身分差クロスカウンター

鶴屋

短編 身分差クロスカウンター

 婚約破棄――以前の問題でございました。


 縁談は破談。


 瞬殺でした。


「どうして! 私が! お断りされるのよ!!」


 我が主君、ブリシュタット王国は第一王女、ロゼッタ・アル・シエラ・ブリシュタット様が盛大に暴れております。

 お高い調度があつらえられたその場所は、先ほどお見合いをした隣国の王宮の離れ。すなわち仮住まいの来賓用邸宅。

 お高そうな調度や陶器類も姫様の持ち物ではないのですが、かんしゃくにかられたロゼッタ様はおかまいなしに物を投げては喚き散らしてを繰り返しておりました。


「っざけんな! 吹けば! 飛ぶような! 小国の! ちょっとツラがいいだけが取り柄のクソ王子が! 私を! ブリシュタット王国が未来の女王ロゼッタ様を! お断りですって!?」


 わたくしはベッドシーツを闘牛士の旗よろしくひらめかせ、姫様の投げつけたお高い食器類をいなし、自分が怪我をしないよう、かつ食器類を壊さないよう、ふんわりと受け止め続けております。


 自己紹介が遅れました。


 わたくしの名は、フェリス・リッツ・エモルトン。

 どちらかと言えば下級の貴族、エモルトン子爵の娘でございます。

 年齢は十八歳。王女付きの侍女をしております。


 王女様との付き合いは幼少からになりますが、侍女としてお仕えしたのは……ああ、もう五年ほど昔からになりますか。


 正直を申し上げれば今回の縁談、相手国の王子様にはいささかの落ち度もございません。果断であったと思います。

 王子様――エドワード殿下は容姿、人格共に申し分なく、わたくしが調べたところ臣下の皆様方から慕われていて、しかも女性関係についてもけじめのある清廉さを発揮しております。


 一方、こちらの姫様はというと……。


「人がせっかく目をかけてあげたのに、底意地が悪いったらありゃしないわ! 私の学生時代まで根掘り葉掘り! 取り巻きに宿題をさせたことの何がいけないのよ!? 王女に無礼を働いた女を退学するまで追い込んで何が悪いのよ!? 本命が駄目だった時のキープの男こさえて何が悪いのよ!? ちょっとばかし租税をちょろまかしてお小遣いにして何がわるいのよ!?」


 全く反省しておりません。


「田舎国のクソ王子が、つけあがりやがって! ぶっつぶしてやるわあんな国!!」


 どころか、八つ当たりする気満々でございます。

 いえ。八つ当たりは現在進行形でした。ロゼッタ様がわめいている間に私に投げつけたものは、ティーカップ、水差し、花瓶、スプーン、フォーク……。


 普通の侍女なら大怪我をしているところです。


「何うれしそうに見てんのよ!」


 王女様の手に取ったナイフが、ぶぅん、とうなりをあげて投げつけられます。


「めっそうもございません」


 シーツをひらめかせ、わたくしはそれを軽々と叩き落します。

 親の言いつけでひとしきりの護身術は叩き込まれましたが、まさかこんなところで役に立つとは、侍女になる前は考えもしませんでした。


「ふん! もう寝るわ。片づけておきなさい!」


 暴れ疲れたのでしょう。ロゼッタ様は一方的に言うと毛布をかぶって寝息をたてはじめました。


「はぁ……」


 困ったことになりました。

 いえ、お部屋の片づけが、ではなく。

 借りているお部屋の調度を傷つけた事も謝りに行かねばなりませんし、家主様へそれなりの修理費に慰謝料、口止め料を渡す必要がありますが、それもさておき。


 困った事というのは、私のこれからの身の振り方についてです。


 ロゼッタ様のお見合いは、先も申し上げたようにとても短い時間で終わりました。


『失礼ながら貴女について調べさせていただきました。単刀直入に申し会あげます。結婚はあり得ません』


 ひと目で育ちの良さを伺わせる物腰とともに、王子の口からは誤解しようもない拒絶の言葉が申し渡されたのでした。

 それはいいのです。そこまでは。


 これが、わがまま放題に育てられ、面倒くさくも逆恨みの激しいロゼッタ様の一方的な恋愛感情の押し付け案件でなければ。


 つまり、“断ったらひどいことになるぞ”と、脅した上での縁談なのでございます。


 そもそもロゼッタ様と今回のお見合いの相手、隣国の王子エドワード殿下は、ほとんど口を交わしたことはございません。

 出会いは半年前。晩餐会に出席なされました隣国の王子エドワード殿下に一目惚れしたといういきさつでございました。


『ちょうどいい男を見つけたわ。顔も悪くないし何でもいう事を聞いてくれそう』


 それからというもの、ロゼッタ様が、一国の姫としてさまざまな圧力をかけて王子との婚約を迫りました。

 エドワード殿下は態度を保留してお見合いの席を延期させていましたが、その間にロゼッタ様の事を入念に調べ上げていらっしゃったようでした。それはそうでしょう。未来の伴侶となる人物かもしれないのですから。


 そして、お見合いをしたのがつい数時間前。


 姫様の目論見では、そこでエドワード殿下との婚約が発表されることになっていました。

 しかし、結果は見事なまでの玉砕。


 ロゼッタ様の本性――浮気癖に浪費癖、その日の気分で行われる国民へのいじめ、その他もろもろの悪評――と、結婚しないことでロゼッタ様がしてくる嫌がらせ、両者を天秤に掛けた上での苦渋の決断だったのでしょう。


