星の間にこの歌を

 ― 世々経とも 絶えむものかは 七夕に 麻ひく糸の ながき契りは



 あの人と別れ、一年に一度の星間せいかん邂逅かいこうを1700回以上も繰り返してきた。

 

 その間に、何人もの子どもたちと出会い、会話し、別れてきた。

 けれど、幾星霜いくせいそうを経ても、あの人の血筋は未だ色濃く継がれている。

 

 あの人が送ってくれた御簾みすの向こう、しとねの上で彼女は微笑をこぼした。

 向こうのこよみで七月七日が来るまであと数日、時間が経つのは速いものだ。


「姫様」

 ふと、たった一人私に仕える女官の呼び声がした。

「どうしたの?」

「お会いしたいという方が、いらっしゃいました」

「私に? 誰かしら」

 

 あの星に向かった私は罪人の烙印らくいんを押された。その刑期はとっくに終わっているが、あえて私を訪ねる者は未だいない。

 その雰囲気が今、突然変わるとは思えないのだが。

「まあいいわ。案内して」

「はい」

 彼女につれられて、屋敷の応接間に足を運ぶ。

 朝廷政治の報告だろうか。それとも、まさか私を傀儡かいらいに革命でも起こそうとしているのか。

 ……まあなんでもいい。年に一度のじらいさえできるのなら、私はそれで。

 

「ありがと」

「はい」

 女官の背を見送って、私は応接間に入った。


「……え」

 ふと、言葉が漏れ出た。そこに座っていたのは、当代の、彼の子孫だ。

たい……くん」

「こんにちは。この星で会うのは初めてですね」

「……」

 どうして、彼が此処に。彼とは、あと数日を経ないと会えないはずでは……。

「ついにわが星でも星間移動が可能になったんですよ。だから直接やってきたんです」

「そ、そうなの……」

 つい笑みがこぼれる。だって、こんなふうに会えるなんて思ってもみなかった。


「まあ、ゆっくりしていきなよ。長旅で疲れてるでしょ」

 それに彼ももう立派な男だ。

 しとねの準備をしないと、そう思う私の言葉を、彼はさえぎった。

「いいえ、結構です」

「え?」

「もう帰るので」

「そ、そうなの?」

 呆気にとられる私に頷きを向けた彼は、「それから」と、俄かには信じがたい言葉をそれに続けた。


「僕の家は今後、あなたには関わらないこととさせていただきます」




「えっ……?」

「幻想は、いずれ覚めます。長い時間がかかりましたが、ようやくそのときがきました。これも、お返しします」

 彼は机に古びた唐櫃からびつを置いて言った。


「ちょ、ちょっと待ってよ」

 今度は、私がその言葉を遮る番だった。


「……何でそんな、急に」

「あなたは」


 次の瞬間、子孫の中でも怜悧れいりな顔立ちの彼の視線が、鋭く私を射抜いぬいた。

「あなたは、僕たちの懊悩おうのうを知らないでしょ」

「はあ?」

「あなたとの間に産まれた子どもたちが、どれほど苦悩しているか、苦悩したか、知らないでしょう」

「それは、でも、あなたたちだって、求めて来ていたでしょ」

「そうです。だから、僕が、先祖に代わってその連鎖を断ち切ろうと決めたのです」

「っ……」

「世々ふらば……長い時間が経てば、長き契りもほつれるんですよ。だから、受け入れてください。僕も、受け入れます」

「……あなたは、先祖が皆、私との語らいを過ちだと思っていたと、そう言いたいの?」


 それは、あまりに勝手だ。

 確かに、これでいいのかと悩んでいた子どもたちもいたけれど、結局は私とちぎったではないか。それは、彼らの意思だ。

 それに、私にとってもそれが一番の目的だったかと言えば、必ずしもそうではない。

 あの人の子孫の行く末を見たかったのが、あの邂逅と契りの、究極的な目的だ。


「あなたがそう決めつけることは、私だけじゃなくて先祖の名誉を傷つけることになるのよ」

「正しい答えなんてないんですよ」

 彼は涼しい顔で言う。

「自分が正しいと思った答えを、正しくしていくしかないんです」

「そういうことを言ってるんじゃない!」

「僕にはわかるんですよ、先祖の気持ちが。少なくとも他の誰よりもね」

「どうしてよ」

「僕自身があなたと先祖が作り出した連鎖の、最後の賜物だからに決まっているでしょうが」

 彼はさらに厳しく私を睨みつける。そのさまに、言葉を失う。


「あなたが憎いのではないのです」

 嘘つきだ。そうだったならそんな表情はできない。

「ただ、もう断ち切りましょう。お互いを、自由にしましょう。連鎖が続いたとてもう、あなたが愛した人はいないんです。ここにいるのはただの子孫。血を継ぐだけで、その人ではない。あなただって、とうの昔に気付いていたでしょう?」


 いやだ、いやだいやだいやだ。

 子どものような我儘が胸の奥から飛んでくる。

 けれどそれらは胸元で止まり、のどを通らなかった。なんで? なんで、言えばいいじゃない。それなのに……。


 ……それなのに言葉が出てこないのは、彼があの人に似ているからだろうか。

 いや、私にも似ているからか。あの星をつとき、同じようなことを、私は言っていたじゃないか。状況は真逆だけれど。





「……そう……」


 もう、諦めの方が勝ってしまっていた。机の上の箱を取って、私は着物をひるがえした。

「ならいいわ」

 袖を涙でぬらさぬよう、必死にこらえながら客間を出て行く。

「姫様?」

 女官が駆けよってくる。自分でも自覚しているくらいだ。外から見ればもっとただならない様子に違いない。

「大丈夫でございますか?」

「つばき」

 久々に彼女の名前を呼んだ気がする。

「はい?」 

 彼女は私を見上げながら首を傾げた。

「久々に、死にたくなったわ」

「……」

「ね、つばき……」


 その名を呼ぶのすら苦しい。だって、それはあの人から受け取った最後の贈り物の名前だ。


 気づく。

 私自身も含めた周囲は、あの人で染まっていたんだ。それなのに私はあの人との絆を外にばかり求めて……。

 ふと、箱を開ける。変色した紙をよけると、そこに色褪いろあせた、あの糸があった。

「ああっ……」

 ついに、私は、崩れ落ちた。

 あの人に渡した、五本の糸。すっかり色を失ったそれは、私と彼らのつながりの象徴だった。

 

(あなたとの間に産まれた子どもたちが、どれほど苦悩しているか、知らないでしょう)


「そうね……そうだったかもしれないわね」


 連鎖……か、そんな風に思ったこともなかったな。

 けれど、有限を生きる彼らからすれば、私との邂逅は、この糸のように連綿れんめんと受け継ぐ因習いんしゅうにすぎなかったのかもしれない。

 涙が落ちる。けれどもそれも、これが最後か。


(お互いに自由にしましょう)


 中庭、浮かぶ星々の輝きは、いつの間にやら、赤く、少なくなっていた。




―世々経らば 五色の糸も せゆかむ 長き契りも 絶えぬものかは

                                  完



  

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星の間にこの歌を 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

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