


メール受信ボックスの0件と書かれた表示を見て、俺は小さくため息をついた。


車内を重苦しい空気が支配していた。

気分を紛らわすためにラジオをつけてみたが、その内容はほとんど頭に入ってこない。


それだけ幸村から聞いた話が衝撃すぎたのだ。

幸村もまた、ハクの事でかなり衝撃を受けていたようだ。


幸村の話だと、当時の目撃情報によるハクの見た目は小学生高学年、少なくとも十は超えていたという。

しかも捜索隊が組まれたのは一度ではなく何度かあったらしく、結局見つけられず警察も役人も、子供達の証言だからと誤報扱いのまま、捜索は半年程で打ち切られたらしい。


別人、そう位置づけた方が現実的かもしれない。

子供達が見たハクは別の少女で……。

考えれば考える程頭の中は混乱するばかり、結局宿に着くまで、俺と椿は一言も交わさなかった。


フロントガラス越しに、くたびれた民宿の看板が見えてきた。


専用駐車場と、手書きで書かれた板が無造作に立てられている。

駐車場というより小さな空き地だ。

ギアを入れ替え車をバックさせる。

が、その時、


──キュキュッ!


タイヤが擦り切れるような音を立てながら、一台の車が駐車場から飛び出してきた。


慌ててブレーキを踏み車を止める。


「危ないな……」


走り去る車を横目で追いながら、俺は再び車をバックさせ駐車場に車を停めた。


「ただいまです元子さん」


宿に戻り扉を開くと、入口に元子さんの姿があった。


「ああ、あんたら、丁度いいとこに来たね、今……ん?なんだいこれ……」


元子さんはそう言って俺の足元に目をやりかがみ込んだ。


何か落ちている。

紫の小さな巾着袋のような物。


元子さんそれを手に取ると。


「中に何か入って……」


そう言って袋の中身を手の中に広げた。


その瞬間、


「ひいぃぃっ!」


突然、元子さんが驚くような声をあげた。


「大丈夫元子さん!?」


慌てて椿が元子さんの側に駆け寄った。


俺は元子さんの手からこぼれ落ちたそれを拾うと、角度を変えながらまじまじと見つめた。


粗砂にも似た白くザラザラした粉瘤物、石炭灰のような固形……。

これと似たようなものを、俺は大学の研究部で見た事がある。



「動物の骨……か?」


「骨?何でそんなものが……?」


椿が怪訝そうな顔で俺に聞いてきた。

すると椿に支えられていた元子さんが、


「さっきの……」


と、ぼぞりと口にした。


「さっきの?」


気になって聞き返すと、


「さっきあんたらが帰ってくる前に、二人組の男がここを訪ねて来たんだよ、しかもこの辺りで真っ白な髪の毛をした女の子を見た事がないかって……明らかにこの辺じゃ見かけない連中だったね」


「それって……ハクちゃんの事?」


椿の声に俺は頷く。


「だろうな。おそらく、さっき駐車場から出ていった車の奴らだろう……」


そいつらがコレを落としていったのだろうか?

手のひらの骨のような物を見つめながらしばし考える。


「元子さんはその男達に何て?」


「ふん、感じの悪そうな奴等だったからね、そんな子知るわけないだろ、客じゃないんだったらとっとと帰んな!って言ってやったさ」


元子さんはそう言ってニヤリと笑って見せた。


「あははは……」


椿が苦笑いで返す。


「俺、ちょっと今からハクの事探してきます」


「教授?だったら私も」


「いや、椿はここに残っててくれ、ハクと行き違いになる可能性もあるしな」


「あ、そっか……はい分かりました!」


「うん、じゃあ頼んだそ」


「あ、ちょっとあんた!」


扉を開け宿から出ようとしたとこで元子さんに呼び止められた。


「ハクの事、よろしく頼むよ……」


少し不安そうな顔をしながら元子さんが頭を下げてきた。


「はい、任せておいてください」


そう言い残し、俺は駐車場に停めてあった車へと一人乗り込んだ。


宿を出て、田んぼのあぜ道をしばらく走っていると、昨日ハクを途中まで送った森の入口までやってきた。

車から降り、急いで森の中へと入る。


日中とはいえ、鬱蒼と茂った森の中は予想よりも暗く感じた。

不意に昨日の熊のことを思い出し一人で来た事を後悔しそうになったが、今はそれどころじゃない。


ハクを探す男たちの事がどうしても気になる。

親類?とは考えにくい。

それなら元子さんが知っていてもおかしくないはずだ。

だとしたら一体……。


──ガサガサ


不意に前方から茂みをかき分ける音が聞こえた。

反射的に身を屈め、木々の間から様子を伺う。


人影がこちらに近付いてくる。

よく見ると二人組、どちらとも男だ。


「クソっ!こんな事ならあの婆さん締め上げてでも居場所を聞き出すんだったぜ」


「バカか、影井さんに目だった事は控えろって言われてるだろ」


影井……!?

