ダレモイナイ
違和感の時間
終わり
差し込んできた西日が瞼を撫ぜた。
ゆっくりと体を起こし、つと窓の外を眺める。いつもと変わらない景色。
少し憂鬱になりながらベッドを降りると、足元で寝ている君の方を見て気づく。
「…おや、またずれてる。まったく、君はいつも寝相が悪いんだから。」
そのだらしなさに愛おしさがこみ上げ、憂鬱など吹き飛んでしまった。我ながら単純だと思っても、可愛いのだから仕方がない。
口の端から笑みがこぼれるのを自覚しつつ、開きかけた棺の蓋を閉め直す。
「少し待っててね。すぐご飯にしよう。」
頭の中でいつものレシピをなぞりながら、私は部屋を後にした。
さして高くもない階段を一歩一歩慎重に降りていく。もう目を閉じていたって降りられる道のりだけど、そんな事は絶対にしない。
私の身長ほどしかないこの階段でだって、人はたやすく死んでしまうことを知っているから。
「あ、おはよう。いつもお疲れ様。」
使用人に挨拶しても返ってこないのはいつものことだ。目も合わせられないのはきっと嫌われているからだろう。何の反応もなく立ち去ってしまった。
そんなことは気にせず厨房に向かう。おなかを空かせている君を待たせるわけにはいかないから。
丸パンを二つオーブンに放り込み、スキレットで目玉焼きを焼く。その間にカブをスライスしておく。
ひと段落ついたら、鉛のゴブレットに私の血を一杯。
お気に入りのお皿にまとめて盛り付けて完成。こぼさないように階段を上がり、部屋に戻る。
ずっと前から変わらない、私のルーティン。
「ねえ、今日は何をしようか?」
私は食べながら話しかける。答えは無い。答えは無いけど知っている。君はいつも私と一緒に来てくれることを。
「よし、今日は久々に外に出てみようか。ここで遊ぶのもいいけど、やっぱり広い外で遊ぶほうが楽しいよね!」
そうと決まれば話は早い。丸パンの残りを口に詰め込み、はたと思い出す。
「あらいけない。君の分がまだだったね。」
脇に置いたままだったゴブレットを手に取り、君の隣にしゃがみ込んだ。
閉め直した棺の蓋の上に少し狙いを定め、ゆっくりと血を注いでいく。
「ほら、たくさんお飲み。今日はいっぱい遊ぼう?」
パンを食べる私と違って、君がそれを飲み干すのにそれほど時間はかからない。
「ふふっ、おなか空いてたんだね。」
空になった食器はとりあえず私のベッドの上へ。早く君に会いたかったからこその事だ。少しなら許してくれるはず。
「……よし、おはようの時間だぞーっと。」
君を部屋の中心まで移動させる。床に描かれた魔法陣にぴったり合うように棺を配置し、壺に入った水銀を用意すれば準備は完了。
目を閉じ、ひと掬いの水銀を口に含む。口の中に広がる気持ち悪さも、君のためと思えばどうということはない。
水銀と私自身が段々と溶け合っていくように感じたところで、魔法陣の端にそれを吐き出した。
わずかな光とともに、私を含んだ水銀は魔法陣全体へと行き渡っていく。
次に蜜蝋のろうそくを一本手に取り、マッチで火をつける。
これで準備は完了。あとは君が睡魔の手よりも私を選ぶのを待つだけ。
「早く起きておいで。待ちくたびれちゃったよ。」
そんな私の声が聞こえたのだろうか。棺の蓋が大きく揺れた。
続いて、一際強く光を放った魔法陣の水銀が棺の中へと吸い込まれていく。
「……………」
最後の一滴が吸い込まれるのと同時にどこからともなく風が吹き、ろうそくの火を吹き消した。
真っ暗になった部屋に、棺の蓋が落ちる音が響く。
立ち上がる彼女のシルエット。ねぼすけがようやくお目覚めの時間だ。
「……おはよう。愛しい君。」
辛うじてそれだけ口にして私は君を抱きしめた。
