第三章
「ティーゲルハイト少尉、さすがに勘弁してくださいよ。それに、もうすぐ日没じゃないですか」
着陸してきた、シュルーケンS01の状態を確認しながら、アーレがそうぼやいた。
「日没まで、あと一時間はある」
「一時間しかでしょ。それに、燃料だってただじゃないんです。このツバメちゃんの大喰らいはご存知でしょ」
「へらず口を閉じて、手を動かせ」
オスカーの命令にもアーレの舌はとまらない。ここ数日、夜が明けると同時に訓練を開始し、燃料を補給するためだけに降りて、ろくな休憩もない。下で機体の状態を確認している整備班の面々も休むことなく、双眼鏡で機体を確認し記録を取っている。嫌味のひとつくらい言ってやりたい気持ちもわからなくはなかった。
「そもそも、少尉や、准尉はともかく、新兵のお二人は、慣れない機体でずっと飛びっぱなしで、へとへとなんじゃないですか」
「いやぁ、新兵じゃなくても、へとへとさ」
そう言ったのはアルベルトだ。飛行帽を脱ぐと、額から汗がひとすじ流れ落ちる。
「おまえが、泣き言を言うな、アルベルト」
「アルベルト。ね。おまえも疲れてるんだろ、小隊長殿」
「……」
思わず親友を名前で呼んでしまったオスカーは、決まり悪そうに口を閉じた。こんな風に、気持ちを表情に表すことは、本当に珍しかった。
確かに連日の編隊飛行訓練は、飛行学校の訓練とは比較にならないほど厳しいものだった。しかし、そのおかげで、文字通りひよっこのユリウスが、完全にとは言えないまでも、
「オスカー、今日の訓練は切り上げだ。あそこを見ろ、伝令兵がこっちに向かってくる」
アルベルトの言葉に、オスカーが振り返ると、小走りでこちらに向かってくる少年兵の姿が見えた。それでもユリウスよりは、ひとつ、ふたつは、上だろう。やはりこの基地で、ユリウスの存在は異質なものだった。
「ティーゲルハイト少尉、作戦会議への招集がかかっております。お早く」
「了解した」
陽が沈む少し前に、ヴェストホーフェン基地に属する操縦士たちは招集された。オスカーたちに与えらえた日数は、残念ながら、キリエ・ツェッペンベルグの予想よりも、一日短いものになった。
リヒテン・ライヒの艦隊を打ち破った、ノイエ・デモクラティアの軍が、このヴェストホーフェンからわずか十数キロ先の島に拠点を移したという情報がもたらされたのだ。
そんな場所に基地を作られたら、このヴェストホーフェンは格好の餌食になることは間違いない。なんとしても、拠点とされることをくい止めねばならなかった。
キリエは、手元のファイルを繰りながら、次々と作戦指示を与えていった。
「今、呼び上げた二個中隊は空域確保に専念せよ」
「了解!」
キリエの声に、十数人が敬礼する音が部屋に響く。残されたのは、ただひとつの小隊だった。
「ティーゲルハイト小隊は、敵旗艦の爆撃に向かってもらう」
「了解」
オスカーも他の隊長と同じように、司令官に対して敬礼をし、踵を鳴らした。
「明朝、夜明けと同時に、作戦開始となった」
このティーゲルハイト小隊の隊員は、隊長を含めてわずか四名だ。爆撃機であるS01シュルーケン一機と、それを護衛するL27が三機。それがこの隊のすべてだ。
「空域は友軍が確保する。われわれは、敵旗艦爆撃の遂行を第一とする」
「了解!」
そう答えたユリウスの横で、カールは無言で敬礼をしていた。敬礼はしているものの、わずかに唇が震えている。
「シフェラー二飛、何か言いたそうだな」
あいかわらず、オスカーの声には感情というものがないのか、ただただ無機質に聞こえる。
「……S01は、爆撃訓練をしていません…」
「それがなんだ」
「一度も投下訓練をしていないんですよ。それで、いきなり実戦なんて」
「ザルツハイム二飛、おまえも同じ意見か?」
「わたしは……。わたしには、わかりません。それでも、命令であれば、それを遂行するのがわたしの任務かと」
「だそうだ。シフェラーが心配しても始まらん。ここは飛行学校ではない。敵は、我々の訓練を終わるのを待つ義理はないからな」
「しかし、S01はようやくまともに飛べるようになったばかり…」