その言葉に、思わず口から声が漏れそうになった。


今男達は影井と確かに口にした。

それが俺の知るあの影井氏なら、この男達と影井氏は知り合いという事になる。


どういう事だ?なぜ影井氏と繋がりがある男達が……まさか……。


そこまで考えて俺はハッとした。


メールだ。

昨夜俺が報告した内容にはハクの事だけが記されていた。

他の事は何も知らせていない。


影井氏は最初から神谷 静子ではなく、ハクの事を探していた?

なぜ?なぜハクを探す必要がある?


「一旦戻るか?」


「そうだな、やっぱりもう少し情報を集めよう。影井さんにも一度連絡を取ってみる 」


そう言い残し遠ざかっていく男達の足音。

木陰から顔を少し出してから、男達が居なくなるのを確認する。


もう大丈夫か?


「ふぅ……」


安堵のため息をついたその時、


「んぐっ!?」


背後から物凄い力で口元を押さえられながら体を引っこ抜くようにして持ち上げられた。


激しく尻餅を着くようにして地面に叩きつけられた。


「先生……?」


口元を抑える手から力が抜けるのが分かった。


「いってえぇぇ……は、ハク?」


打ち付けた場所を擦りながら顔を上げると、キョトンとした目で俺を見下ろすハクと目が合った。


「何で先生がここに?」


「えっ?あ、いや、ハクの事が心配で、その様子を見にだな」


「俺の事が?心配って、もしかしてさっきの奴らの事か?」


「あ、ああ、知ってる奴らか?」


俺が聞くと、ハクは首を横に振って見せた。


「だろうな、明らかに様子が変だし、元子さんの言ってた奴らで間違いないか……」


「おばばが?」


「おばばって元子さんの事か?」


「うん。おばばは良い奴だぞ。この服もおばばがくれたんだ」


「そうか、元子さん面倒見良さそうだもんな。似合ってるよそれ」


「へへへ」


そうやってハクは照れ笑いを浮かべる。


こうして見ると年相応の純粋無垢な女の子だ。

そんな子がなぜ……考える度に疑問が頭をよぎる。


「なあ、ハクはこの辺に住んでるのか?」


「ああ、すぐ近くだ。家に来るか?先生ならいいぞ!」


そう言うとハクは俺の腕を掴み無理やり立たせると、急かすようにして腕を引っ張ってきた。


「お、おい引っ張るなって」


「いいからついて来い!」


そのまま俺は森の中をハクに引っ張り回された。

苔の生えた倒木の橋を渡り、崖沿いの獣道をしばらく進んでいくと、崖下に古い木造の建物が見えた。


あれは……。


風化し腐食した壁、赤錆だらけの鉄門。

朽ちかけた入口には……。


「学校?」


俺がそう口にすると、ハクは振り返り俺が見ていた建物に視線やった。


「あっ、ここが学校だ!昨日先生にも話したろ?」


「あ、ああ……言ってたな……でもここってもう……」


そう、見るからにこの朽ちた建物、いや学校は、とうの昔に廃校となったのだろう。

草木が割れた校舎の窓にまで伸び、ツタは絡み放題、おそらくろくに管理もされていないようだ。


「前はここに皆いたんだ。俺は外で見てるだけだったけど、先生達からたくさん教えてもらった。でももう今はいない……」


そう言ってハクはもの哀しげな顔で俯く。


「ハク……お前、自分が今何歳とか分からないのか?」


「何歳?」


「歳だよ。ハクにも誕生日ぐらいあるだろう?」


「誕生日……歳?ううん、分かんないや。だって俺ずっとここにいるから、もう数えるのもやめちゃったし、数字覚えるの苦手なんだ」


顔を上げはにかむ様に笑うハク。


そんなハクの顔を見ながら、俺は愕然とした思いだった。


この子は間違いなく、幸村の言っていた、二十年前この辺りで目撃された少女で間違いない。

なのにこの見た目は……。


医学的に見てもそう言う症例がない訳でもない。


ファブリー病。

先天的な遺伝子疾患による病気で、その確率はおよそ五十五万人に一人と言われる程の難病である。

実際に海外でも、見た目は十二歳位の少年が、実年齢二十五歳という症例もある。


ただし、ファブリー病は人体にもかなり負担を強いるため、もしハクがそんな病気なら、こんな森の中で一人暮らせるわけが無い。

だとすれば、やはりハクの体には何か特別な……。

そう考えればあの時、ハクが熊から俺達を守ってくれた時の事も説明がつく。


「それよりもほら先生、もう着くぞ」


そう言ってハクは再び俺の腕を引っ張った。


廃校のある場所から斜面を登っていると、


「あれだ」


ハクが指を指して言った。

視線をやると、そこには小さな山小屋の様なものがあった。