 困りました。


 ロゼッタ様、ご自分の御立場を分かっておらず、親の七光りで何でもできると思っているはた迷惑なアホ王女でございます。

 面子を潰された今、本当に”嫌がらせ”を実行なされることでしょう。


 我が国ブリシュタットと、エドワード殿下の国ラターシュとの国力差を鑑みれば、関税や通行税を少し引き上げる程度のことでかなりの損害を与えることができてしまいます。


 そして、その嫌がらせを実行するのは、かんしゃく持ちの無能なロゼッタ様ではなく、王族特務と呼ばれるかなり有能な諜報部隊であるということ。


『ムカツクから嫌がらせしてちょうだい。そうね、あのくそったれのエドワードが土下座して”お願いですから結婚してください”って言うまでしぼり上げて。やり方は任せるわ』


 何の考えもなく、他人の迷惑を省みることもなく命令するロゼッタ様の顔が目に浮かぶようです。


 困りました。


 わたくし、これから祖国を裏切ることになってしまいそうです。


 今回ばかりはロゼッタ様には愛想が尽きました。いえ、元から尽きていたのですが、侍女としてお仕えしている身でしたので我慢してきました。しかしもう、義理立てする気すら失せてしまいました。

 他の殿方への嫌がらせならば看過することもありましょうが、あの方は、エドワード殿下だけは駄目です。


 エドワード殿下は、わたくしの恩人なのでございます。



 ***



 ロゼッタ様が寝ついた、その日の夕方。


「――と、いうわけで、申し訳ございません。宿泊させていただいておりますお部屋の調度のいくつかに傷をつけてしまいました」


 お部屋の損壊のお詫びのため、ラターシュ王宮の一角にある執事室に出向きましたところ、エドワード殿下もいらっしゃられました。


 わたくしが(姫様の代わりにやったということにして)事情を説明し、相応の金貨を差し出して頭を下げます。


 ええ、いつものことです。

 こういうことには慣れておりますので、もはや理不尽を感じる心もありません。


 エドワード殿下は、わたくしの報告と謝罪とを最後まで静かに聞かれると――


「災難でしたね」


 ねぎらいの言葉をかけてくださいました。


「え?」

「あの方のかんしゃくに付き合わされたのでしょう?」


 どうやら、殿下は全てをお見通しのようでございます。


「…………」


 仮にも主君の悪口を他国の王子の前でするわけにもいかず、わたくしは引きつった笑みを浮かべました。苦笑、というのはこういうものなのでしょう。


「責任の一端は私の行動にもあります。貴女が頭を下げる筋合いの話ではありません」

「なんというか、その……重ね重ね……」


 わたくし。

 ロゼッタ様の侍女となってからのこの数年、こうまで率直な形で優しさと思いやりを持って人から接していただけたことは。ほとんどありませんでした。


 ちまたを歩けば、“あの”王女の侍女であるということだけで肩身の狭い思いをしていましたし。

 王室に戻れば、“あの”王女の思い付きに振り回され、しりぬぐいに奔走する日々でしたし。


 もちろん、真相を知り同情してくださる方も多くいらっしゃいますが、たいていはロゼッタ様に目をつけられるのが怖く、遠くから応援して下さるのがせいぜいです。

 例外といえば女王陛下に王配殿下くらいのものですが、お二人ともご多忙のため、わたくしごときにかかずらう暇はそうそうあるわけがありません。


 ですので、エドワード殿下の気遣いがとても身に沁みました。


「出会った頃から、御恩ばかりをいただくばっかりで、本当に……」


 不覚にも色々な感情が抑えきれなくなり、涙が出てきました。


「すまないが、モルド。外してくれないか」

「かしこまりました」


 執事の方がお部屋から出ていかれて、二人きりになりました。


 エドワード殿下との出会いは、ロゼッタ様と同じく半年前の晩餐会のことでした。

 その時、わたくしは顔の右側についた、醜くもひきつれた火傷痕を治していただきました。


 殿下は、医療魔術がお得意なのです。


 その頃のわたくしになぜ火傷痕が顔にあったかというと、当時ロゼッタ姫が癇癪かんしゃくで投げつけてきたティーポットに熱湯が入っていて、わたくしが間抜けにも受け損なってしまったからでした。


 叫び声をあげ、慌てて冷水を汲んで処置しましたが、あとの祭り。


 わたくしの右の頬にある丸まったミミズのように広がるひきつれを見て、ロゼッタ様はけらけらと笑いころげ、わたくしは流石に人の道を踏み外して報復しようかと思った矢先のことでした。


『その頬、もしかしたら治せるかもしれません』


 晩餐会の日、エドワード殿下はそれとなくわたくしを伴って二人きりになると、何の打算もない気遣いを顔にしてそうおっしゃいました。

 王室医師が匙を投げたひきつれでしたが、殿下が手にされた秘伝の薬草を塗り、殿下が滞在された二週間、毎日欠かさず治癒魔法を受けると、あら不思議。


 美人復活でございました。


 あとで知った事ですが、その治癒魔法は高い集中力が必要らしく、毎日詠唱を続けるのはかなりの精神的疲労を伴うとか。

 そのため、殿下はわたくしの傷痕が回復してゆくのと対照的に疲弊されておりました。滞在中に予定していた我が国の有力者との面会の多くをキャンセルし、休息に充てなければならなければならないほどに。


