第16話 不殺の剣士
――三分割、だ。
【レベル・レッド】のハンターであるウリア、マルク、ユキノは、相談することなく、カオスグループがこのアクアの内側に侵入した瞬間に、それぞれの行動を開始した。
マルクは船長室の隅に置いていた自分の長い剣を持ち、準備を整える。
襲撃によって、あらゆる場所が既にボロボロになっているはずだ。だから、というわけではないが、表向きは素早く移動するためという理由で、マルクは地面を円形状に、一太刀で切る。
力の加減をし、2Fの地面までを、丸く、くり抜いた。綺麗な切り口だった。
抜かれた部分をそのままはめれば、目だけならば、それが続いた地面だと誤魔化せそうだ。
1Fまで飛び降りたマルクが見たのは、惨劇だった。
マルクとは真逆の、雑な切り口。対象が人間ならば、マルクの方はすぐに接合できる『殺さないための技』――、だがカオスグループが人間につけた傷は、苦しみを与える、長く続く苦痛の後に、確実に殺すための技だ。
正反対である一人と、一体の視線が、ばちりと合った。
二足歩行のカオスグループが、足元で水飛沫を上げて飛びかかってくる。
マルクは剣を構え、うんと長いリーチで、切っ先をカオスグループの腹部に入れる。
三日月の軌道が描かれた。
切られた勢いを使って後ろに避けたカオスグループが、距離を取る。
『ギィ……!?』
「こちらはおれ一人だ、邪魔は入らない。だからお前も、一人でこい」
言葉など伝わらないだろうが、マルクはカオスグループにそう語りかける。
言うまでもなく、カオスグループが誰かを頼ることは基本的にない。もしも仲間が助けたようなシチュエーションになれば、それは単に獲物を横取りした、個人的な利益を追及した結果だ。
切り口から血が流れる。
腹部を押さえるカオスグループの一体。
隙だらけだが、マルクは動かずに剣を構える。
武器は元から持っておらず、強いて言うとすれば、彼らの武器はその爪や牙であるため、それをマルクは武器と認識する。
騎士道に則るマルクは、構えを取らない手負いの相手に、剣で攻撃をすることはしないのだ。
たとえ、相手がバケモノだろうとも。
自分の芯を曲げることは許されない。
「……構える気がないのならば、引くがいい。
お前一人が逃げたところで、戦況は変わらないよ。
おれもそっちの方が無駄な殺しをせずに済むしな――」
目を細めるカオスグループ。
マルクを見定めているような表情だ。
マルクは妙な胸騒ぎを覚える。
なんだ、その表情は。
まるで人間のような不敵な笑みだった。
カオスグループが、再び飛びかかってくる。
今度は身を低くして、低空飛行のように素早く、とんととんっ、と、変化をつけてマルクのリーチの内側へ――。
マルクの剣は、柄の持ち手が異様に長く、拳が六つ分ほどある。
刀身は通常の剣と同じなので、柄の分、リーチが長いのだ。
マルクは騎士としては、特殊な使い手だった。もちろん、騎士として剣の持ち方や戦い方、剣術など叩き込まれているため、普通の剣だろうとも実力は申し分ない。
彼は天才なのだ。
だが、オーソドックスな形は、彼の才能をその場で留めてしまう。
だから彼は己で進化を遂げた。それがこの、異様に長い柄なのだ。
持ち方はまるで槍だ。
だが、刀身は槍に比べ長いために、そのリーチが対峙してみると桁違いに長いと分かる。
しかし、だからこそ。
リーチの内側に入られてしまうと、なかなか回避ができない。
威嚇の声と共に、カオスグループの鋭く、血に染まった爪が胸元に迫る。
マルクの剣の切っ先は、カオスグループの真後ろの空間を突き刺している。
刃はどうしたって、カオスグループの爪よりも後に追いつくだろう。
マルクは咄嗟に。
異様に長い柄を下から持ち上げるように、カオスグループの顎に叩き込んだ。
「そんな手など、とうに見飽きたよ」
顎を打たれたカオスグループの足が浮く。
背中から地面に落下し、水を辺りに撒き散らす。段々と水位が上がってきているため、今はカオスグループの仰向けになった時の顔は、全て沈んでいた。
水の進行が早い。
さっさと決着をつけなくてはならない――。
マルクは柄の先端を、カオスグループの額に振り下ろす。
勢いがついた柄は、しかしカオスグループの額を割ることはなかった。
仰向けのまま、出された蹴りがマルクの腹の奥深く、芯を揺さぶる。
「ぐふっ!?」
まともに喰らったマルクは、後ろに飛ばされた後に着地を決めるが、一瞬のバランスの消失によって、膝を崩してしまう。
それを見て、にやりと笑みを作るカオスグループ。
不気味さが拭えない。
カオスグループは、頭は良くなかったはずだ……、
なのに、今の敵には、なにか策略があるように思えてしまう。
(……考え過ぎだ)
所詮、頭脳はあまり進化していないバケモノだ。力づくに頼るパワー
吹き飛ばされたダメージが効いているが、おかげで距離が取れ、リーチが機能する。
マルクの剣が、最大のパフォーマンスを発揮できる。
構えから刃を振り下ろすまで、一瞬もかからなかった。
避ける余裕もなかったはずだ。カオスグループは事実、攻撃を受けた。
しかし妙だ。
避けられなかったという手応えではなく、最初から避けようとしなかった様子だった。
マルクの攻撃など、避ける価値もないと言った意思が感じられる……。
二足歩行で立つカオスグループは、ダメージなど微塵も感じてなさそうだった。
(こいつ……っ!)
