エピローグ

「さて…」豊橋が腕組みをほどいてから言った。「ある程度状況は飲み込めただろう。次は、自分達の命の心配をする事にしよう」

 そうだ。それが何より重要だ。フロルは、自分が俺たちに気づかれずにコデックスを持ち出せなかった事を失敗と言った。それは違う。もしそうだとしたら、俺とフロルが出会った段階で、既にフロルは失敗していた事になる。

「フロルよ」俺は道具箱からカッターナイフを取り出すと、フロルのタイラップを切り落としてやりながら、言った。「今、お前や俺たちが会話した内容は、盗聴されているのか?」

 フロルは、それは解らない、と言った。

「でも、カナヤマが受け取ったICカードには、ちゃんと1万ドル分のチャージがされていたと思うよ」

 まじか。

「であれば、盗聴されていると考えた方がいいだろう」豊橋が言った。「ぺちゃくちゃ喋るべきじゃなかった」

 俺はかぶりを振った。

「ワームホールの出口がこの部屋になっているのは、アノニマスの何等かの意図や操作があるとみて問題ないだろうな。どの道、奴らはここにやってくる筈だ」

 俺の言葉に、フロルは頷いた。

「そうか、ならば、とり得る手段は2つだ」豊橋が言った。「コデックスを起動させ、どこか別の時空間へ俺たちが逃げ込む。さもなくば、コデックスをアノニマスに渡して命乞いをする」

「断然後者だ」俺が言った。「有松を交渉人に仕立て上げる」

「いいぞ、金山」豊橋が言った。「いつものお前に戻りつつある。だが、何も知らない有松を巻き添えにするのはやめておけ。俺ほどの善人だと、寝覚めが悪くなるリスクがある」

 ミクルの表情が緩むのが解った。それで、俺は少しだけ安心した。

「箱の繋がる場所や時間は、調整できるのかしら」ミクルが口を開いた。「例えば、少しだけ過去に行ける、とか、少しだけ未来に行ける、とか」

「やり方はあるのかもしれないけれど、ボクが解る限りでは、現状は殆どランダムだね」フロルが言った。「一度ワームホールを作れば、箱側で操作をしない限りは繋がりっぱなしになるみたいだけれど、解除してしまうと同じ時空間には、今の箱ではつなげないと思う。ただ、ミクルが言う通り出力を絞る事はできる」

「となると、繋ぎっぱなしにしておき、ワームホール内に逃げる、という手はあるのか」俺が言った。「それか、豊橋があの猫の死体をダークウェブで購入する前の時間帯に戻るか、だな」

 豊橋はかぶりを振った。

「行先がランダムとなれば、指定して移動するのは不可能に近い。そして、俺たちにはもう一つの道がある」豊橋が言った。「俺たち自身が、アノニマス側に加担する、という方法だ」

「なんだと」俺は反射神経で言った。「悪の組織の一員ぶるのはかなりエモいが、消されるリスクの方がどう考えても高い」

「だが、欲しい筈だ。人材としては。少なくとも、俺にはコデックスを完成させた技術がある。お前は、実際にコデックスの被験者としての経験値を持っている」

 俺は、フロルの方を見た。フロルは、否定も肯定もしなかった。

 途端、スタジオのインターフォンが鳴った。予測していなかった音に、俺は不意に体を震わせた。

「どうした、有松か?」豊橋が言った。「だとしたら迎え入れるべきではないな。これ以上犠牲者を増やしてもcicadaのチャンネル登録者数が増える訳でもなかろう」

 俺は急いでインターフォンのディスプレイをオンにした。畜生…。

 そこに映っていたのは、例の黒装束に死神お面野郎だ。

「おい、もう時間がない」俺は、室内の全員に向かって声を張り上げた。「選択肢がないなら、迷うよりも行動に移した方が得策だ」

 俺の言葉に、フロルが表情を曇らせ、肩が振るわせ始めたのが解った。豊橋は、また腕を組んだ。

 俺は部屋に戻りながら、自分を納得させるように、小さく何度もうなずいた。

「いいか、よく聞け」俺が言った。「コデックスを使って新しいワームホールを作る。ミクルとフロルの尻を蹴っ飛ばしその中に放り込む。それからワームホールを閉じる。俺と豊橋は死神野郎をこの部屋に迎え入れ、命乞いをする」

「就職活動の間違いだろ」

 豊橋が言った。俺は時々、この冷静さと皮肉に救われている。

「心配なのは、お前たち2人でうまくやっていけるか、という事だ」俺が、ミクルとフロルに向かって言った。「運よく近い過去か未来の地球上に行けたとしても、そこで生活していけるのか」