 その節は誠にご迷惑をおかけいたしました。


「フェリス様。涙を拭いてください」


 エドワード殿下が、ハンカチを差し出してくださいました。


「すみません。殿下にあまりに優しくしていただいたもので、わたくし……」


 いただいたハンカチで、顔を隠しました。

 涙はともかく、鼻水まで出てきているのは女として減点です。

 しかし、ひとたびあふれ出した感情はどうしても抑えきれませんでした。これまでわたくしの中で溜まってきたものが、優しいエドワード殿下のお言葉によって残らず表に出てしまったようです。


 思い返せばわたくしとエドワード殿下は出会ってからのこの半年間、それなりに親しく会話をして過ごして参りました。


 それというのも、表向きはロゼッタ様がしたためたお手紙を届けるためという名目でした。

 しかし。本当の目的を申し上げますと、ロゼッタ様から『浮気しそうな男か調べて。付き合ってる女がいたら潰して』と命ぜられていたからでした。


 ええ。そういうことです。


 エドワード殿下がロゼッタ様を調べられたように、ロゼッタ様もエドワード殿下のことを調べていたわけです。


 わたくしを使って。


 それにかこつけて、わたくしはこれまで、エドワード殿下の周りで密偵のような真似をいたしておりました。


 しかし殿下は、そんなわたくしの役割を看過した上でなお、まるで長年の友人のように接してくださいました。


 そんな方を、裏切れるわけがございません。


「どうしたら、この御恩をお返しできるのでしょうか」


 ロゼッタ様が悪質な八つ当たりをするつもりならば、迷わずエドワード殿下の方につくつもりのわたくし。しかしそれだけではマイナスがゼロになっただけ。

 これまでしていただいたご恩に報いるには、とても足りません。


「よろしければ、私と結婚していただけますか?」

「…………」


 ケッコンとは。


 どういう意味なのでしょうか。

 ケッコン。


 はて……?


 知らない単語です。何か珍奇な食べ物でしょうか。スイーツの一種とか?


 この時、あまりに存外すぎる申し出に殿下の言葉の意味をわたくしの脳は消化しきれず、しばらく頭が真っ白になりました。




 ***




 ようやく、理解できました。


 ええ。醜態をさらしてしまいました。大丈夫です。理解しました。

 つまりわたくしは、エドワード殿下から求愛をされているのですね。


「そんな、私ごときが。身分が違い過ぎますわ」


 とっさに口をついたのが、拒絶の言葉でした。


 相手は王子。わたくしは下級貴族の娘。


 ええ、この際ですからはっきり申し上げておきましょう。

 わたくし、分相応ながらエドワード殿下のことをお慕い申し上げております。

 ですから、王子の申し出はとても嬉しかったのです。

 あまりの嬉しさにおかしくなり、高らかに国歌を歌いながら窓から飛び降りたくなるくらいのテンションになっておりますが、他ならぬ殿下の前なので平静を保とうとしている最中でございます。


「あ、もしや、側室としてでしょうか。それならば、ハイ。喜んでお受けいたしますわ。正室の方へ多少は嫉妬いたしましょうが、立場を弁え我慢するようにいたしますので」

「いえ。正室としてです。それに、貴方以外の方を妻に娶るつもりはありません」

「なぜ……?」


 本当に、なぜ?


 わたくしの家は、さほどの地位も、特筆すべき資産があるわけでもありません。


 ロゼッタ様ならば王位継承権が付いてきますが、わたくしにあるのは王女付きの侍女という立場から見知った情報と、あとは王室に出入りする人間との人脈くらい。

 それにしたって、誰それが誰それと浮気したとか、誰それが誰それを慕っているとか、そういう下らない話が大半でございます。


 それに、容姿だって取りたてて言うほどのものはありません。


 さきほど自分のことを美人と称しましたが、美人と呼ばれる女性を集めてみれば中央に据えられるどころか、端っこから三番目くらいの場所に立つのがせいぜいのところ。


 くすんだ金髪、低くはないけれども理想より少し低い鼻。ロゼッタ様への応対への疲れからかシワが見え始めた十八歳の素肌。目はぱっちりとしていますがクマがありますし、唇も少し厚ぼったくてお化粧のノリがいまいち気に入りません。