まだ言いつのろうとしていたカールの肩をアルベルトが軽く叩いた。
「こればかりは、小隊長殿の言うことが正しい。ここは戦場だ」
どうにも寝付けなかったユリウスは、寝床を抜け出し駐機場に来てしまった。いつもは格納庫にあるS01シュルーケンだが、初陣を控えて外に出されていた。東の空はうっすらと明るくなっているが、日が昇るまでには、間がありそうだ。
そんな中、すでに整備班の面々は黙々と作業を続けている。もしかすると徹夜だったのかもしれない。今日の作戦では、このヴェストホーフェンにあるほとんど機体が出撃すると聞いている。
シュルーケンの側でぼんやりとしていたユリウスに、近づいてくる人影があった。
「もう目が覚めたのか? まだ夜明けまで二時間はあるだろ」
「シフェラー二飛…」
「カールでいいよ。同期だろ」
同期といっても、カールはユリウスよりも二つも年上だ。
「眠れなくて…」
「おれもだよ。お互い初陣だしな」
「カールでも緊張するのか?」
「そりゃ、するだろ。おれだって人間だからな」
飛行学校でのカールは常に自信満々で堂々としていた。ひとつの科目を除いてすべて首席。教官からも常に期待されていて、そしてその期待にいつも応えていた。
「……あの、ゆうべ庇ってくれて、それなのに、なんか変な答え方して、悪かった」
ユリウスは、自分が爆撃訓練をしていないことを、カールが庇ってくれるとは思ってもいなかった。そんなふうに誰かに気遣われたことがなかったから、うまく言葉にすることができなかった。
「ん? あぁ、あのことか。別におまえが気にする必要はない。おれも甘いよな。ヘッセ准尉の言う通りだ。ここは戦場で、しかも最前線だ。十分な訓練時間を確保できる保証なんかないのが当たり前なんだよな」
カールはそう言うと、シュルーケンの胴を軽く叩いた。
「…怖かったんだ。正直、こいつとおまえを守れる自信を持てなくて」
「自信なんて、わたしもない」
「でも、やるしかないよな」
「うん…」
ユリウスもシュルーケンの側により、飛行機にあるはずのない心臓の音を聞くように耳をあてた。
そのユリウスの仕草をみていたカールが、沈みかけていた気持ちを振り切るように話を続けた。
「正直言うと、おまえと一緒にこのヴェストホーフェンに配属されたこと、納得してなかった。首席の自分が最前線に行くのはともかく、爆撃以外の成績が赤点ぎりぎりのおまえと一緒の隊に配属って何なんだよって」
カールは飛行学校での二年間、一度も首席を譲ったことがなかった。唯一、卒業直前に、爆撃だけは、ユリウスに首席を奪われたが、それ以外は非の打ちどころのない成績だ。
誰に聞いても、カールが最前線で、最新鋭機のL27を割り当てられても、当然だと言うだろう。しかし、本当の最新鋭機を割り当てられたのは、ユリウスだった。
「おれの家は、代々海軍の軍人を輩出しているんだ。父親も二人の兄も海軍にいる。だから、おれが海軍の士官学校への道を選ばず、空軍付属の飛行学校に入ると言ったときには、親族全員から反対された。でも、おれは反対を押し切って飛行学校に入学した。これからの時代、空を制したものが勝者になる。おれは、そう信じている」
海軍や陸軍に比べると、空軍の歴史は浅い。士官学校もまだなく、飛行学校を修了するとすぐ任官するため、二飛から軍歴が始まることになる。海軍のエリートの家系だというなら、下士官で息子を戦場にやることを良しと思わないだろう。
それでも、空軍に入ると決心した、カールの横顔には意思の強さが表れていた。
同じ飛行学校に二年も机を並べていたのに、カールがこうして自分自身のことや家族のことを話すのをユリウスは初めて聞いた。そもそも、仲が良かったわけでもない。
「だから、おれは、結果を出さなくてはいけないんだ…」
「……」
「なんか、おまえのほうが落ち着いてるよな。あの爆弾抱いて飛ぶのはおまえだってのにさ。なぁ、おまえ、なんで空軍にはいったんだ?」
「……最期は、空がいいなって思って」
「最期?」
「おい、ユリウス、カール! ここにいたのか、探したぞ。はやく朝飯を食え。出撃直前に食うと上空で吐き出すはめになるぞ!」