べちゃりと音がするのにも、顔に肉片がつくのも構わず、君の感触を体全体で感じ取る。
目を覚ましたらなんて言おうか。笑いかけてくれたらなんて返そうか。考えていた言葉は全部忘れてしまった。
今あるのはただ、愛しさと嬉しさだけ。
「さ、行こう!せっかく目を覚ましたんだ、今日はいっぱい遊ぼうじゃないか!」
君の手を引いて部屋を出た。ぎこちなくもしっかりとした足取りでついてきてくれる。
「早く外に出よう!見せたいものがいっぱいあるんだ!」
階段を降り、無口な使用人の横を通り過ぎ、二人並んで玄関を出た。もちろん手はずっとつないだままだ。
「ねえ見てよ!このあたり見栄えが悪かったからさ、頑張って綺麗にしたんだ!」
きっと君は驚いているはずだ。元々雑然としていたこの辺りが、今は見晴らしの良い平地になっているのだから。
勿論やったのは私。一緒に遊ぶために平らにならしておいたのだ。少し先には小高い丘を作って木も植えておいた。
気分はさながらお金持ちの別荘。素晴らしく優雅な時間を君と一緒に楽しめる。
「どう?気に入った?」
答えがなくとも私にはわかる。最高に喜んでくれていると。ふらつくその体は全身で喜びを表してくれていると。
「ふふっ…早く行こう!丘の上が一番眺めがいいんだ!」
はやる気持ちを抑えつつ、君の手を引いて私は歩き出す。
平らにならしたとはいえ、地面にはまだ障害物がたくさん。レンガの破片にぬかるみに、鋭くとがったガラスまで。
私は平気だけれど、君の素足には危険なものたち。
ただでさえもろい君の足は、丘の下につく頃にはもうちぎれてしまいそう。
「帰ったら直さないとね。」
仕方ないので、君を抱き上げて丘の上まで運んであげた。軽くて頼りないその重みが、だからこそ愛おしい。
丘を登り切り、君を木の根元に座らせてあげる。
私はその隣に座り、もう一度手をつなぎ直した。
柔らかく、ひんやりした君の感触が心地よい。この感触のために、今まで積み重ねてきたのだ。
そう、君と一緒にいるために私はいろんなことを積み重ねてきた。
君と暮らすためにあのお家を手に入れて
君の足のために周りの大地を平らにして
君と食べるために料理を覚えて
君を起こすためにいろんな本を読んだ。
「大変だったけどさ、そのおかげで君がここにいるんだもん。………ああ幸せだなあ!」
感極まって私は君を抱きしめた。
恥ずかしがってじたばたもがく君。全くかわいいんだから。
「……………ん?」
右手におかしな感触。君の体の感触じゃない。
「何これ……灰?」
よく見ると君の体がだんだんと灰になっている。
「なんで…………なんでなんでなんでなんで?どうして?」
振り返ったら、ちょうど夜明け。太陽の光が君に降り注いでいた。
「あ…待って。待って待って!まだ何もできてないのに…まだ!」
叫んでも時は止まらない。けれど叫ばずにはいられなかった。だって目の前で愛しい君の体が崩れていく。せっかく作り直した君の体が。
「光…そうだ。おうちに運ばなきゃ…早くおうちまで運ばないと!」
君を抱え上げて走り出した。全部崩れてしまう前におうちで寝かせてあげないと。
走る
走る 手の間から君がこぼれていく
走る
走る 段々手にかかる重みが無くなっていく
走る
はしる
「はあ………はあ…………。あ………」
ついさっき君と一緒に出た玄関にたどり着いたその時、最期の一片が私の手からこぼれおちた。
「ああ…………ああああ!」
「また………また作り直さないと…。」
「はあ………もう近くに材料ないんだけどなあ…。」
ダレモイナイ 違和感の時間 @iwakan_time
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