第十三章

 新しくティーゲルハイト小隊に配属されたクラリスには、S02ヴォルケンシュパッツが割り当てられた。ヴォルケンシュパッツというのは、小雲雀のことだった。ユリウスよりも更に小さなクラリスが搭乗できるよう、操縦席には工夫がこらされていた。

「クラリス、おまえ、眼は大丈夫なの?」

「わたしは、何度やっても薬が適合しなかった。失敗作なんだって。だからザルツハイム博士が亡命するとき、わたしをノイエ・デモクラティアには連れていかず、リヒテン・ライヒの飛行学校に入学させたんだと思う」

 だが、薬が適合しなかったからこそ、こうして再会できたのだ。何が幸いするかわからない。

「それより、お姉ちゃんの眼のほうが心配だよ」

「うん、大丈夫。まだ見えてる」

「そんなの、大丈夫じゃない!」

「大丈夫。作戦を成功させるまで、それまで見えていればいいんだから」


 ユリウスが仕留め損ねたノイエ・デモクラティアの航空母艦が我が物顔で航行しているとの情報が入っていた。その母艦の上には、二十機以上の小型戦闘機が搭載されている。主にメンメルト海域にいるとはいえ、空母となれば、それは海上を動き回る航空基地と同じだ。放置しておけば、ヴェストホーフェン基地が陥落したように、戦況は悪くなる一方であることは明らかだった。

 だからこそ、キリエは自分が戦場に出て指揮を直接執ることを切望したのだ。基地の指令室で作戦を伝えて、その結果を聞くだけの日々にずっと苛立ちを感じていた。基地に籠っていたは、戦況はつかめない。かわいい部下たちが、撃ち落とされ、帰還できずにいるのを指をくわえて待っているのは、キリエの性分には合わなかった。

「この小型戦闘機が面倒だな…」

「火力は弱いですが、軌道力はL25より上かと。それにとにかく数が多い

 キリエの言葉に、若手の小隊長が、意見を出しはじめる。司令室で、士官以上のものが集まって、作戦の立案に当たっていた。この指令室の主は、退官まじかの老大佐だが、作戦にはほとんど口を挟まなかった。挟もうにも、海軍の経験しかなく、国防大臣からの命令で異動したに過ぎない自分が、お飾りであることを自覚しているようだった。

「爆撃機も搭載していますよ。ヴェストホーフェンを急襲した奴らです」

「そうだな。まずはそいつらを確実に仕留めないと、我々は帰る場所がなくなる」

「ヴェストホーフェンのときは、基地への急襲があることは読めなかった。今回は、それを織り込み済みだ」

「心配しなくても、小蠅はわたしがなんとかしよう。問題は制空権の維持だ。少なくとも、S01,S02が、確実に爆弾を投下できるよう、空を抑える必要がある。そこを討議してもらいたい」

 キリエの新しい問いかけに、また議論が白熱する。こうしている間にもノイエ・デモクラティアは勢力を高めているだろう。リヒテン・ライヒに残された時間は、多くはなかった。


「いやぁ、びっくりしちゃいましたよ。ザルツハイム二飛じゃなくて、ツェッペンベルグ二飛が、あのツェッペンベルグ大佐じゃなかった、少佐のお嬢さんだったなんて。それにしても、ややこしいな」

 三日後、整備班の面々がようやく、マールスフェルト基地から輸送車で異動してきた。アーレに事情を説明すると、心から喜んでくれた。

「あの、ツェッペンベルグ少佐が、同じ姓のものが部隊に三人もいるとややこしいので、わたしとクラリスのことは名前で呼んでもかまわないって」

「やっぱりツェッペンベルグ大、じゃなかった少佐は話がわかる人だな。じゃあ、改めて、ユリウス、S01の調子はどうですか?」

「とても良いです。ただ…」

「ただ?」

「聞いていませんか? S01を改造するようにって」

「聞いています。機銃を付けるようにと」

「できるんですか、そんなこと」

「できます。簡単じゃないですけどね。S02ヴォルケンシュパッツ、あれは、S01に機銃をつけ、機動性を改良した機体です」

「でも、あの。わたし、背が伸びて、少し体重も増えてしまって」

「ああ、それを気にしていたんですね。ヘッセ准尉くらい大きくなってしまうと難しいと思いますけど、五十キロくらいまでは大丈夫です。実は、装甲をS02と同じ板金にしたので、全体的に一割ほど機体の総重量が軽くなっているんです。だから機銃も搭載できるんですよ。ユリウスは痩せすぎです。もっとちゃんと食べて、普通になってください」

