第十四章

 結局、ユリウスは眠ることができず、夜明け前に寝床を抜け出してしまった。音を立てないように飛行服に着替え、S01シュルーケンのもとに向かった。

 まだ、月明かりが残る空には、星がくっきりと輝いてる。きっと今日も快晴だ。

 東の空がほんのりと明るくなってきた。まだ、濃紺と薄青の合間のような色だった。そこに数個の黒い点があった。

 ユリウスの眼には、はっきりとノイエ・デモクラティアの爆撃機として映っていた。

「敵襲!」

 ユリウスは声の限り叫んだ。

「敵襲! 東南東から、敵爆撃機来襲、数、確認できるだけで六!」

 徹夜で作業を続けていた整備兵たちが、ユリウスの声に気が付いた。

「ユリウス! 本当なんですか?」

 最初にかけつけたのは、近くにいたアーレだった。

「出撃します! S01の機銃はいけますか?」

「もちろん動きますけど。え、ティーゲルハイト小隊の離陸は最後の予定で…」

「そんなこと言ってられません。今から上がります」

 ユリウスは操縦席に上がり、エンジンをかけ、滑走路に出ようとした。するとS01シュルーケンより先に、滑走路に出た機体があった。

 L25改キーリャだった。

「先に上がる」

 キリエは無線でそうユリウスに告げると、軽やかな離陸を見せた。

「上がれる機体からすぐに離陸しろ! 滑走路に爆撃を受けると、空に出られなくなるぞ。地上で無駄死にだけはするなよ!」

 そう言い残すと、キーリャは空に舞い上がった。こうなるともう誰も止めることはできなかった。キーリャに続いてシュルーケンも離陸した。その後を準備が整った機体から次々と上がってくる。

 相手は100キロ爆弾を抱えた爆撃機だ。滑走路に爆撃を受け、穴があいてしまうと、何機戦闘機を持っていても無用の長物となってしまう。

 ユリウスが空に出ると、前方に敵機とL25改キーリャの姿あがった。キーリャは正面から敵が撃ってきても避ける動作もしない。射程距離を見切って、届かない弾をわざわざよけたりしないのだ。敵機に潜り込むように下からすれ違うと、キーリャは宙返りを半分し、背面飛行のまま、敵の後ろについた。そしてその飛行姿勢のまま、敵機の翼端を機銃で打ち抜いた。一機を落した後、背面飛行から、機体をひねりながら通常飛行に戻す途中で、もう一機を堕とし、わずかに旋回して、さらに一機を堕とした。それはあっという間のできごとだった。驚くべきは、L25改キーリャの機動性だった。羽の生えた猫だとアーレが言っていたが、本当だった。ある意味この機動性を抑えて、普通の戦闘機のように乗りこなしていたカールの技術を見直した。

 キリエは、敵機のエンジンではなくて、翼端を狙っていた。なぜなら、エンジンをやられたとしても、この手の爆撃機は、ある程度滑空して飛び続けることができるからだ。ここはあまりにもノルトシュットランド基地に近すぎる。滑空してノルトシュットランド基地までたどり着きそのまま腹にある爆弾を投下されたら、元も子もない。

 その反面、飛行機というものはバランスを崩されると飛び続けることができない。だからキリエはわざと翼端を狙っていた。

 ユリウスの目の前で、次々と敵機が翼を撃ち抜かれて墜落していく。その様子を呆気にとられてみていると、キリエの怒号が飛んだ。

「ユリウス! そっちに一機いった。絶対に基地へ行かせるな!」

「了解」

 ユリウスの乗るS01シュルーケンの腹には爆弾がある。とてもではないが、L25改キーリャのような動きはできない。それでも、いままで丸腰だったシュルーケンとは違い、いまは、自分も戦える武器がある。

 正面の敵から、同時に自分に向かって機銃が発射される。それをかわしながら、ユリウスは初めて操縦桿を握り締め、機銃を発射した。

 キリエのように翼端を狙うなどという器用なまねはできない。とにかく敵の腹にある爆弾に直撃しないようにだけ気をつけ、できるだけ、翼のどこかにあたるようにとだけ、意識を集中させた。

 ユリウスの弾は当たるには当たったが、墜落させるまでには至らなかった。

「後ろは任せてください!」

 ノルトシュットランド基地から続々と上がってきたL25が、ユリウスの後方支援に入ってくれた。数が上がってくれば、戦闘機と爆撃機だ。こちらのほうが有利なのは間違いがない。

「ユリウス、ここはもういい。索敵を頼む。敵母艦の位置は?」

 キリエからの無線が入る。ユリウスは敵機が飛んできた東南東の方を探したが、敵の艦影はない。こちらの目をごまかすために、迂回してこの空域は入ってきた可能性もある。相手もそう簡単に母艦の位置を明らかにするわけはないのだ。

