5. under the sea

「……ううん……ここは?」

 目が覚めると、どうやら私は屋上にいるみたいだった。よく見知っている学校の屋上。でも、記憶の中ではそれは夜だった。というより、先程まで確かに夜だったはずだ。

「……?」

 困惑して周囲を見渡すと、人影が目に入る。あまりにも自然にそこにいるから、一回見逃してしまった。

「え……?」

 再び見直して、確信した。

 雫。

「雫……?」

 間違いない。

 去年、死んだはずの。

 冬杜雫が、そこにいた。

 情報を飲み込んで、次にその景色を理解して、私は考えるより先に身体が動いていたようだ。

「雫!」

 雫はフェンスに登っていて、上半身を乗り出していた。

 いつ落ちてしまうか不安で仕方なくて、きっと駆け出したんだと思う。

 フェンスの下に伸びている、雫のきれいで長い足に抱きついた。

「ちょ、何、って、結唯?」

「雫、死なないでよ!私を置いていかないで!!」

「え、何?何の話?」

「いいから降りてよぉ!」

「わ、分かったから放してって」

 雫がフェンスから下りてくるのを慎重に見届けて、私は泣き出してしまった。

「ちょっと、なんで泣いてるの」

「だって……だって雫が死ぬかと思って……私、怖くて……」

 背の高い身体も、さらさらな髪の毛も、青い宝石の付いたピアスも、くすんだ赤い瞳も、私より大きな手も、全部、本物だった。

「馬鹿だなあ、結唯。私は死なないよ。絶対に」

「本当に……?」

「うん。約束する。だって私は、足の生えた人魚姫にはならないから」

「人魚姫……」

 雫は何かと人魚姫の話を持ち出していた。今回もそうだ。本当に雫がそこにいるんだと実感する。

 そして、彼女が自ら命を投げ出すような人でなかったことも。

「ねえ、雫。私、前から言いたかったことがあるの」

「なに?」

「私ね、人魚姫、読んだことないの?」

「本当?」

「本当だよ。だから、人魚姫が足映えるとか、そんな話よく分からないで聞いてたの」

「なんだ……言ってくれれば良かったのに。これじゃ私、馬鹿みたい」

「馬鹿だよ雫は」

「なにそれ」

 私と雫は笑いあった。私は泣いて、ぐしゃぐしゃになりながら笑った。

「ねえ、雫、約束しよ。今度あったら、もっと話そう。私たちのこと。ちゃんと、全部」

「うん。約束する。もう隠し事は嫌だよ。結唯」

 そう言って雫は小指を立てた。

 その小指に私の小指を絡めようとした瞬間。

 私は、目を覚ました。

「……起きた?」

「……ここは」

「現実。学校の屋上よ。あんたが暴れるからちょっと手荒に止めさせてもらった」

 横を見ると恋がいた。空は暗くて、星が見える。私は仰向けに寝ているらしい。

「今の……」

「私の能力。ちょっと意識を過去に飛ばしてたの。どれくらい飛んだかは私にも分からないけど。何を見ていたの?」

「……雫に……私の親友に会ってきた」

「雫……亡くなった?」

「うん……」

 恋は知っていた。いや、知ってしまったと言うべきなのだろう。きっと、私を心配して調べたんだ。

「ねえ、恋。私の話、聞いてくれる?」

「ええ」

「私、ずっと後悔してたの。雫の死んでしまったことを後から知ったことを。私にはあの子しかいないと思ってたし、あの子にも私しかいないと思ってた。だから、雫が私を置いていくわけがないと思ってた。だから、あの子が死ぬところに、私がいられなかったことが、ずっと嫌だったの。それは、私が雫と一緒にいられなかったことや、雫が一人で死んでしまったことや、他にもたくさん、悲しい理由があったの」

「うん」

「でも、何より嫌だったのは、みんなが雫のことを忘れようとしていたこと。雫のことに触れることは、まるで許されないことのようにしていたこと。あの子が死んでもそんな扱いをされないといけないことがすごい嫌だった」

「うん」

「でも何より嫌だったのは、そんな空気が嫌で嫌で仕方なかった私自身が、雫のことを隠そうとしていたこと。私が恋に出会って友達になれても、私は雫のことを恋に打ち明けようとしなかった。私は互いに踏み込まないことが理想だと思っていたけど、でも、それは違ったの。私は、私だけは、雫のことを忘れちゃいけなかったのに、私が一番、雫のことを忘れようとしていたの」

「うん」

「でもどうしようもなかった。私のことを分かってくれる人はだれもいなかった。話したとしても、分かってもらえるか怖かった。大人たちみたいに、恋も、私のことを分かってくれないんじゃないかって、そう思うと、心が苦しかった。だから、私は……」

 そこから先は言葉にならなかった。

 私はひたすら泣きじゃくっていた。生まれてから一番泣いたんじゃないかってくらい泣いた。

 恋はその間、黙って背中を擦ってくれた。

「落ち着いた?」

「うん……」

 目が腫れて痛い。でも、痛みよりも、吐き出せた喜びのほうが勝っていた。

「……私には、結唯のことは分からない。でも、失った苦しみと、残された悲しみは、人より理解できると思う」

「恋も、残されたことがあるの?」

 恋は返事をせず、ただ微笑むだけだった。

「いなくなってしまった人を忘れる必要も、隠してしまう必要も、まして大っぴらにする必要もない。必要なのは、自分の中にその人がいるということを認識すること。そして、置いていくことじゃなくて、一緒に連れて行くことだと思う。それがどんなに苦しいことでも」

「一緒に、連れて行く……」

「あくまで私のやり方だけどね」

 考えたこともなかった。

 雫は死んでも、私の中にいる。当たり前だけど、でも、何故か忘れていたような気がする。

「……ありがとう、恋。私、がんばる」

「うん」

 恋と一緒に夜空を見上げる。星はあまり見えなかったけど、それで良かった。


 その後は大変だった。

 まず学校の色々を泡にしたことを怒られたし、そもそも福万来夕夏を消してしまったことはもうどうにもならない。

 でも、恋がどうにか時間圧縮の能力で時間を巻き戻したことで、なんとか事なきを得た。

 あまりにも都合が良すぎるけど、でも、起きたことは事実だ。

 私は、前と変わらず学校に通って、恋と一緒にいる。

 でも、前と違うこともある。


「恋、ありがとう。お墓参り付いてきてくれて」

「いいのよ別に。むしろ無関係なのに付いてきてよかったのかって感じだし」

「いいんだよ。雫に、今の私は元気だぞーって見せつけてやるんだから」

「いいの?私、嫉妬されるのは嫌よ」

 恋が冗談を言って笑う。

「いいの!だって、私の一番の友だちは、もう二人になったんだから!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Shea 水野匡 @VUE-001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