ひび割れた壺や酒瓶、柄の折れたフライパンや鍋などが小屋を取り囲むようにして積まれている。


「ここがハクの家か……?」


「うん。母さんが用意してくれたんだ」


「母さん?」


ハクの言葉に思わず目を見開く。


「どうした先生?」


「は、ハクのお母さんってどんな人だったんだ?」


「どんな……?ううん……綺麗な人だったぞ、それに優しかった」


「一度しか会った事がないって言ってたよな?」


「うん。ここに連れて来てくれた時な、すごく悲しそうな顔してた……」


「そっか……その時、お母さん何か言ってたか?」


「いつか迎えに来るから、父さんと一緒に待っててって、だからずっと待ってるんだ。父さんは先に逝っちゃったけど、俺がいないと、母さん戻って来た時に困るだろ?」


「お父さんと……」


ハクは父親と二人でここに暮らしていたのか……。

その後は一人でここに……。


「ずっとって、どれぐらい?」


「さあ、分かんないや。言ったろ?俺数えるの苦手なんだよ」


そう言ってハクは後頭部をかいた。


「寂しくはないのか……?ずっと一人なんだろ?」


「学校の子達が居なくなった時は寂しかったな……多分俺だけ文字が書けなかったから置いてかれたんだと思う……だから俺、文字を覚えたかったんだ。覚えたらまた皆と勉強できるし、先生も戻ってくるかもって」


「だから文字を……?」


「うん!でも先生って周りにいなかったし、ずっと教えて貰えなかったから我慢してたんだ」


「元子さんじゃダメなのか?」


「おばばは先生じゃないだろ?」


「あ……いや、分かった」


ハクにとっては、勉強は先生という存在が全て教えるものだという認識なのだろう。


「その、色々聞いてごめんなハク、嫌じゃないか?」


「いいよ、先生優しいから」


「俺が?」


「うん!俺の事心配して来てくれたんだろ?」


「ま、まあな……でも今までだってハクの事心配して森の中を探しに来た奴らもいただろ?」


「居たな。でもあいつら嘘つきだ。何もしないからって言ってたのに大勢で俺を捕まえようとしてきたんだ、だから逃げた。ここは俺の庭みたいなもんだからな、誰も捕まえられない、逃げるのなんか簡単だ」


「なるほどな……皆と一緒にいるのは嫌か?」


「皆と?」


「ああ、俺や椿が住んでる所だ。そこでは皆が仲良く暮らしてる。勉強だってできるぞ」


「椿も?椿も優しいから好きだ。先生や椿も達と一緒に暮らせたら楽しいだろうな……おばばも?」


「も、元子さんもか?」


「うん!でも……やっぱり俺はここに残らなきゃ」


「お母さんとの約束か……?」


「うん……」


「そうか……お母さんの名前って覚えてるか?」


「うん覚えてるよ。静子って言うんだ」


「へえ、静……静子?」


思わず聞き返す。

ゴクリと俺の喉が大きく鳴った。


「うん」


「神谷……静子?」


「あぁ、うん、何かそんな名前だった気がする」


俺の問にハクはあっけらかんとした態度で答えた。


「う、嘘……だろ?」


唖然とする俺。

そんな俺をハクが心配そうな顔で覗き込む。

その瞬間だった。


突如ハクの背後から二人の人影が現れ、ハクの背中に何かを貼り付けた。


「きゃっ!!」


「は、ハクッ!?」


ハクが苦しそうに仰け反り叫び声を上げた。

そのまま体勢を崩しその場に崩れ落ちる。


直ぐに駆け寄ろうとハクに手を伸ばす、が、


「おっと、教授」


銀色に鈍く光る切っ先が、俺の鼻先を掠めた。


ナイフだ。


「大人しくしていてくださいよ」


「しかし凄いなこの札、影井さんの言う通りだ。それにこの狐の匂い玉。流石の犬の鼻もこいつのせいで効かなかったみたいだな。俺た達が近づいても全く気付きもしなかったぜ」


札?匂い玉?


どうやらあの札がハクに何かしたらしい。


ハクと男達を交互に見る。


「変な気は起こさないでくださいよ、何かしたらこの女がどうなるかは分かりますよね?」


そう言って男は倒れたハクに向けてナイフを構え直した。


「やめろ!」


俺がそう叫んだ瞬間


──ドンッ!


「ガッ!?」


首元に凄まじい衝撃と激痛が走った。


膝が崩れ落ち、前のめりに倒れ込む。


意識が昏倒すしてゆく。


「行くぞ、山頂で影井さんと待ち合わせだ」


「あいよ……」


男は吐き捨てるように言うと、ごとりと、大きな石を床に捨て立ち去って行った。









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