第四章
ユリウスの初陣から三か月が経ち、ティーゲルハイト小隊の戦績は目をみはるものになっていた。初陣では、敵旗艦の爆破はかなわなかったものの、重巡洋艦の撃沈に成功したため、明らかな失策とみなされず、その後も続けて任務に駆り出されていったからだ。
初陣での失敗は、爆弾投下時の姿勢制御の問題だと気付いたユリウスは、次の作戦から切り離し時の反動も計算に入れた上で、投下するように変更していった。すると、命中率が格段にあがったのである。
しかし、やはり高高度からの爆撃が難しいことには変わりはなかった。敵艦主砲の射程距離ぎりぎりまで高度を下げ、ときには、敵弾をかいくぐりながらの作戦になることもあった。
そうやって無理を重ねながら、なんとかユリウスは戦績を積み重ねていった。
そして、今日のように友軍とはぐれても、ひとりで爆撃を遂行するようになっていった。
「ザルツハイム二飛。わかっているな、独房行きだ」
S01シュルーケンで着陸したユリウスにむかって、オスカーはそう言い放った。
今日の作戦で、ユリウスが基地への帰還命令を無視して、単機で敵艦に向かっていったからだ。
想定外の敵襲にあい、ティーゲルハイト小隊はやむを得ず、散開するしかなかった。おのおのが一旦雲中に逃げ込んだが、敵軍の数が多く、どうしても振りきることができず、手間取った。逃げ回るということは、燃料を消費するということだ。これは空戦では致命傷になりかねない。
ユリウスにもそれはわかっていた。燃料という点では、このシュルーケンが一番不利だった。100キロ爆弾はなによりも燃費に影響する。オスカーが帰還を命じたときには、すでに、爆弾を抱いたまま基地に帰還できるだけの燃料は残っていなかった。腹にある爆弾を海に捨てるという選択肢はユリウスにはありはしない。
だから、あのとき自分の眼で捉えた敵艦に向かって飛んだことを後悔などしてはいなかった。
「ユリウスにも困ったもんだな…」
飛行帽を脱ぎながらアルベルトがそう言うと、オスカーが苦虫を噛み潰したような顔で振り返った。
「おれは間違っていたのか…」
「いや、おれがオスカーでも、帰還せよと命令するね。あの突撃をみたときには、背筋が凍ったよ。敵艦に向かって急降下するなんてやりすぎだ」
「どうすれば、あいつを止められる」
「無理だろ。何かにとりつかれたようだ。しかも、あの離れ業をやり遂げられる能力があるときたもんだ」
フィアバッハ艦隊が敗れたあと劣勢に追い込まれると思われていたリヒテン・ライヒ軍は、キリエ・ツェッペンベルグが率いるこのヴェストホーフェン基地の活躍により、戦線を持ち堪えていた。それは、このティーゲルハイト小隊における艦隊爆撃の成果が大きかったからである。
ヴェストホーフェン基地の中で、ティーゲルハイト小隊を真似た爆撃小隊がいくつか編成されたが、残念ながら、思ったほどの戦果をあげることはなかった。
戦艦をも一発で撃破できる100キロ爆弾を搭載できるのは、S01シュルーケンだけであり、その機体を操縦できるのは、ユリウス・ザルツハイムしかいなかったのだ。
「よう、シフェラー、ツバメちゃんのお守りは楽でいいな」
最後に着陸したカールが、機体から降りてくると、後ろから戦闘機乗りたちがからかってきた。
「L27をあてがってもらっても、護衛だけやってりゃいんだからさ」
「首席さまは、三か月たっても、いまだ撃墜数ゼロときたもんだ」
最新鋭の戦闘機であるL27は本来、爆撃機の護衛に使うような機体ではなかった。その本領が発揮されるのは空戦である。
しかし、キリエ・ツェッペンベルグは、シュルーケンの護衛にL27を三機もつけた。確かにシュルーケンの爆撃には、それだけの価値があるからだ。
戦闘機がどれだけ空戦で、空域を確保したとしても、二つの大陸を分かつ大洋がある限り、雌雄を決するのは結局のところ艦隊戦なのだ。となると、艦隊同士が直接ぶつかる前に、空からの攻撃でどれだけの艦を沈めることができるかが勝負の分かれ目に大きくかかわってくる。
巡洋艦クラスになってくると、25キロ爆弾を数発くらったぐらいでは、沈みはしなかった。しかし、100キロ爆弾となると、話は違ってくる。当たり所が悪いと一発くらっただけで、戦艦でも撃沈する場合があるのだ。
「おれも、そのツバメちゃんの護衛だがな」
カールをからかっていた操縦士の肩を、オスカーが後ろから叩いた。
「ティーゲルハイト少尉…!」
「あのツバメは、おれが落とす敵機よりも、大物を文字通り沈めてくれている。護衛する価値があると思うんだが、貴様はどう思う」