 他人の評価を側聞しましたところ、“そこはかとなく美人”、“どちらかと言えば美人”、“まあまあそこそこの美人”という中途半端さ。

 まあ、人から無用な嫉妬を向けられないのは良いことだと、今の今までは思っていました。


 可もなく不可もなし。それがわたくしでございます。



 一方、エドワード殿下。


 御年二十四歳になって今なお未婚の独身ですが、その柔らかな物腰と人柄から、殿下を慕う淑女は年齢も身分も問わず国内外にいらっしゃいます。

 お顔だって、“あの”ロゼッタ姫様が一目惚れしてしまうくらいのイケメンぶり。

 プラチナゴールドの金髪に、精悍な彫の深い顔。太くきりりとした眉。

 普段のお顔はどちらかといえばいかついのですが、ふとしたはずみでこぼれる微笑みがまた魅力的で……。


 わたくしが男だったのなら、“イヤミか貴様ッ”という恨み言の一つもこぼしていたかと思うほどの男ぶり。

 何しろ、たいがいの殿方はエドワード殿下の傍にいると、引き立て役になってしまうので。


 まさに、完全無欠であらせられます。


 そんなエドワード殿下ですから、わたくしよりも素晴らしい女性をいくらでも選べるはずです。


「貴女の人間性に惚れました。生涯の伴侶として私の傍にいて欲しい女性は、貴女しか考えられない」

「ですが、わたくしは――」


 可もなく不可もない女でして……。


 口をつきそうになった卑下の言葉を、わたくしはとっさに飲み込みました。

 ここでわたくしの悪口を言えば、それはすなわち“エドワード殿下が求愛された相手”への悪口であり、ひいてはエドワード殿下の気持ちへの侮辱にあたると考えたからです。


「いえ。失礼しました、エドワード殿下。誠意には誠意で、まことの言葉にはまことの言葉で応じましょう。この期に及んでまどろっこしい言葉は申しません。わたくしも貴方様をお慕いしております。ただ一人の女として。しかし――」


 一瞬、喜色を浮かべた殿下でしたが、続く私の言葉にすぐさま笑みを消しました。


「しかし、しかししかし! しかしです。貴方様の御立場を考えれば、わたくしとの結婚はいばらの道となりましょう。身分が違うのです。どうか――」


 言い募るうちに声が震えて、私の藍色の瞳からはとめどめもなく涙があふれておりました。


「どうか、お考え直し下さいませ。殿下ご自身の幸せを望まれるならば、どうか……」


 侍女と王子という、身分の差。

 面子を完膚なきまでに潰された、ロゼッタ様からの嫌がらせ。


 どちらも、光り輝くべきエドワード殿下の人生に大きく影を落とすこととなりましょう。


「フェリス様。おもてを上げてください」

「…………」


 また、新しいハンカチを差し出されました。

 受け取ったわたくしは、情けなくも鼻水と涙まみれになった顔をずびびびと拭きました。


「身分差など関係ありません。貴女と進む道がいばらの道であるのならば、私はその道を喜んで進みましょう。貴女と進む道が地獄に続くのならば、私はそれを天国と呼びましょう。貴女が伴侶として傍にいてくださることに勝る幸せは、私にはありません」


 嗚呼……。

 臆面もなくおっしゃられる口説き文句に、わたくしは泣いているのも忘れ舞い上がってしまいます。


「わたくしに、それほどの価値を認めてくださる理由がわかりません……」

「ふふ。一緒にいて楽しいかどうか。気が安らぐかどうか。貴女を好ましく思う理由は、そのくらいのゆるい理由で十分ではないですか。何より貴女は、貴女にあれほどのことをした主君についての悪口を私に対して一つも言わなかった」

「それは、まあ、はい……」


 内心ではけっこう言っておりますが、それはそれとして。


 他人の悪評をばら撒けば、自分に跳ね返ってくるのは世の必定。

 それに、ロゼッタ様には恩義はありませんが、女王陛下や王配殿下からは、おそれ多いことにまるで実の親のような気さくさで接してくださり、とてもよくしていただいております。


「重ねて申します。貴女の人間性に惚れました。身分など関係ありません。生涯の伴侶として私の傍にいて欲しい女性は、貴女しか考えられない。ですからどうか、私の求愛を受け入れていただきたい」

「…………」


 おかしいわ。

 あら、おかしいわ。

 わたくしは、ただ、ロゼッタ様が暴れて部屋の調度類を傷つけたことを執事の方へお詫びに伺っただけですのに。

 執事室にはお慕いしている王子様がいて、私へプロポーズをされているわ。


 夢ですわ。

 ああそう、これは夢なのですわ。


 夢ならば、どう答えてもわたくしの自由ですわよね?


「喜んでお受けいたしますわ。エドワード殿下」


 こうしてわたくし、エモルトン子爵が娘フェリス・リッツ・エモルトンは、隣国の王子エドワード殿下と婚約をしたのでした。


 それはとても、それこそ夢のように儚い間のことだったのですが――




 ***




 空は曇っておりました。


 朝方に雨が降ったのでしょう。湿気がたちこめていて、空気はじめじめと不快にまとわりついてきます。

 がたごとがたごとと、石畳の上を馬車が進んでいました。


 わたくしはロゼッタ様とともに、ブリシュタット王国への帰国の途についていました。


「あのクソ王子、きっと○○○なんだわ。そうだわ。じゃなきゃ私を断るなんてあり得ないじゃない。……ちょっとフェリス。そういうことはきちんと調べておきなさいよ、どんだけ無能なの貴女」


 破談を申し渡されてからこれまで、ロゼッタ様は聞くに耐えない悪態を延々と垂れ流しております。


 そこにあるのは、まごうことなき現実でございました。


「聞いてるの、フェリス!? あのクソ王子みたいにのろまになっちゃったの!?」

「申し訳ありません。昨日のことがあまりに衝撃的でしたので、現実を受け入れるのに時間がかかりました」

「ふうん。あっそ。まあそうよね。私があんなのとお情けでつきあってやるって言ってたのに断られるなんてあり得ないわよね」

「はい。わたくしも、ロゼッタ様のご様子を見てようやく怒りが沸いてきました」


 ええ、そうですわ。

 認めましょう。

 ここまで激しい感情は、わたくし産まれて初めてのことです。


 キレました。


 このたび、わたくしは、本気の本気でキレました。


 わたくしの顔のひきつれを治して下さった恩人に、わたくしのことを地位に関係なく優しくして下さった御方に、聴くに耐えず、事実にも基づかない罵声をいくつも並べ立て!