遠くから、アルベルトがふたりを見つけて声をかけた。東の空をみると、駐機場に来たときよりも随分明るくなっている。空軍では、出撃一時間前の食事は厳禁だ。アルベルトの言葉通り、朝食を喰いっぱぐれると、作戦によっては、夕食まで飲まず食わずになることもある。
ふたりは、小走りで官舎にある食堂へ向かった。
ヴェストホーフェンは、帝国の西南に位置する切り立った崖が連なる湾だ。海軍が駐留するには向かない地形だが、その一方、空軍の基地には持ってこいの地形だ。
各中隊の戦闘機が次々と離陸していく。艦隊爆撃の任にあたるティーゲルハイト小隊の離陸は最後だ。
整備兵が慌ただしく離陸前の最終確認をしてまわる。S01シュルーケンには、もちろんアーレが確認に来てくれた。
「ザルツハイム二飛。この機体の燃費は恐ろしく悪いです。作戦の状況によらず、爆弾は落さないと、帰還するための燃料が持ちません。これだけは覚えておいてください」
あれだけ、鉛の錘を付けたまま着陸する訓練をしたのに、意味はなかったということだ。
「大きな声じゃ言えませんが、ちゃんと生きて帰ってきてくださいよ。また、おれにこのシュルーケンの整備をさせてください。よし、全機器良好! いけます」
そう言うと、アーレは車輪止めを外し、機体を離れる。
エンジンの快音とともに目の前のプロペラが回り始めると、ユリウスの心音も少しづつ早くなっていくように感じた。
すでにカールの機体は上空にある。今日の出撃順は、この後、アルベルト、オスカーと続きユリウスだ。
滑走路に出ると、すでに多くの機体が離陸した後だからか、車輪のゴムの後が黒々と何筋もついている。きっと、ユリウスが出撃すれば、その跡が残るのだろう。
滑走路脇の兵の手旗が白に変わった瞬間、ユリウスはゆっくりとペダルを踏み込んだ。この離陸方法は二日間の訓練で嫌というほど思い知った。いきなり速度を上げようとしてもこの重い機体はそれに応えられない。遅いギアから、細かく繋ぎ変えて、速度を上げなくてはならないのだ。
滑走路が無くなる間際に機体が浮く。今日は離陸に一番適した向かい風だ。これを羽根の下に巻き込み揚力に変えると一気に機体が軽く感じる。
今、ユリウスは空にいた。
上空に上がるとすぐに編隊
無線機からオスカーの短い指示が入る。
「シフェラー二飛、前方の友軍が戦闘に入ってもつられるな。爆撃予定地点を目指せ」
「了解」
すでに、二個中隊が敵軍との空戦に入っていて、ティーゲルハイト小隊が飛べるだけの空域を確保してくれている。そこを飛べば良いのだ。とは言え、敵軍もそのようなことを易々と許してくれるはずもない。明らかに爆撃機を護衛していると見透かして、攻撃を仕掛けてくる敵機もある。それに対応するのが、ユリウスの両側を飛ぶ、ふたりの熟練操縦士だった。
敵機が見えた瞬間、わずかに編隊を離れたかと思うと、威嚇射撃をし、敵機を振り払う。決して、深追いして空戦に持ち込まない。
そして、編隊の先頭を飛ぶカールはどんなことがあっても、ユリウスの前を離れない。もし、前方から敵機が迫ったら、真正面から盾になるつもりでシュルーケンを守らなくてはならないのだ。シュルーケンの腹には100キロの爆弾がある。もし一発でも敵弾を受けたら、空中で大爆発する。おそらく編隊を組んでいるティーゲルハイト小隊すべてがその爆発に巻き込まれるだろう。この爆弾を落とすまで、一発たりともシュルーケンを被弾させる訳にはいかないのだ。
快晴というのは、遊びで飛んでいる場合は気持ちがいいものだが、戦いのために飛行機に乗っているものにとってはありがたくはない。敵に囲まれたときに、雲に隠れるということができないからだ。
遠くからでもお互いが丸見えなので、機銃の性能と操縦者の腕が、命の選別につながる。
そういう意味では、オスカー・ティーゲルハイトの銃撃は、恐ろしく正確だった。相当遠くに見える敵機に対して、威嚇射撃をしているのかと思いきや、正確に燃料タンクを打ち抜いている。エンジンを狙うのが一番効率がいいのだが、敵機が腹を見せて飛んでくれでもしないと、それは難しい。となると、下にぶら下がっている燃料タンクを打ち抜くのがいい。機体が火を噴けば、確実に墜落させることができる。