「あ、あの、その…」
「ずらかれ!」
カールをからかっていた面々は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。
このヴェストホーフェン基地の撃墜王(エース)に睨まれては、この基地では生きてはいけない。とくにオスカーは整備士たちから絶大な支持を受けている。自分たちがオスカーの直属の部下の新兵をいびっていたことが知られると、どんな仕返しが待ち構えているか、わかったものではないのだ。
「すみません、少尉…」
「なぜ、おまえが謝る? おまえはシュルーケンの護衛として、十分な力を発揮している」
「でも、初陣から三か月を過ぎても、撃墜数がゼロなのは事実ですから」
特にカールは、編隊の先頭を任されることが多く。自分の機体の陰にシュルーケンを庇い、敵艦の上空までたどり着くことだけを第一に任されている。派手な空戦とは縁遠い。
「少尉は、同じように護衛の任にありながら、出撃のたびに戦果をあげておられるのに…」
「カール、こいつみたいなのがごろごろいてみろ、とっくにデモクラティアとの戦争なんて終わってるって。おれだって、護衛に入ってからは、撃墜数はゼロだ。それよりも、シュルーケンに一発もくらわせてないってことを自慢していいんだぜ」
「ヘッセ准尉の言う通りだ。我々の任務は護衛だ。それを果たして、なぜ卑屈になる必要がある? おまえはあのじゃじゃ馬の世話を良くやっている」
「…少尉」
「それより、ちょっと聞きたいことがある。ユリウス・ザルツハイムは、飛行学校ではどんな奴だった。同期の目からは、どう見えている」
オスカーからの以外な質問に、カールはすぐに返答ができなかった。首に巻いていた白いマフラーをはずし、手で丸めながら、飛行学校の頃のユリウスを思い出そうとしたが、うまくいかなかった。
「あいつとは、飛行学校の頃、ほとんど話したことがなくて…」
主席と赤点すれすれの劣等生だ。必然、カールの周りに集まっていたのは、成績上位の優等生たちが多く、そのとりまきのなかにユリウスの姿はなかった。
「そもそも、十四歳で入学するはずの飛行学校に、十二歳で入ってくるなんて、悪目立ちしすぎていて、誰もが遠巻きにしていましたよ」
女子というだけで目立つのにもかかわらず、二歳も下で入学を許されたというのだ、どんな優等生かと思いきや、成績は下から数えていつも五本の指に入る劣等生。
しかし、訓練機に乗ると同じ人間かと思う動きを見せた。
「にしても、十二歳で入学、十四歳で卒業というのは特例すぎるな。ぶっちぎりで優秀だってんなら話はわかるが、劣等生だったんだろ」
アルベルトがそう言うと、カールはうなづきかえした。
「ええ、そうです。後でわかったんですけど、あいつ、字が読めなかったらしくて、授業の内容を全部耳で聞いて覚えていたらしいんです。でも、結局、試験のときには字で回答を書かないといけないので、ほとんど白紙で、出していたらしいです」
「どうして、それで退学にならなかった…?」
「おれもそれが不思議でした。でも、実技の訓練をみていてなんとなくそれがわかったような気がしました」
二歳も年上の少年たちに交じっていながら、走り込みや、腕たせ伏せなどは、遅れずについてきていた。持久走などは、互角以上の成績だった。
そして、実際に飛行機を使った飛行訓練が始まると、その飛びっぷりに、普段はからかう側だった少年たちが、一目置くようになった。
「とにかく、物怖じしないんです。模擬空戦のときなんて、ありえない距離から機銃掃射を浴びせてきて、接触ぎりぎりまで攻め立てるんです。模擬弾なので当たっても色がつくだけですが、機体ごとぶつけられて落ちるんじゃないかって、引いてしまう奴らも多くて…」
その頃のことを思い出したカールがくすりと笑うと、アルベルトが横から質問してきた。
「とは言っても、カールは引いたりしなかったんだろ」
「だからこそ、おれが、空戦訓練でも首席だったんですよ。負けたのは爆撃訓練の一科目だけですから…。話がそれてしまいまいたね。とにかく、ユリウスは飛行学校ではいつも一人で、友だちと呼べるような人間はいなかったと思います。それに、孤児院育ちと聞いてますし」
「戦災孤児か…?」
「さすがに、そこまで立ち入った話を聞いたことはありません」
両親が揃っているのなら、十二歳というのはまだ町にある小学校に通っている歳である。ただ、孤児の場合、志願兵ということで、十二や十三から、兵役に就く者も多い。兵役に就けば、衣食住が保証されるからだ。