 あまつさえ――


「そうね。その調子よ。貴女もきちんと働くのよ。あのしみったれた王子をできるだけ惨めな目に遭わせて、私の前に連れて”ごめんなさい結婚して下さい”って土下座させてやるんだから」


 あまつさえ、王女としての地位を悪用して、わたくしの愛しい方を陥れようとするなんて!


「それをこっちから断って、ついでに一生をぶち壊しにしてやるわ! あはははははは!」


 自分勝手な未来を思い描いて、高笑いをするロゼッタ様。

 この時、わたくしもどうしてかわかりませんが、口元に笑みを浮かべておりました。


 当初の計画では、諜報部へ根回ししてロゼッタ様の八つ当たりのご命令を適当な名目でやったふりをしてもらいつつ、その実エドワード殿下の国へご迷惑の慰謝料として便宜を図り(我が国からすれば利益相反にあたるため、わたくしの行為は祖国への裏切りとなります)、事が発覚した際の泥は全てわたくしが被る予定でございました。


 しかし、気が変わりました。


 これからわたくし、容赦なくプッツンさせていただきます。




 ***




 国元に戻ったわたくしがしたことは、王宮内外の関連各所への根回しでした。

 もちろん、エドワード殿下を破滅させたいというロゼッタ様のご要望に従うつもりなど毛頭ありません。


 わたくしがしたのは、ロゼッタ様を、完膚なきまでに”潰す”ための根回しでございます。



 ここで、ロゼッタ様とわたくしの持つカードを比較してみましょう。


【ロゼッタ様】

 第一王女としての地位と、地位に付随する権力および金銭。



【わたくし】

 王室に出入りするほぼ全ての貴族および騎士の方々の浮気経歴の情報。夜の店のお気に入りの娘も把握済み。

 同上の殿方の奥方様との人脈ネットワーク。

 同上の人脈ネットワークを駆使した王族特務(諜報部)への貸し多数。

 王族特務(諜報部)がうっかりとわたくしへ漏らしてくださった国家機密いろいろ。

 きまぐれに行われるロゼッタ様の悪行から被害者の皆さんを庇った際に得た、平民、商人、貴族、聖職者からの幅広い信任。

 ロゼッタ様の税金ちょろまかし事件をもみ消す際の副産物として入手した、辺境にいる伯爵家複数の脱税の証拠多数。

 同上の脱税への懲罰を軽くする交換条件として釈放&借金をゼロにした地方農民と商人からの絶大なる信頼。

 ロゼッタ様のお目付役として培った、女王陛下を含む王族の方々の信頼。



(ロゼッタ様は、ご存じないでしょうけれども……)


 貴女様が、わたくしの顔に熱湯をかけて重傷を負わせた一件を知った女王様、激怒されましたのよ。

 それはもう、実の娘を傷つけられたかのような剣幕で……。


 あの時、女王陛下以外の多くの方も眉をひそめ、ロゼッタ様を修道院へ押し込める話も持ち上がっていた。


 それが立ち消えになったのは、エドワード殿下がわたくしの顔の傷痕を治していただき、そして被害者であるわたくしが、ロゼッタ様を庇ったから。



 ともあれ。



 わたくしが悪だくみを始めてから、数週間後――



 ロゼッタ様を潰す計画は着々と進行し、『どうしてもっと早くしなかったのか』というお叱りを複数の方から受けつつも、外堀、中堀、内堀をまたたくまに埋め尽くしていきました。


 ええ、そうなのですわ。


 これが、現実でございます。


 エドワード殿下に幸せになっていただくためには、ロゼッタ様には破滅していただくしかないのです。


 もちろん、わたくしもそれなりの代償を支払う覚悟はございます。


 どんな理由があろうとも、主君への裏切りは人倫にもとる大罪ですから。


 エドワード殿下には申し訳ありませんが、主君を破滅させるという業を背負った女は貴方様には相応しくはありません。

 婚約はどうか、なかったことにしてください。

 儚い夢を見させていただいて、幸せでございました。


 全てがつつがなく終わり、エドワード殿下の障害となる我が主君を取り除いた後は、わたくしもお暇をいただいて、どこかでひっそりと独身を貫いて生きてゆく所存にございます。





「エカテリーナ女王陛下。ロゼッタ姫殿下のことでご相談があります」


 証拠も証人も揃え、考え得る限りの後ろ盾も用意して、いよいよロゼッタ様のこれまでの振る舞いを告発し、女王陛下からのご下命をいただくのみとなりました。


 お部屋で執務をされている陛下の元へ伺うと、陛下は全てをご存じのご様子で悠然となされております。


「そう。ちょうどよかったわ。わらわも、ロゼッタと貴女のことで話しておきたいことがあるの」

「なんなりと申しつけ下さい」

「驚かないでほしいのだけれども、ロゼッタは――」


『王位継承権を取り上げて、修道院へ出家させるつもりよ』


 そういう話をされるのだと、思っておりました。

 女王陛下もまた、ロゼッタ様の素行の悪さを苦々しげに感じておられるご様子でしたので。


「わらわの実の娘ではないの。それどころか王族ですらないわ」

「…………」


 は……?