 ユリウスは、旋回しながら徐々に高度を上げていった。少しでも高度をとって視界を広げるためだ。海面を見るために、機体を斜めに傾ける。こういうとき腹に爆弾を抱えているとバランスを取りにくい。傾けた瞬間、荷重が嫌な感じでかかり、引っ張られてしまう。

 眼を凝らしてゆっくりと旋回を続ける。やはり東南東には、敵の艦影はなかった。ふと、視界の端に白い波が見えたような気がした。大きな艦が航行すると、波の跡がつくことがある。その線を視線だけでたどっていくと、島影に隠れるように一隻の航空母艦の姿があった。

「敵艦発見、東北東、キッツィンゲン列島の東端に敵母艦。今から爆撃作戦に移ります」

「ひとりで作戦が遂行できるとでも、思っているのか」

 無線から入ってきたのは、オスカーの声だった。

「高度を下げろ。爆撃作戦の基本は編隊飛行だ。飛行学校で何を習ってきた」

 索敵のためにS01が飛べる限界まで高度を上げていた。確かにこのまま敵の上空まで飛ぶことは難しい。そして、敵の戦闘機が出てきたら、自分ひとりでは敵艦までたどり着くことはできないだろう。

 ユリウスは、ティーゲルハイト小隊の一員なのだ。護ってくれる人がいて、護りたい人がいる。

 ユリウスは徐々に高度を下げ、ティーゲルハイト小隊の編隊に合流していった。

「下じゃ、ずっと離陸の順番待ちさ」

「爆撃部隊は、後回し。いつものことじゃないですか」

 アルベルトがぼやくと、カールも後からその話にのっかった。

「お姉ちゃん、自分だけ先に離陸するなんて、ずるいよ」

「ごめん。たまたま、シュルーケンの側にいたから、すぐ上がれただけ」

「お母さんもだよ。どうして起こしてくれなかったの。二人だけ先に離陸してるなんて!」

 キリエもこの状況で眠ってなどいられなかったのだろう。きっとユリウスと同じように愛機の側で夜明けを迎えたのだ。だから、ユリウスが敵の襲撃を見つけたとき、すぐに反応することができた。

「それにしても、ツェッペンベルグ少佐の腕はまったく落ちていないな」

 アルベルトは溜息まじりにそう呟いた。実戦に出たのが数年ぶりとは思えないほどの戦いぶりに、みな感心するというより、引いていた。キリエが敵でなくて良かったと、心の底から思ったに違いない。

「おれ、L25改をお返して良かったです。おれでは、あの機体の実力を百分の一も引き出せてなかった」

 カールの機体は、今日からL27に戻っている。

「そりゃ、ツェッペンベルグ少佐とキーリャは一心同体だからな。おまえもそのL27を新しい愛機として可愛がってやればそれでいいんじゃないか」

「…了解」


 ユリウス以外のものの眼にも、敵の艦影が捕らえられる距離にまで迫っていた。

「ユリウス、作戦は覚えているか」

「もちろんです」

 オスカーの問いかけに対して、ユリウスは即答した。

 メンメルト海域で、ユリウスは爆撃に失敗した。敵艦の機関部を狙い、爆弾を投下したのだが、滑走路にわずかなへこみをつけただけだった。

『考え方を少し変えてみるといい』

 キリエは、昨日ユリウスに向かってそういった。

『その艦には、小型戦闘機が搭載されていたのだろう。いわば、敵の空軍基地だ』

『…はい』

『海軍や陸軍の基地にはなく、空軍の基地にだけあるものは何か、わかるか?』

『空軍の基地にだけ?』

『このノルトシュットランドにもある。ヴェストホーフェンにもだ』

 ユリウスは、今となっては懐かしいヴェストホーフェン基地の様子を思い出した。駐機場に並ぶいくつも戦闘機。S01のための格納庫。官舎、食料庫、基地にあってひときわ高い管制塔。

