第二章

 翌日から、編隊訓練が始まった。アルベルトが言ったように、新しい編成自体が、S01シュルーケンによる艦隊爆撃を前提としていた。

 ユリウスは、爆弾代わりの100キロの鉛の塊をつけられたS01に搭乗した。

 飛行学校の機体では、小柄なユリウスは、体を座席からずらし、さらに足を突っ張るように伸ばして乗る必要があったが、この機体では、足を緩くまげられる位置にペダルがある。

 そのことに驚いているユリウスの顔を見て、操縦席の脇で説明をしてくれているアーレが、軽く片目をつぶって教えてくれた

「この機体はザルツハイム二飛の専用機ですからね。もともとあった座席をいったん取り外して、位置を調整してしまいました。足元、きつくないですか?」

「ちょうど、いい、です…」

 慣れない扱いにうまく答えられずにいるユリウスに、アーレは次々と機体独自の性能を説明していく。

「とにかく、今日は、腹の重さに慣れてください。特に旋回時、相当振り回されると思うんで、覚悟してください」

 ユリウスも、操縦桿の握り具合やメーターの位置をひとつづつ確認しながら、その言葉を聞いていた。

「それと、申し訳ないんですが、その機体、初飛行です。これまで、この基地でその機体に乗れる体格の操縦士なんていなかったもんで。試験飛行だと思って、不具合があればすぐに着陸してください」

 アーレはそう言い残して、機体から降りると、S01の車輪から輪留めを外した。

 すでに滑走路には、カールのL27の姿がある。次に離陸するのだろう。ユリウスの離陸はそのすぐ後だ。


 100キロのおもりをつけたS01で離陸しようとしたユリウスは、これまでの飛行学校での経験がまるで役に立たないことを、十秒足らずで思い知ることとなった。

 離陸しようと操縦桿を手前に引いたにもかかわらず、機体が浮かない。

 眼の前にあるプロペラは快音を立てている。エンジンには問題がない。ということは、自分が思っているよりもずっとこの機体は重く、滑走距離がこれまでの機体とは桁違いに長いということだ。

 ユリウスは機体の状況を把握しようと、神経を研ぎ澄ませた。確かにまだ機体は浮き上がってはいないが、揚力は確実に翼に溜まっている。車輪が浮き上がる瞬間を逃さずに、操縦すれば、絶対に飛べるはずだ。

 滑走路の残距離が少なくなる。滑走路の向うは岸壁で、水平線が見える。滑走路があるうちに飛び立てなければ、この機体は海に沈むはめになる。一度も空に飛び立つことなく、文字通り海の藻屑になるだろう。

「そんなことさせない!」

 ユリウスは、慎重にじわりじわりと操縦桿を手前に引いた。一気に引き上げると、機首が上がって失速しかねない。焦る気持ちを押さえつけて、ゆっくりと操縦桿の手に力をこめた。

 ふわりと、体が軽くなった。

 ユリウスはこの感覚を知っていた。自分の体が軽くなったのではなくて、機体が浮いたのだ。

「まだだ…」

 離陸したと言っても、おそらく十数センチだろう、ここで上昇しようと焦ると失速する。しかも、このときすでに滑走路は走り切っていた。あと数メートルで海上に出てしまう。

 離陸した際の上昇角度を保ったまた、海上に出たS01は、崖下からの海風を利用して、ようやく空に飛び立つことができた。

 それはまるで、巣立ったばかりの海燕のようだった。


「ザルツハイム二飛、聞こえるか」

「はい」

 無線から聞こえたのは、オスカーの声だった。温かみなど、どこにもない声なのに、無事離陸できたからなのか、ユリウスはその声を聞いてはじめて、ほっとして小さく息を吐いた。

「滑走路ギリギリまでいったときは、肝を冷やしたぜ。初飛行、おめでとう。ユリウス」

 ユリウスの返事のすぐ後に、割り込んできたアルベルトの声は明るい。訓練ということもあり、堅苦しさはほとんどない。

「無駄口は慎め、ヘッセ准尉。編隊飛行」

「了解!」

 アルベルトとカールの声が、無線から聞こえる。すぐ近くを飛んでいる友軍機が、ユリウスの操縦するS01に近づいていた。

 先頭を飛ぶオスカーのL27の尾翼には星の形が描かれていた。襟章と同じ、撃墜王エースの証だ。

 その機体からひし形を描くように、やや後方左にカール、右にアルベルトがついた。ユリウスは後方中央、ひし形の後ろの先端に位置取った。

 そのまま直進していた時は問題なかった。しかし、オスカーがやや左に旋回しはじめたときだ。ユリウスのS01は、大きく膨らみ、そして、編隊からどんどんと遅れていったのだ。

「ザルツハイム、編隊を乱すな」

「了解」

 ユリウスはそう答えたものの、まったく編隊の位置に入れない。エンジンには問題がないのだ。直進時には、L27について飛べていた。しかし、このほんのわずかな旋回についていけない。旋回の軌道が違い過ぎる。自分の機体は大きく迂回しているから、同じ速度で飛ぶと、編隊にはついていけない。

「おい、オスカー。あの腹の錘じゃ、L27についてくるのは無理だ」

「いや、ついてきてもらう。敵空域を突破するには、L27と同等の操作性がなくては、守りきれん」

 小隊長の言うことは正しい。爆撃機にいくら戦闘機が護衛につくといっても、今のような飛びっぷりでは、敵の格好の餌食だ。

「燃料がある限り、訓練を続ける。編隊ベー

 オスカーの命令とともに、三機が一直線に縦に並んだ。本来なら、四機が一直線にならねばならない。その三機目がユリウスだ。しかし、ユリウスは、二機目と殿の間にうまく機体を滑り込ませることができないでいた。