「了解…です」

 体重の話をこれだけはっきりとしたのは初めてだった。自分のことを太っていると思ったことはないけれど、S01シュルーケンの負担にならないよう、できるだけ今の自分から変わらないよう努力してきたけれど、周りはユリウスが成長しても大丈夫なように、ちゃんと考えてくれていたのだ。

「お姉ちゃん!」

「あ、紹介します、妹のクラリスです」

「ああ、これは可愛いな。整備士のアーレ・ノイマンです。S02ヴォルケンシュパッツの整備担当もわたしになります。よろしくお願いしますね。ユリウスが赴任してきたときも驚きましたけど、それよりまだ小さいですもんね。御幾つですか?」

 小さい、小さいと言われ続けているため、クラリスの機嫌がちょっと悪くなった。

「十二歳です。もうすぐ十三歳になりますけど」

「そうやって、ちょっとでも上に見られようとするところも、可愛いですよ」

「そんなぁ」

「大丈夫ですよ。ここには、あなたが小さくても侮るような人は誰もいません。それはユリウスがこれまでに、しっかりと戦果をあげてきたからです。あなたのお姉さんのこと、誇りに思ってください」

「了解です!」

 クラリスはにっこり笑って、敬礼を返した。

「姉妹といっても、あまり似てないですね」

「ツェッペンベルグ少佐の話では、クラリスは父親に瓜ふたつだと。わたしたちの父親は顔だけは一級品だったと話していました。会ったことがないのでわからないのですが…」

「そうですか、ではユリウスは母親似とういことなんでしょうか? 少佐にはあまり似ていないようですが…」

 ユリウスは心配になってきた。クラリスと再会できたことは心の底から嬉しかったが、キリエが母親だったということがどうしても信じられないのだ。キリエがというより、自分に親がいるというのが、どうしても信じられなかった。

「本当に血が繋がっているんでしょうか…?」

「お姉ちゃん、それ絶対にお母さんの前で言わないでね。泣くよ」

「ツェッペンベルグ少佐が泣くって、それ怖すぎです。ユリウス、わたしが似てないっていったこと、忘れてください。お願いしますよ」

「大丈夫、お姉ちゃんにはわたしがいるから。ね!」

 クラリスは天使のような笑顔でそう言った。

 正直、ユリウスは、クラリスほど愛想よくにこにことできる性格ではないので、この誰にでも可愛がられるところを羨ましく感じていた。もっとも一番クラリスのことを可愛がっているのは間違いなくユリウスだったのだが。


 作戦決行は明日の朝と決まった。

 ユリウスはS01シュルーケンに背を預けて、月を見上げていた。ヴェストホーフェン基地にいたときは、シュルーケンは格納庫に入れてあることが多かったが、ノルトシュットランド基地では、まだ格納庫は使えないため、こうしてすべての機体が外の駐機場に並べてある。

「やっぱり、ここだったな」

「カール、ヘッセ准尉…」

「ユリウスなら、シュルーケンの側にいる気がしてさ」

「なんだか眠れなくて」

 ユリウスの部屋は、キリエの部屋と同じになった。もともと宿舎の数が足りていないこともあり、幹部で一人部屋をあてがわれいたキリエの部屋に二段ベッドを入れたのだ。そこでクラリスと一緒に寝ている。ただ、まだキリエと一緒にいるのにどうしても慣れることができなかった。

「飲むか?」

「いえ、お酒はちょっと…」

「何勘違いしてるんだ、紅茶だよ」

 そう言って、紙コップをユリウスにわたしたアルベルトは、自分の分にはちゃっかりブランデーを足していた。このノルトシュットランド基地では、食料の配給だけはきっちりとされており、わずかではあるが嗜好品も手にいれることができた。