「ロゼッタの本名は、ロゼッタ・リッツ・エモルトン。本来の産まれはエモルトン子爵のご令嬢」

「…………」


 はい……??


「そして、貴女の本名は、フェリス・アル・シエラ・ブリシュタット。本来の産まれはわらわの実の娘にして、この国の第一王女」


 はいぃ……????


「貴女が産まれたときは、王族内のくだらないいさかいがあって宮廷内では暗殺の嵐が渦巻いていたの。これはまずいと思って、知己のエモルトン子爵に無理を言って、彼の娘を変わり身としての第一王女に仕立て上げたわけ。本物の第一王女、つまり貴女をエモルトン子爵の娘ということにしてね」

「……何かの、ご冗談でございますか?」

「疑り深いのは良いことよ。次期女王には必要な美徳だわ」


 言われてみれば、確かに。


 思い当たることは、色々とございます。


 お忙しいはずの女王陛下がわたくしと話すときは破格に時間を取ってくださったし、過分なほどにきめの細かな便宜を図っていただけました。

 毎年の誕生日には、女王陛下自らが手作りの贈り物を必ず届けていただきました。

 娘であるはずのロゼッタ様には、そんなことは決してなされませんでした。


「どうして、今さらそんなことを……」

「そこなのよ。ごめんなさいね。本当は貴女が十二歳で王立学園へ飛び級で入った時には宮廷内のいざこざは片が付いて、暗殺される心配もほとんどなくなっていたんですけれども――」


 意味深に言葉を切るのは止めていただきたい。


「けれども?」

「フェリスったら、侍女として“あの”ロゼッタの振る舞いへの対処をするうちに、国家運営に必要な権謀術数のスキルをぐんぐんとつけていくんですもの。謙虚さとか、気遣いとか、根回しとか、妥当な落としどころへの誘導とか、相手を立てつつこちらの要求を受け入れさせるやり方とか。その他もろもろ。これはもう、しばらく王女であることを伏せて成長を見守るべきだって、夫とも話し合って決めたのよ。ごめんなさいね」


 女王陛下は、わたくしに向かって深く頭を下げられました。


「…………」

「だから、半年前のあの件は流石にわらわも怒ったのよ。他ならぬ貴女が庇っていなかったら、ロゼッタには修道院に行った後にしてもらっていたわ」


 さらりと恐ろしいことを言ってのける女王陛下。


 顔が笑っているけれども目が笑ってないので、本気でそうされるおつもりだったのでしょう。


「それでは、わたくしは……」

「そう。わらわの実の娘。この国の第一王女」

「それでは……」


 それでは。


 ロゼッタ様を、失脚させる必要などなかった……?

 わたくしは、エドワード殿下との婚約を続けたままでも良いということ?


「そういうわけで、ロゼッタのことはこちらで処理します。貴女は本当に好きな方と添い遂げられるチャンスをふいにするような、くだらない真似はおよしなさい。彼は信用できる方だわ。結婚したいなら結婚しなさい。わらわが許します」

「ご存知でしたか」


 やはり女王陛下は、恐ろしい御方です。


 エドワード殿下との婚約については、優秀な諜報部の方を通して察知していたのでしょう。

 ロゼッタ様を潰す計画についても、今や王室関係者のほとんどが知っております。


 しかし。


 主君、つまりロゼッタ様を首尾よく破滅させられたのち、わたくしが世を捨てるつもりであったことに関しては誰にも言っておりません。

 けれども女王陛下、いえお母様は、わたくしの行動パターンを見抜かれておられました。


「もちろん。わらわは貴女の母ですもの」


 力強いお言葉。

 それは、わたくしが一介の侍女から、この国の第一王女になった瞬間でもありました。



 ですが――


 このお話は、これにてめでたしめでたしとはならなかったのでございます。



 エドワード殿下からの早馬のお手紙が、その日の夜に届きました。


『当方に重大な瑕疵があったため、先日に交わしたフェリス様との婚約はなかったことにしていただきたい。詳細は直接会ってお伝えする』


 そういう趣旨の内容が、エドワード殿下の筆跡で書かれておりました。




 ***




 我が国ブリシュタット王国とエドワード殿下の国ラターシュ。両国の国境近くにある砦の一室をお借りして、わたくしはエドワード殿下から事情を伺う事となりました。

 出来るだけ内密にしたい話ということで、殿下の側の出席者はエドワード殿下ご本人と、執事のモルド様の二名のみ。

 こちらはというと、わたくしと『面白そうだからわらわも行くわ』とついてきた女王陛下の二名。


「そちらの方は?」

「フェリスの母にございます。この度は娘の人生にとって一大事とのよし。わらわも納得がいかず、どうしてもお話を伺いたくはせ参じました」


 ……嘘は、申しておりませんが。


 我が母君は、恐ろしい底意地の悪さでございます。


 エドワード様。どうか、不用意な発言はなされませぬようお願いいたします。ロゼッタ様と違って、長年にわたり我が国を切り盛りしてきました女王陛下は、それはもう洞察力と観察眼に長けた御方ですので。