マルクの剣に怯えを感じていない。
死ぬことに、恐怖を感じていない。
いや、
自分は殺されると、まったく思っていない。
確信している。
マルクはそれを、否定できなかった。
あっさりと、戦闘開始、数十秒で、弱点を見破られた。
それは野生の勘か。
いくら隠し、誤魔化しても、マルクが持つ怯えが悟られた。
騎士の覚悟。
マルクの唯一の欠点。
マルクはバケモノを殺せない。
―― ――
正確に言えば、人だろうと殺せない。
生物に向け、殺す、という行動を毛嫌いしているのだ。
それは一面、優しさと言えるかもしれない。
しかしバケモノに支配されたこの世界で、それは大きなマイナスとなる。
不殺を貫けば、自分がやられる。
相手を殺さず、それによって殺される。恩を仇で返されたような善人の悲惨な末路だ。
本音を言えば、彼はハンターになどなりたくなかった。
外で運動をするよりも、家の中で本を読んでいる方が好きな子供だった。
しかし、騎士の家系だったために、兄弟同様にマルクも騎士道を習うことになる。
礼節、剣術、女性への接し方。一族の恥とならないように、様々な技術と知識を毎日毎日——それも数十年間、叩き込まれ続けてきた。
マルクの性格は優しく、反抗することなどまったくなかった。
家族に向けては、一度もなかった。
そのため、彼は文句を言わず、熱心に打ち込んだ。
五歳上の兄のことも、実力で圧倒するほどの実力を、小さい頃から既に会得していた。
意思とは関係なく。
彼の騎士としての実力は、年齢と共に上昇していく。
彼は一族の中でも三本指に入る、天才だったのだ。
強いからこそハンターとなり、バケモノを倒す。
それが人類のためとなり、みんなを救うことに繋がるのなら――、
マルクは喜んで、その命に従った。
実力のある者が家にこもって本ばかりを読んでいたら、それはそれで、人類への裏切りだろう。マルクの性格を考えれば、戦いは好きではないが、他の誰かが傷つくのはもっと見たくない。だから天秤にかければ当然、自分の意思を犠牲にする。
だからハンターとなった。
心が弱いマルクは、その剣術の強さだけで、レベル・レッドにいる。
天才だが、しかしエリートの域を出ない天才でもある。
未だに【
彼はこの場で満足してしまっている。
隣にいる、昔からの幼馴染であり、妹のように思っている、守ってあげたいお姫様のような、一人の少女を守れれば、彼はそれで良かったのだ。
ささやかな抵抗として。
マルクはバケモノを、殺したことがない。
ただの一度も。
撃退はしても、撃破はしていない。
自分の手は汚さず、殺すとしたら、必ずチームを組んだ誰かが殺している。
主にウリアが進んで、その役目を無意識に負ってくれているので、マルクは助かっていたが。
結局、人の手を汚しているだけで、自分が殺したのと変わらないのではないか?
そんな疑問を抱きながらも、彼は今日も不殺を貫く。
……だが、そろそろそれも限界だろう。
目の前のカオスグループ。
あいつは、殺す気で攻撃しなければ、倒せない。
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