『……管制塔』

『そうだ。飛行機を安全に離陸、着陸させるためには、管制塔からの指示が必要だ。それは航空母艦であってもかわりない』

『そう言えば、あの航空母艦は、艦橋だけが不自然に高かった…』

『艦橋が管制塔を兼ねているということだろう』

『そこを狙えば…』

『そうだ。しかも艦橋は、滑走路ほどの強度は必要ない。ということは、現状の100キロ爆弾でも破壊できる可能性はある。しかし』

『的が小さすぎる…』

 敵の直上機銃の射程距離を逃れ得る高度を保ったままの爆撃では、甲板を狙うだけでも難しい。それなのに艦橋を確実に破壊するとなると、難易度が段違いだった。

 だが、敵の母艦は強度が桁違いすぎて、艦橋以外のどこを狙ったとしても大した傷にはならないことは経験済みだった。

『やるしかない、ということですね』

『さすがわたしの娘。よくわかっているじゃないか』

 キリエは笑みを浮かべ、ユリウスの肩を抱き寄せてくれた。


「まず、クラリス。敵母艦の艦橋を狙って、爆弾を投下」

「了解」

「それに引き続いて、ユリウス」

 オスカーがいつもの冷静な声で、指示を出した。

「了解」

「おまえの後はいない。外すなよ」

 クラリスはこれが初陣だ。初陣の作戦としては難易度が高すぎる。当たれば儲けもの程度で考えておくしかない。

 しかし、ユリウスはこの一年近く、ティーゲルハイト小隊の爆撃機として、積み重ねてきた経験がある。今度こそ失敗は許されない。

 ユリウスたちの斜め後方では、友軍機と敵機との交戦が激しく続いている。ある意味、そこで敵の大部分を惹きつけてくれているため、こちらが手薄になっているのだ。それでも、敵艦もこちらに気付いたようで、甲板に残されていた、数機の戦闘機が離陸してきた。

 カールが近づいてきた敵に威嚇射撃を浴びせた。その容赦ない撃ちっぷりは、途中で弾切れを起こすのではないかとユリウスを心配させるほどだった。

 護衛として、S01とS02の周りを離れることができない、三機は、爆撃に最適なポイントまで手を引いてくれているのだ。自由に戦闘に移れない分、厳しい威嚇射撃を続け、二機の爆撃機に近づかせまいとしてくれている。

「クラリス、準備はいい?」

「うん」

 ユリウスが聞くと、いつになく真剣な声でクラリスが答えた。

「わたしもすぐに行く。頑張って」

「了解。S02ヴォルケンシュパッツ、行きます!」

 敵機からの銃撃が止む瞬間を見計らって、クラリスが編隊を離れ、降下しはじめた。うまく自重を使って、機首を下げ敵艦に向かっていく。艦橋の真上に来た瞬間、クラリスは爆弾を投下した。

『早すぎる…!』

 ユリウスは心の中で、そう叫んだ。

 クラリスが投下した爆弾は、艦橋をすり抜け、甲板で爆発した。何かが飛び散ったような様子はあったが、爆撃の煙が収まると、やや甲板にへこみができたただけだった。かつてのユリウスと同じだった。

 煙が完全に消えてしまう前に、ユリウスは降下を始めた。機首をできるだけ下に向け、自重に加えてエンジンの回転を上げた。

 さきほどのクラリスの攻撃で警戒心に火のついた敵艦は、容赦なく直上機銃で、S01を狙ってくる。それをよけるために降下する速度を上げたのだ。ほぼ垂直に近い角度を保ちながら、降下している機体の脇を機銃の弾がすり抜けていく。そのうちの何発かは、どうしてもS01に当たってしまう。翼に、胴に、尾翼にまで容赦なく敵の弾が突き抜けていく。

『ごめん、シュルーケン…。あと少しだけ、わたしに力をちょうだい』

 機体が傷ついても、角度のある降下姿勢を取っているS01シュルーケンは、そのまま敵母艦に近づいていく。

 S01シュルーケンは、ティーゲルハイト小隊と合流する前に、索敵で多くの燃料を使っていた。たとえこの爆撃が成功したとして、基地までもどるだけの余力など残っていないだろう。ならば、今自分にできる最善を尽くしたい。

「ばか、あいつ、体当たりするつもりか! ユリウス、おい、ユリウス!」

 無線をつんざくようなカールの声がする。

 ユリウスの頭にあるのは、確実に艦橋に爆弾が投下できる高さまで、降下する。それだけだった。

 かなりの速度がでているため、もうこれ以上回避行動はできなかった。敵の弾が当たっとしてもそのまま突っ込むしかなかった。

 眼前に敵艦の艦橋がはっきり見えたとき、ユリウスは爆弾を切り落とした。

 すぐに止まることはできず、わずかに操縦桿を握り、艦橋の横をすり抜けるように、S01が落下していく。

 ユリウスが切り離した爆弾は、正確に艦橋を捉え、大爆発を起こした。

 腹の重い荷物がなくなり身軽になっていたS01は、その爆風に煽られ、バランスを崩した。すでに翼にいくつもの機銃を受けていたS01シュルーケンは、その爆風に耐えることはできなかったのだ。

 敵母艦がさらに二度目の爆発を起こした。おそらく燃料に火がついたのだろう。一度目の爆発とはくらべものにならない規模だった。敵艦の腹に真一文字のひびが入り、海へ沈んでいく。その衝撃は、あたりの海水を相当な高さまでまきあげた。その爆風と沈没が起こした縦波に抗う術はなかった。


 敵母艦が沈む渦の中に、シュルーケンとユリウスは巻き込まれていった。

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