第2話 the Latter part

 それでも語学学校はいい所だ。陽気な担任講師は菓子をよく差し入れてくれるし、勉強面でもしっかりと面倒を見てくれる。何より彼は日本が好きなようだった。


「行ったことねーって言ってなかった?」


「そうさ、行ってみたいなー。特に僕はギフが好きなのでね!」


「なぜ岐阜だ?」


 週末の金曜日。クラス内で朝食中の彼と楽しげに話していたのは、見知らぬ日本人男性だった。髪は真っ赤に染めてあり、耳にはピアスが多数、加えて手には紺色のネイルが施されていた。見た目が明るくて、勝ち組らしくて正直少し怖い青年だ。きっと生きる世界が別の人間だろうと肌感覚で思う。


「やぁ、マサ」


「お、おはよう。えっと……?」


「彼はリク、日本人だよ。今日までは応用クラスで、次週からこの基礎Bに戻ってくるんだ」


「俺は倉本陸、よろしく!」


「リック、英語で」


「はーい、先生ー」


「頼むよ、生徒」


 日本人が同じ空間にいることは、想像以上に大きな希望となってくれた。

 その影響か、雅実はふと新しいことをしてみようと思い、学生寮までの帰宅路を歩いてみることにした。バスの窓から景色は見ていたし、曲がり角のほとんどない道であること確認済みだ。


「よし」


 バス停の方向へは曲がらず、大通りをそのまま直進した。車窓から見ていたコンビニエンスストアで道が正しいことを確認しつつ、信号待ちをする。


 実際に歩いてみると、頭で分かっていたことが感覚的にも現実味を帯びてくる。

道路は日本と逆の右側通行であること。信号は多くがタッチ式で、歩行者がスイッチに触れないとなかなか変わらないこと。


 なかなか新鮮なものである。


 楽しさついでにスーパーへも寄り、初めてじっくりと物色もした。調べ好きな母によると、そこは日本人にも大層人気らしい。しばらく散策した後、その日は水とヨーグルトだけを手に取り、レジへと向かう。折角なら自分でも調べてみたくなった。一覧表にしていろいろと試してみよう。


 思い立ったが吉日というわけでもないが、やることも特にないので、宿題と復習を終わらせて検索の波に乗ることにした。探せば探すほど出てくるため、つい時間を忘れて没頭する。そのおかげで夕飯への行動が遅くなった。


 結果、共用キッチンで思わぬ出会いをすることになった。


「ん?」

 赤い髪と多数のピアス、そして紺色ネイルの日本人。今朝見た男性と同じ人物らしかった。

「あれ? 確か基礎Bの?」


「あ、えっと……」


「ここに住んでんの?」


 突然のことに雅実は首肯した。どうやら彼もこの家に住んでいるようで、嬉しそうに話を続ける。


「夕飯は済んだ?」


「いや、まだ……」


「じゃ、どっか行こーぜ。そうだな、タコスとかどう?」


「え、ハイ」


 よっしゃ、と陸は嬉しそうな表情を浮かべる。雅実にとってその笑顔はとても眩しいものだが、不快感は全くなかった。

 道中でも店内でも彼は雅実の様々なことを聞いてくれ、逆に雅実からの質問に対しても丁寧に答えてくれた。

 陸は二歳年上の訳あり大学三年生だった。


「英語には敬語なんてねーの! だから対等でな?」


「わ、分かった」


「おし」


 互いにタコスを食べ終わり、長らく続いた押し問答は雅実の負けで決着がついた。店を出てからも話を続ける。


「あのさ、雅実。あんま思い詰めすぎんなよ」


「え」


「あれしちゃダメとか、こうしなきゃダメとかそういうのに拘りすぎんな」


「う、ん」


「俺も遠回りしまくってた訳だけどさ、こうして笑って飯食ってるだろ。立派に認めてもらおうなんて思わんでも、案外認めてくれるもんよ? 折角のアメリカだ、楽しもうぜ!」


 実感が伴ってはいなかったが、考え方が自然と見直されてくる。後ろや先ばかりを見て、今を見ていなかったのだ。



 翌週から雅実は歩いて通学することにした。景色を広げて、人々の動きを見たり、行ってみたい店のメニュー看板を見たりしながら学校へと向かう。


 その日の会話議題は「自分の勇敢な出来事」だった。いつもの如く、雅実は回答に困る。


「えっと……」


「決まってんじゃん?」


 隣席の陸が日本語でひっそりと呟いた。雅実と目が合うと、さらにその先の言葉を英語で紡ぐ。


「おまえがここにいることだ」


「そ……」

 そんなことでいいの?


 あまりにもぽかんとしてしまい、雅実は瞬きを繰り返すことで驚きを伝えた。すると陸は楽しそうに、にっこりと笑ってある質問を投げかけた。


「なぜ、ここにいる?」


「それは……変わり、たいから」


「変わりたいと思った。それを行動に移した。一人で海を渡って、遠くこのアメリカまで来た。俺はそれが勇気あることだと言える。他のみんなはそう思わないか?」

 陸が呼びかけると、あちらこちらから声が上がる。


 マサミは十分に勇気あるよ! 一緒に楽しんでいこう!


 そんな言葉が飛んできた。


 じわりと目尻に涙が溜まる。張り詰めていたものが解かれる感覚があった。


「さあ、マサミ。君にとって『自分の勇敢な出来事』は?」


 目元を拭い、そう問いかけた先生を真っ直ぐ見て答える。

「私が、アメリカのここにいること!」


 クラスルームが拍手と喝采に溢れる。こんな経験はなかった。


「それで良んだよ、雅実」


「うん!」


 他人からの評価は目的ではなく結果だ。それがじわじわと染み込んできた。


 今を認めて未来へ歩んでいく。


 段々と不慣れや変化を不安に感じることは少なくなった。

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君を認めてくれるもの 久河央理 @kugarenma

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