 そんなわたくしの心配をよそに、わたくしたちはテーブルにつきました。


「結論から申し上げます。私は影武者だったのです」


 エドワード殿下が、沈痛な面持ちでおっしゃいました。


「大国に挟まれた我が国では王位継承者の不審死が多いため、影武者を用意するのが常でした。孤児であった私の顔が本物のエドワード殿下と酷似していたことから、影武者として登用され、正当な契約の下に催眠暗示魔法を受けて自分の事をエドワード殿下本人だと思い込んでいたのです」

「…………」

「…………」



 お母様とわたくしは、そろって顔を見合わせました。


「私の本名はエドワウ。捨て子の孤児ですので名字はありません。そしてこちらの執事のモルドが、本物のエドワード殿下にあらせられます」


 エドワード殿下、いえ、エドワウ様が、執事のモルド様へと振り向かれました。


「失礼」


 モルド様が立ち上がり、右手のひとさし指を自分の首筋に当てながら何事か呪文のような言葉を唱えます。すると――


 モルド様の茶色がかった髪が、エドワウ様と同じ美しく輝く金髪へと変わってゆき、眉と鼻筋が太く実直そうなお顔もまた変貌して、エドワウ様と瓜二つのイケメンへと変わってゆきました。


 エドワウ様と、モルド様(変身後)が並ばれると、まるで双子のご兄弟のようです。


「これが、エドワウの言葉が事実であることの証明です」


 実際にこの目で確認したのですから、信じないわけにはいきません。


「王族の醜聞を防ぐために、エドワウにかけた催眠暗示には女性への恋愛感情を控えることも含まれていたのですが……おそらく、深層心理からフェリス殿に惚れてしまったのでしょう。それにしてもまさか、いきなりプロポーズをするとは想定外でして、防ぐ暇がありませんでした。私が事態を知ったときには既に婚約が成立しており、慌ててエドワウにかけた”自分のことを王子エドワードだと思いこむ暗示”を解除したのです」

「それでは、エドワード殿下……ええと、名前がこんがらがってまぎらわしいですが、エドワウ様がわたくしに懸想され結婚したいと願った感情そのものは、本心からのことであったと?」

「はい。恥ずかしながら、その気持ちに関して嘘はありません」

「まあ……」


 駄目ですわ。女王陛下の御前ですのに、ときめきが止まりませんわ。

 わたくし、嬉しさのあまり頬が火照っておりますわ。


「このようなことになり、まことにご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「すみませんでした」


 とても丁寧な物腰でモルド様(エドワード殿下と書くと紛らわしすぎますので便宜上こう書かせていただきます)がおっしゃられ、エドワウ様が深く頭を下げられました。


「なんというか……、なんてことでしょう……」

「こんなこと、あるものなのね」


 不思議な偶然もあるものだと、わたくしもお母様も思ったものでした。


「それでは、これからのエドワード殿下……でなくて、エドワウ様の処遇はどうなるのでしょうか?」

「口外無用の誓詞を書いてもらい、これまでの働きに応じた給金を支給し、彼の故郷の村にてひっそりと過ごしてもらいます」

「ふぅん……? 寛大な処置ですこと」


 お母様が、意味深な感想を述べられました。

 いわんとしていることは分かります。口封じを疑っているのでしょう。

 しかしたとえそうだったとしても、エドワウ様当人がいる前で口封じするつもりだなどと話すわけがありません。


「影武者としての再登板もあり得ますので」

「なるほど。ここまで瓜二つで、しぐさも王族らしい振る舞いを為される方はそうはいないものね」

「それにエドワウは、私にとっても長年を連れ添った大切な友ですから。私の命にかけても、絶対に悪いようにはいたしません」


 羨ましいことです。

 もしもロゼッタ様がモルド様のようなご見識をお持ちでしたら、私たちの関係ももっと麗しく、温かなものになっていたことでしょう。


「フェリス様が婚約を了承されのは、”ラターシュの第一王子たるエドワード”でした。しかしその実、王子でも何でもない男があなたをたばかっていたのです。ですからこの婚約、こちらに重大な瑕疵により白紙に戻すのが筋だと考え、先の手紙を送った次第です」