しかし、あの小さい燃料タンクを、しかも、S01シュルーケンの護衛のため、動きに制約のある状態で、狙うことができるとは。機銃から放たれる銃弾が重力でやや下に落ちること、そのときの風向きで曲がることを織り込み済みで狙っているのだ。ただ、三人に守られて飛んでいるだけのユリウスには、とてもまねできる技ではなかった。離陸してからのわずかの時間で、すでに四機を海に沈めているのだ。撃墜王(エース)の二つ名は伊達ではなかった。
オスカーとアルベルトの機銃の音が続く中、ユリウスの声がそれを遮った。
「前方二時の海域に旗艦と思しき艦影!」
「おい、確かに艦隊は見えるが、まだ豆粒だろ。どれが旗艦かわかるのか?」
快晴のため、敵の艦隊は見えている。通常の人間なら、海面に小さな点が散らばっているように見えるだけだろう。アルベルトの言葉の通り、豆粒のどれが、どのような艦かは見分けられない。
しかし、ユリウスには見えていた。
「敵艦隊の最後尾に艦影三。うち、重巡洋艦二、戦艦一。この戦艦が旗艦と思われます」
「嘘だろ、おい。本当に見えてるのか!」
「シフェラー二飛、位置はわかるか?」
「いえ。しかし、敵艦隊の一番南寄りということかと」
カールの目にも豆粒の集まりに見えているのだろう。それでも、なんとか方向だけは見定めようとしてくれている。
「はい、それで間違いありません」
「よし、敵旗艦爆撃に向かう」
「了解!」
オスカーの命令にティーゲルハイト小隊の全員の声が響いた。
ユリウスの眼が特別であることをオスカーは知っていた。そしてそれをキリエ・ツェッペンベルグも知っている。だからこそ、この任務が与えられたのだが、その能力はオスカーの想像を超えていた。
まだ、敵旗艦上空の空域は確保されていない。しかし、今、この状況だからこそ敵も油断しているはずだ。だからオスカーは命令を出した。
空戦領域からティーゲルハイト小隊の四機だけが、南側に飛び出し、まっすぐに敵旗艦を目指して直行する。その以外な行動に、デモクラティアの空戦部隊は反応し切れなかった。
こうなると、警戒すべきなのは敵艦からの艦砲射撃だ。これを躱すためには、高度を保つしかない。艦砲はその火力ゆえに、上空に届くまでに放物線を描いて、海へ落ちるからだ。
一方、爆撃は、できるだけ高度を下げ、近くから投下したほうが、精度が高くなる。どこまで高度を下げるかが最も難しい判断を迫られるところだった。
オスカーは戦艦の主砲を警戒して、高度を下げることを良しとしなかった。
「ザルツハイム二飛、高高度からの爆撃になる。やれるか?」
「この高度を保ったままでありますか?」
「そうだ」
まもなく敵旗艦の真上を通過する。迷っている余裕はない。
「了解!」
この高度でも、ユリウスには正確に敵旗艦が見えている。
ユリウスは、敵艦目がけて投下レバーを引いた。
その瞬間、シュルーケンは100キロの爆弾を切り離した反動で大きくバランスを崩した。外れかけていた爆弾にその揺れが伝わり、投下軌道が変わる。
この高度からでは、わずかな角度のずれが、水面では大きなものとなる。旗艦上空からどんどん左にずれていく。
「退避!」
自分の爆撃ミスに囚われていたユリウスはオスカーからの無線にはっとして、ペダルを踏み込み、慌てて編隊に合流する。
爆弾を切り離したシュルーケンは驚くほど身軽になっていた。
そして、それたはずの爆弾は、旗艦の隣にいた重巡洋艦に命中していた。その重巡洋艦の爆発に巻き込まれる形で、旗艦にも被害が出ているようで、煙が上がり始めているのが見えた。
「完全に外れってわけじゃない。上出来さ!」
アルベルトはそう言ってくれたが、作戦の失敗にはかわりはない。
「帰還する」
小隊長であるオスカーからは、当然のように労いの言葉はなく、ティーゲルハイト小隊はヴェストホーフェン基地へと機首を返した。
ユリウスの初陣は苦いものとなったのである。
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