とは言っても、後方勤務で、料理を作る厨房兵となって従軍したり、軍需工場に配属されるのが普通だ。
飛行学校に入学するというのは、特例中の特例だろう。
「なぜ、あれほど戦績にこだわる…?」
オスカーがつぶやくようにこぼした言葉に答えられる者はいなかった。
ユリウスは、飛行服から軍服に着替えると、扉の前に待っていた当番兵に連れられて官舎を出た。
独房行きは、これで三度目だ。いずれも、命令違反による懲罰だった。アルベルトからは、あんまりやんちゃをすると、昇進に響くぞと言われたが、ユリウスにとってはそんなものはどうでもよかった。
半地下になった独房に入れられて、鍵を閉められると、小さかったころのことを少し思い出してしまう。あの頃も日当たりの悪い部屋に押し込められいたからだ。
冷たい床に座り込み、膝を抱えると、軍服の裾からくるぶしがはみ出していた。このヴェストホーフェン基地にきてから三か月。わずかだが、背が伸びたのだ。
今朝、シュルーケンに搭乗するときにも、アーレに操縦席の位置を調整するかと聞かれた。人からみても、背が伸びたのがわかるのだろう。
十四歳というのは、成長期の真っ只中で、人によっては一年に十センチ伸びたりするものだ。小柄でやせっぽちのユリウスの背が伸びるのも何もおかしなことではなかった。
それでも、ユリウスには、許されることではなかった。
軍服の裾を掴むとぎゅっと下に引き下ろそうとしたが、背が縮んだわけでもなく、当然、顔を出したくるぶしはそのままだった。
膝を抱え寄せて、その上に顔を伏せると、小さな声が漏れてしまった。
「なんで、背なんか伸びるんだろ…」
「そりゃ、伸びるだろ。成長期なんだからさ」
「カール…」
独房に顔を出したのはカールで、その手には湯気の上がっているトレーがあった。
「メシ。食えよ」
「…いい」
「出撃で昼抜きだったんだ。腹が減ってないわけじゃないだろ」
午前に出撃がある場合は、一時間以上前に食事を摂る。一度空に上がってしまえば、食事はもちろん、水も飲めない。作戦によっては、昼食がなくなるのは珍しいことではなかった。
カールが独房の下にある食事を出し入れする小窓からトレーを差し入れたが、ユリウスは水の入っているコップに手を伸ばしただけだった。
「ティーゲルハイト少尉が言ってること、おれは、間違ってないと思うけどな」
命令違反をした部下をそのままにしておくことはできない。今日の判断も決して誤ってはいないようにカールには思えた。どちらかと言えば、ユリウスが勝手に敵艦に突っ込んでいったのだ。それを咎めない上官などいないだろう。部下の命を惜しまない上官がいるなら、そのほうがよっぽどたちが悪い。
「なんで、護衛機とはぐれたまま、単独行動したんだ」
「敵艦が見えてた」
「おまえの眼だけにな」
「そう、わたしの眼だけに。だから、わたしに付いてこれないし、付いてきてもらわなくても、ちゃんと爆撃できる」
「おいおい、それじゃ、おれたちは何のためにいるんだ」
「わたしなんか、護ってもらわなくてもいい。わたしは、ちゃんとひとりでできる」
「おまえさぁ、飛行学校で習ったこと忘れたのか? 爆撃行動の基本だろ」
爆撃機は爆弾を積載するため、どうしても駆動力に欠ける。そのため、戦闘機で編隊を組んで護衛しつつ、爆撃ポイントに向かう。これが爆撃行動の鉄則だ。
「でも、わたしの眼に見えている敵が、カールにも、少尉たちにも見えない…」
「なら、説明しろよ。おれたちを信じろ。おまえの爆撃を成功させるために、おれたちがいるんだ」
ユリウスにはその時間がもどかしいのだ。敵が見えたら、すぐにそのポイントに向かいたい。自分に気付く前に、敵艦に爆弾を投下して、一隻でも多く、確実に沈めるのだ。
そうしないと、この戦争が終わらない。
ぐずぐずしていると、ユリウスの背が伸びて、体重も増えて、そして、この眼がもっと紅くなって、いつかS01シュルーケンには乗れなくなる。
「まあ、話はもういい。メシ。せっかく持ってきたのに、冷めるだろう」
「……持ってきてくれてありがとう。でも、食べたくないから」
「だめだ、食え。栄養不足で貧血でも起こしてみろ、出撃名簿からおまえの名前、消されるぞ」
その脅しが一番聞いたのか、ユリウスはトレーからスプーンを取り、薄いスープを口に運んだ。
「おまえの眼に映っている敵は、おれたちの敵でもあるんだ。護ってやるよ。だからひとりで突っ込むな…」
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