「カナヤマ、そこは安心して」フロルは立ち上がると、短剣を腰に佩いた。「ボクはナイフを始めとした護身術の訓練を受けているし、現代社会の知識も持っているんだから」

「そうか」俺は目を細めてフロルを見ながら、頷いた。「レベル1が良く言うぜ」

 俺の言葉に、フロルは微笑んだ。それで、俺は少しだけ安心した。

「さて、そろそろ時間切れだ」豊橋がいつの間にか充電していたスマホからケーブルを抜きながら言った。「残念だが、誰かさんがワームホールで遊んでいたお蔭でcicada10484のチャンネルは削除されずにそのままになっている。ライブキャストが俺たちを救ってくれるだろう」

「カナヤマさん…」ミクルが言った。「色々と、本当にありがとうございました」

 俺は、ミクルが差し出した手を握り、握手をした。

「礼を言われるのは慣れていないから気にするな。俺は、ミクルの女勇者としての哀しき人生を終わらせる事が出来た事と、これからミクルが自分自身の人生を歩める事を嬉しく思っている善人だからな」

 ミクルは寂しそうに微笑んだ。

「本当は、わたしがカナヤマさんに果たさなければならない約束があったのではないですか?」

 俺は笑った。

「その事でナンジェーミンとビンラディンとアトレーユに謝る必要があるのは、俺だけだ。もし次に奴らと会う事が俺の人生であり得るのであれば、俺から任務失敗の報告をしておこう。正直、俺はずっと悩み続けていた。AV監督としてな。AVは既に、あらゆるシチュエーションがやりつくされてしまった。でも売らなきゃならないから、苦肉の策を採った。つまり、タイトルをやたら長くしてシチュエーションを先に語ってしまう事で、できるだけ手に取られやすくした訳だ。この考え方は、最適ではなかったがましだった。各レーベルが真似を始めるくらいには効果があった。そのうち、この考え方は、同じくコンテンツがサチってしまった業界に伝染した。それが、ライトノベルだ。なろう系小説のトップを席巻するラノベのタイトルが、毒にも薬にもならない、既にシチュエーションですらない面白くもなんともない粗筋の羅列に変わった時、俺は罪の意識を感じざるを得なかった。AVのタイトルを使ったマーケティングは、youtubeやニコニコなんかのタイトル戦略やサムネ戦略を経てラノベ業界を強姦し、文化をハチャメチャに破壊してしまった。もう誰も文学になんか興味はない。精神世界や社会風刺を描く事には価値がない。何故なら、誰も読まないから、ビジネスとして成り立たないからだ。現代社会におけるレーゾンデートルとはビジネスとして成立する事であり、それはつまり極限まで消費者を甘やかす事だ。稼ぐ側が、教育したり導いたりしてやろうなんて思ってはいけない。貧困と少子化で現実世界や人生が既にオワコン化してしまっているから、現実逃避をするための合法ドラッグが必要だったんだ。それは良く言ってもマトリックスの世界だ。だから、俺は、フロルが言うところのラノベ世界に移動してしまった時、これはチャンスだと思った。ラノベの世界に合理的な説明を付け、そこに文学的情緒や皮肉、アイロニーを加える事でピカレスクを形成すれば、コンテンツは再興し、AVの新時代を俺は築ける気がした。この帰結は意外だったが、フロルとミクルに会えた事は悪くなかった。お前らだけじゃない。ナンジェーミンにビンラディン、大橋さん、アトレーユやゴブリンの女王だってそうだ。仲間なんて言葉は到底使いたくないが、俺もお前たちも、確かに息づいているという現実感が、この世界をましな物にしてくれている。俺は、お前たちに心から感謝する」


 ミクルはUSBをコデックスから外すと、握りしめた。扉は、再びロックされた。

 それから、もう一度USBをコデックスに挿した。コデックスは再起動した。扉のロックが解除された。

「繋がったのか?」

 俺は、豊橋に言った。

「俺が知る訳ない、と言いたいところだが」豊橋が返してきた。「恐らくな」

「多分大丈夫だよ」フロルが言った。「今回は出力をかなり絞ったから、時間も空間もそんなに捻じ曲がらないと思う。地球上の、どこかの時代に辿り着くと思うよ」

 俺は、フロルからコデックスを受け取った。

「うまくいけば、次に会う時、俺は、お前と同じ悪の手先って訳だ。魔王の名は俺がほしいままにするから、玉座は空けておくんだな。魔王は男の娘、よりも、魔王はAV監督、の方が、まだ救い様がある」

「必ず、迎えにきてよね」フロルは、不安そうな目で俺を見上げながら、言った。「きっとだよ」

「へっ」俺が言った。「こういう別れ方は俺の趣味じゃない。未練がなくなったなら、さっさと行ってくれ」

 フロルは寂しげな表情で、フッと笑うと、小さく手を振ってきた。

 俺は、頷いた。


 フロルとミクルは、扉の方に向き直ると、大きく深呼吸をした。

 それから把手を掴み、静かに扉を開けた。


                                   おしまい

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AV監督だったけれど異世界ファンタジーに転生しちゃったから女勇者をそそのかしてAV撮ってレベル1のままラスボスと戦うハメになった件 ぼを @Bopeep_16

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