 しかも機体を安定して直進させることもままならず、ふらふらと右に左にと揺れる。そんな状況であっても、最後尾をつとめるオスカーの機体は、左右に揺れるS01の後方にぴたりとついて、ともに揺れて飛行している。まったく意図できない動きであるはずなのに、その操縦の確かさは、さすが撃墜王と言われる人のものであった。

 直進くらいまともにできなくてはと、ユリウスはペダルを踏み込み、エンジンの回転数を上げた。速度を上げれば、機体は安定するはずだ。

「おい、ばか、ザルツハイム!!!」

 直進速度を上げ過ぎ、すぐ前を飛ぶカールの機体との距離が詰まると同時に、無線からカールの怒号がとんだ。

 飛行中にかけることができるブレーキはない。速度を緩めるためには、エンジンの回転数を落すしかない。しかし、下手に落とせば、機体がふらつく。ギアチェンジをするか、自然に速度が落ちるのを待つか。

「シフェラー二飛、前だ。よく見ろ、ヘッセ准尉の後につけ」

 オスカーの無線の声がしたときには、すでにアルベルトは速度を上げて、カールの機体が前に出られるよう、十分な距離を確保していた。かつ、編隊Bの形状を維持している。

「編隊飛行は、首席なのだろう」

「…っ。了解!」

 カールは、苦虫を噛み潰したような声で返答すると、アルベルトの機体の後ろについた。すると、ようやくユリウスの前に空間ができ、編隊を維持することができた。

「ザルツハイム、その速度感を体に叩き込め」

「はい」

 この機体は重い。だから、ある程度の速度を維持しなければ機体が安定しないのだ。その感覚を覚えさせるために、この編隊Bを選んでの訓練なのだと、ユリウスは思い知った。直線で飛べば、自分がふらついているのが良くわかる。そして、前にいる機体との距離を覚えれば、速度の維持も容易だ。しかも先頭は熟練操縦者のアルベルトが編隊をキープしている。

 そして、ユリウスの飛行を後ろからオスカーが常に見ていた。

 一時間ほどの訓練の後、ようやくユリウスたちは着陸を許された。


「錘を落してから、着陸すると思ったんですがね…」

 アーレの声は呆れ果てていた。

「まったく、最新鋭機を格納庫に突っ込ませるつもりか?」

 先に着陸していた、カールまでもがアーレに乗っかって、説教を始めた。

「いや、自分が錘を落せと指示をしなかった」

 操縦席で飛行帽を脱ぎながら、その言葉を聞いたユリウスは、オスカーが庇ってくれたのが不思議だった。

「少尉…」

 腹に100キロの鉛の錘を抱えたまま着陸しようとしたユリウスは、着陸のための滑走路の距離が足らず、もう少しで格納庫に激突するところだったのだ。幸い、車輪の方が耐えきれず折れ、足が滑走路をえぐり、その摩擦でようやく止まることができたのだった。

「爆撃対象が見つからなかった場合、爆弾を積んだまま帰投することも考えられる。その場合でも着陸してもらわねば困る。もちろん、今日の着陸は問題外だ。腹にあったのが鉛の塊だから良かったものの、本物の100キロだったら、滑走路に大穴が空いた上に、格納庫が吹き飛んでる」

「いや、オスカー、その場合、シュルーケンが真っ先に焼き鳥になっているよ。ユリウスと一緒にさ。そっちを心配しようぜ」

 タラップを降りて来るユリウスの頭をわしわしとかきまぜながら、アルベルトがそう言うと、オスカーは表情ひとつ変えず、自分の飛行帽を脱いで、立ち去ってしまった。

「いや、悪い奴じゃないんだけどな。ちょっと言葉が足りないよな」

「いえ、私の技術が足りないばかりに、少尉を不快にさせました」

「初日にしては、上出来だぜ。難しい機体だ。まだまだ訓練が必要だと言いたいところだが、そうもいきそうにない」

「…?」

「ユリウス、今日、一番焦っていたのは、間違いなくオスカーだぜ」


「フィアバッハ艦隊がやられた」

 オスカーが司令官室に入ると、奥からそう声がした。

 訓練飛行の最中、オスカーの機体に無線が入った。司令官室に呼びだされたのだ。そのため、着陸後、着替える時間すらなく、飛行帽を脇に抱えたまま、敬礼する。

「デモクラティアの奴らもなかなかやるな。これで、このヴェストホーフェンが正真正銘の最前線だ」

 不愉快極まりないといった心情を隠しもせず、立ち上がったのは、この基地の司令官であるキリエ・ツェッペンベルグだった。

 黒い髪を顎のラインで切り揃え、片目を眼帯で覆っている。戦傷だった。まだ戦場に投入された機体が複葉機だった頃から、戦場を飛び回ったいた女。それが、このキリエ・ツェッペンベルグという軍人だ。

「ツェッペンベルグ大佐。それでは、戦況が動いたということですか」

「それも、悪いほうにな」

 彼女は、引き出しから煙草を取り出し、火を点けた。口から、ゆっくりと煙を吐き出した後、ようやくオスカーの顔をみた。

「シュルーケンはどうだ?」

「見ていたのでしょう」

「見ていたさ。もちろん」

「なら、わかったのでは?」

「実戦に投入する」

「ご冗談を…」

「冗談ではない。三日だ。おまえたちにやれるのは、それが限界さ」

 オスカーは、もう一度敬礼すると、司令官室を後にした。

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