「母親とうまくいってないのか?」

 アルベルトが冗談めかしてそう言った。

「たしかにツェッペンベルグ少佐は、母親って柄じゃないよな。こんなに大きな隠し子がいたなんて、いまだに信じられん。しかも二人もだ」

「信じられないのは、わたしもです」

 そう言うと、三人とも笑った。

 月明りが優しく照らしている。こんな夜は眠っているクラリスを抱いたまま、よく月を見上げていた。

「昔、クラリスと一緒にいた頃、ノルトシュットランドで暮らしていたんです」

「ほお、奇遇だな。おれもいたことがあるんだ。ここの滑走路を見ていると懐かしくてね」

「ノルトシュットランド基地にいらしたんですか?」

「ああ、ユリウスとカールは知らないのか。大空襲の前まで、ここに飛行学校があったんだ。おまえたちのときには、もう移転していただろう」

「ええ、帝都の近くでしたね」

 カールがそう答えた。ユリウスは、アルベルトの言葉に少しひっかかりを覚えた。

「ヘッセ准尉はあの空襲のとき、このノルトシュットランドにいたのですか?」

「あの時は散々だった。模擬弾しか搭載してない訓練機で退避したんだ。敵に狙われたら丸腰という状態で、各地の基地へ散っていった。あのとき、オスカーが行方不明になって」

「行方不明って、どういうことなんですか?」

 ユリウスが必死になって聞き出そうとすると、アルベルトはその勢いに負けそうになった。

「ああ、それがだな。あいつだけ集合命令が出たってのに来なかった。仕方なく、滑走路にあいつの機体を置いたまま、みな離陸したんだ。周りの建物は空襲にあって、あちこち焼け落ちてるような状態で、酷いもんだったよ」

 確かにあの空襲は酷かった。八年たったいまでも黒く焼け焦げたまま放置されている場所が多く残っている。

「そのまま、何か月か連絡が取れなくなって、戦死したんじゃないかって話まで出て」

 あのとき、オスカーが集合時間に遅れたのは、ユリウスを助けたていたからだ。集合場所となる基地を確認することができず、最寄りの基地へユリウスを降ろした後、また出撃していったからだ。まるでパズルのピースがはまるように、記憶の欠片がは埋まっていく。

「ティーゲルハイト少尉は?」

「自分の機体のところにいるんじゃないか。こんなとき、することは、大抵同じようなものさ」

 ユリウスは、走ってオスカーの機体を探した。この基地の主力はL27で同じ機体がずらっと並んでいるため、すぐには見分けがつかない。尾翼に星のマークを探しながら走っていたら、何かにつまづきそうになったとこを、襟首を後ろからつかまれた。

「ありがとうございます。あ、ティーゲルハイト少尉!」

「上を見て走ると危ないぞ。ちゃんと足元を見ろ」

「あの、少尉。聞きたいことが……」

「なんだ?」

 オスカーは軍服の胸ポケットから煙草を一本とり出すと、火を点けた。

「大空襲のとき、ここで、子どもを…」

「おまえも思い出していたのか」

「おまえもって? 気づいてらしたのですか? あの時、訓練機に乗せた子どもがわたしだとわかっていたのですか? いつから?」

「そうだな。おまえがヴェストホーフェン基地に着任したとき」

「どうして、言ってくださらなかったのですか?」

「ユリウスが覚えていなさそうだったから」

 オスカーは初めて、ユリウスのことを名前で呼んだ。

「覚えていないのではなくて、まさかあのときの少年がティーゲルハイト少尉だとは思いもよらず」

「おれは変わってしまったか?」

「いえ、実は、ほとんど顔を覚えてなくて。申し訳ありませんでした。そして、あのとき助けていただいて、本当にありがとうございました」

 あのとき、オスカーがユリウスを操縦席に乗せてくれなければ、命はなかったかもしれない。オスカーは愛想が良いとはいえないが、本音のところではとても優しい人間だ。一年近く側で過ごしていて、それがとてもよくわかっていた。大空襲のさなか、ちいさな子どもを地上に残して、自分だけ飛び立つようなことをする人ではないのだ。それは、少年の頃のオスカーと少しも変っていない。ただ、ユリウスが気付けなかっただけなのだ。

「ユリウスは大きくなったな」

「はい」

「あの時はひざの間に乗るくらい小さかったのに、今じゃ座席をずらしたとところで、とても無理だ」

 オスカーは煙をふうっと吐いて、少し笑った。

「背が、三センチも伸びたんです」

「そうか。まだ伸びるだろう」

「あまり、伸びると困ります。シュルーケンに乗れなくなる」

「この戦いが終わったら、乗る必要がなくなる。だから、背が伸びても、体重が増えてもいい。おまえはこれから大人になるんだ」

「ティーゲルハイト少尉…」

 オスカーは吸殻を足で踏み消すと、わざわざ拾いあげてポケットにしまった。

「本当は、駐機場は禁煙でな。吸殻なんか見つかったら、シュナイダー曹長に半殺しにされる」

 今日のオスカーは本当によく笑う。

「もう、寝よう。明日は早い」

「了解」

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