 エドワウ様が、お辛そうな表情をしてわたくしたちへと告げました。

 アイスブルーの瞳の周りは赤くなっており、おそらく昨夜ごろまで泣きはらしたであろう痕跡が伺えます。


「ですから、フェリス様と交わした婚約は――」

「お待ち下さい」


 静かに、しかしはっきりと、わたくしは無礼を承知でエドワウ様の発言を遮りました。


「実は、わたくしも自身が預かり知らぬうちに身分を偽っていたのでございます」



 と、いうわけで。

 わたくしは実は侍女ではなく王女であり、我が主君ロゼッタ様は実は王女ではなく子爵家の娘であったことを手短に語りました。



 かくかく、しかじか……と。



「そ、そんなことが……」

「それではますます、私とフェリス様では釣り合いがとれませんね……」


 全てを語り終えると、モルド様が驚愕し、エドワウ様が儚い笑みを浮かべました。

 わたくしの斜め後ろでお母様も笑みを浮かべておりますが、こちらは井戸端会議でおばちゃんが浮かべるような底意地の悪い含み笑いでございます。


「エドワウ様。わたくし、少し怒っておりますのよ」

「申し訳――」

で、わたくしとの婚約を破棄しようとしたことに対してです」


 モルド様にエドワウ様が、いぶかしげな顔をなされました。


「エドワウ様。婚約の際に貴方が述べられたお言葉、覚えておいででしょうか?」


 わたくしはばっちりと覚えております。


「「“身分差なんて、関係ない”」」


 わたくしと、エドワウ様の声が、奇しくもハモりました。


 あの時の、“殿下”としてのお言葉。

 ただの下級貴族出身の侍女に過ぎなかったわたくしに対して、一国の王子であったエドワード殿下がかけて下さった言葉。


 わたくしの心を、魂を射止めました。


 今さらなかったことになんか、絶対にさせません。


「ええ。そうですわ。身分差なんて関係ありませんわ。貴方がフェリスという女を愛したように、わたくしは貴方様をお慕いしたのです。王子と侍女という立場から、影武者と王女という立場に変わったところでその気持ちに変わりはありません。ですから、重ねて申し上げます」


 呆然とするエドワウ様に近づいて、その手をわたくしは握りしめました。


「貴方をお慕いしています。身分に関係なく。私が侍女であろうと、王女であろうとも。そして貴方が王子であろうと、王子ではなくその影であろうとも」

「フェリス様……」

「エドワウ様。もう一度、貴方の本心をお聞かせください。貴方は本当に、わたくしとの婚約を解消したいのですか?」

「…………」


 逡巡しゅんじゅんを伴う沈黙の時間が数秒流れ、エドワウ様が必死の形相で叫ばれました。


「そんなわけがない! 私だって、フェリス様と結婚したい!」


 部屋中に響き渡る大声でした。

 わたくし、あまりの嬉しさに涙が目からこぼれそうです。


「お母様。いえ。女王陛下。聞かれましたか?」


 エドワウ様から一歩離れると、わたくしは背後で成り行きを見守っていた女王陛下へ尋ねました。確認のための問いです。


「ええ。はっきりと」

「エドワウ様。それにエドワード殿下」


 わたくしは、ここぞとばかりに二人へ向き合い、声を張り上げました。


「エドワウ、フェリス両名の婚約の証人として、恐れ多くも我が国の女王、エカテリーナ陛下がお立ち合いになられました。以降、これを違えることは両国間の外交問題となること、ご自覚くださいますようよろしくお願いします」


 わたくし達の結婚に、身分なんて関係はありませんけれども。

 わたくし、これからの円満な結婚のために今の身分や立場を活用しないほど、潔癖症ではございません。


「ふ。それでこそわらわの娘」


 お母様から、褒められてしまいました。

 ゆくゆくは私も女王になるのですから、このくらいのしたたかさはお母様の要求されるところなのでしょう。


「承りました。ラターシュ国が第一王子、エドワードの名において両名の婚約がつつがなく交わされたことを認めます。……エドワウ。呆けている場合か」

「はっ」


 呆然とされていたエドワウ様ですが、モルド様の声に我に返りました。


「す、すみません。夢を見ているような気持になってしまいました。今日この日まで、失恋する覚悟でおりましたので」

「お気持ちはわかりますわ」


 わたくしも、エドワウ様から先日求婚をされた折には夢見心地でしたから。


「フェリス様」


 気を取り直し、わたくしに向き合ったエドワウ様は、それはもう筆にもつくせぬイケメンぶり。ただでさえお美しい殿方なのですが、わたくし自身の好感度による補正が加わっております。わたくしの瞳に映る姿はキラッキラの超絶紳士さまでございます。


「素性の知れぬ男ですが、貴方に相応しくあるべく努力いたします。改めて、どうか私と結婚してください」

「喜んでお受けいたしますわ。エドワウ様。これから先、わたくしこそご迷惑をおかけすることがあるかと思いますが、共に幸せになるよう全力で努力する所存にございます」


 根拠はありませんが、確信はしておりました。

 わたくしたちならば、どのような障害も乗り越えられると。


 なにせわたくしたち、お互いの身分差をものともせずに愛し合っておりますので。


 ええ、まあ、現実とは厳しいもので、婚約から結婚までの数年間で波乱もありましたし何度か喧嘩もいたしましたが、それは蛇足というもの。


 折があれば、また別の機会にお話しいたします。





 ああ、そうそう。




 ロゼッタ様のその後ですが、女王陛下が公に真相を明かし、本来の身分に戻っていただいたのち、エモルトン子爵家の領地にて花嫁修業(のようなもの)をされることとなりました。


 因果応報と申しますか、なんというか……。


 ロゼッタ様はとてもたくさんの方から恨まれておりましたので、わたくし個人としてはそれはもうとても心配しております。これからの人生、何事もなく健康でいらっしゃられるとよいのですが。


 わたくし、わりと本気で言っておりますのよ?


 何しろ、わたくしがエドワウ様とお近づきになれたのもロゼッタ様のおかげ。

 いわば彼女は、わたくし達の恋のキューピットでございますので。


 しかし思えば、彼女がこれから迎えるであろう逆境は、幼稚でわがままな性格を叩き直し、大きく成長されるチャンスでございます。


 是非とも自らの力だけで乗り越えていただきたく、今後の益々のご健勝とご多幸を、わたくし心よりお祈りしております。


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