最後の感情を残すなら?

ちびまるフォイ

人間らしい感情

"おめでとうございます!悲しみの感情を取得しました!"



頭の中で声が聞こえると、これまで意識しなかったことも気付けるようになった。

何が楽しいかわからない悲劇の映画も感情移入できるようになる。


「これが悲しみか……」


人間経験値が増えると使える感情が増えていく。

感情の解放状況はひとそれぞれで、おそらく自分は遅いほう。


笑うという感情をまだ獲得できていないせいで、周りからは不機嫌そうな顔に見られて遠ざけられる。


そうして人との関わりが減ることで人間経験値を貯めるチャンスがなくなる。

いつまで経っても感情を獲得できない悪循環。


「俺に笑顔の感情があればなぁ……」


悩んでいたある日のこと。

ネットで見つけた感情引き換え所へ足を運んだ。


「いらっしゃい。なにかいらない感情はおありですか」


「悲しみ感情がいらないんで、笑顔の感情を俺にください!」


「わかりました。ただし、引き換えたあとでやっぱり戻すのはできませんよ」


「かまいません!」


人間経験値で解放された悲しみの感情を手放し、新たに笑うという楽しさの感情を獲得した。

悲しい顔をしているよりは笑顔の人のほうが好かれる。

これで人気者になれるだろう。


効果はすぐに現れた。


「山田さん、今日はすごく笑顔だね。普段は死にそうなほど悲しい顔をしているのに」


「やっぱり笑顔のほうがいいと思いまして」


「そのほうがいいよ。それじゃ、この仕事は山田さんに任せるから。明日までによろしくね」


「えっ」


理不尽な扱いを受けても自分が出せる感情は笑うことだけだった。


「笑顔で受けてくれるなんて、山田さんは本当にいい人だ」


同僚は笑いながらさっさと行ってしまった。

このことを他の人にも話したのか、みんなこぞって自分のやりたくないことを押し付け始めた。


それでも自分が使える感情は笑うことだけ。


「あ、あはは……」


どんなに引きつっていても笑顔であれば、それは好意的と受け取られてしまう。

笑顔で何でも受け付けるなんでも屋さんになってしまった。


「はぁ……疲れた……」


その日も夜遅くまで押し付けられた仕事を処理しているときだった。

ただひとつ使えるはずの「楽しい」感情が出せなくなっていた。


「おかしい……楽しい感情が出てこない!」


これまで好きだった小説を読んでも何も思わなくなってしまった。

一気に世界は灰色に感じてしまう。


こうなったのも原因はひとつだった。


感情は人間経験値を貯めると獲得できるが、人間としての成熟度である経験値がなくなれば感情も没収される。


人とかかわることなく毎日会社と家の反復作業をしていたことで、

人間経験値が失われて使えていたはずの感情も使えなくなってしまった。


自分の顔からは表情が消えてしまう。


「せっかく感情を手に入れたのにこれじゃ意味ないよ……」


ふと目に飛び込んできたのは感情塾というものだった。

会員費を払って入塾すると、感情マスターがみんなの目の前に立った。


「みなさん、この感情塾にきたということは

 感情を失ってしまって辛い思いをしているということでしょう!

 でも安心してください。私が必ず感情を取り戻して差し上げます!」


参加者は感情マスターに手を合わせておがみはじめた。


「人間の中でもっとも手に入れやすい感情はなにかわかりますか。

 そう、それは怒りの感情。ひとつの感情を取り戻せれば、

 あとは芋づるのように感情を取り戻すことができます!」


塾生はマスターの指示により別室に通されると、

身動き取れないよう椅子に固定されてからひどい仕打ちを受け続けた。


「さあ怒るのです!! こんな仕打ちをされても我慢しようという気持ちを捨てなさい!!」


「痛ってぇ!」


「もっと怒るのです!! 他人にどう思われるかなんて気にしない! 自分を解放するのです!!」


「あーーもう!! さっきから痛いんだよこのカルト教祖がぁーー!!」



"おめでとうございます!怒りの感情を取得しました!"



抑圧できないところまでたまった感情の引き金が怒りとなってあふれた。

ついに自分も感情塾で感情を取り戻すことができた。


「やった。これでだんだんと感情を取り戻していけるはず」


怒りの感情を捨てて、別の感情へと変えることができる。

感情引き換え所で怒りの感情を捨てて、別の感情へと引き換える。


「ああ……久しぶりだ。こんなに楽しい気持ちになれたのは!」


取り戻せた楽しい感情に心が浮かれる。

まだまだ取り戻したい感情は山ほどある。


疲れる人間関係をちまちま続けて経験値を稼ぐよりも、

怒りの感情を何度も手に入れて引き換えるほうが効率的だ。


「山田さん、この仕事を明日までによろしくね」


目の前に書類の山を置かれたとき、頭の中に声が響く。


"おめでとうございます!怒りの感情を取得しました!"


声が聞こえたときには口が動いていた。


「はぁ!? 毎回そうやって人に押し付けてんじゃねぇ!!」


「んなっ……君、なんだねその口の聞き方はっ!」


「口の聞き方の話はしてねぇんだよ、日本語もわからないのか。

 こっちはてめぇの管理能力のなさを指摘してるんだよハゲ!!」


怒りの感情はコツさえつかめればろくに経験値を貯めなくてもすぐに獲得できた。

もっとも獲得難易度の低い感情なのだろう。


どうして今まで自分を抑えて生きてきたのか。

怒りの感情が教えてくれたのは自分を抑えると他人が増長するということ。


自分の居場所を守るためには感情を出して主張していかなければならない。


「あんたは間違ってるんだよ!」

「どうしてこんなこともわからないんだ!」

「何度言わせるんだ!! 理解してからこい!」


怒れば怒るほどに、怒り以外の感情を手に入れて表情豊かになっていく。


周りからは人が離れて人間経験値も得られなくなったが問題ない。

だんだんと他の人から表情がなくなり感情にとぼしくなっていったが構うものか。


俺が怒って感情を失うのは本人の問題だ。

怒らなければこっちが感情を失ってしまうのだから。


「まったく、どいつもこいつもバカばっかりだ!!」


"おめでとうございます!怒りの感情を取得しました!"


また失った怒りの感情を手に入れた。


「さて、次はどんな感情にしようかな♪」


喜怒哀楽のベース感情は怒りの感情であらかた取り戻せた。

今度は上位感情である「切なさ」「わびしさ」「愛おしさ」などがほしくなっている。


感情引換所に気分良くスキップしているときだった。


「あ」


ふと目についたのは自分に向かってまっすぐ突っ込んでくる車だった。

フロントガラスにはキレる対象としてよく使っていた部下の顔が見えた。


車に跳ね飛ばされたときには体はバキバキになっていて、

たくさん得た感情がいっぺんに押し寄せる。


痛みや疑問、悔しさや悲しさ、怒り。

いくつもの感情があふれてくる。


べちゃっと地面に叩きつけられてからも顔は感情の渋滞を起こしておかしな表情になっていた。

車から降りてきたかつての部下はまだ息があることを確認してから言った。


「先輩のせいで僕はたくさんの感情を失いました。どんな気持ちかあなたにわかりますか?」


「た……助け……て……」


這いずる自分の姿を見て部下は最後に残された感情を出した。

ふたたび車でひこうする部下の顔は、楽しそうな笑顔だった。

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