第14話 カオス・グループ
距離を取っていたつもりなのに、一瞬でゼロまで詰められた。
ブルゥを包み込むように、牙が後ろと真上以外を塞ぐ。
滴る涎が、ブルゥの足を焼く。そうでなくとも目の前の巨大なカオスグループの一体の動きが速いため、避けることはできなかった。
瞬間、ばくんッ、と閉じられた顎が、ブルゥの体を噛み砕く――ことはなかった。
顎に一本の棒が差し込まれているように、痩身の青年が両手を広げて、顎を固定している。
カオスグループはさらに力を込めるが、青年の広げる腕は、一向に折り畳まれない。
だらしなく垂れるカオスグループの舌が、青年に踏みつけられる。目が見開かれ、涎がこれまでの倍以上が滴り、地面が激しく溶け出した。
青年は口の奥、喉へ予備動作なく勢いをつけ、蹴りを放つ。
あっさりと、カオスグループの巨体が吹き飛ぶ。
柔らかいお腹を見せ、ひっくり返るカオスグループは、体を反転させようともがいていた。
逃げるチャンス……しかしブルゥは、命の危険だった、という事実が足を固める。
その場で座り込み、助けてくれた青年を見上げた。
「あ、ありがとう……」
「お前、『51番』か……?」
振り向いた青年の顔は初めて見た。
今まで出会った人間は片手で数えられるので、当然、見たことなどなかったのだが。
しかしどうやら、あちらはブルゥのことを知っているらしい様子だった。
ブルゥは生まれた時点でギンと出会っているので、隠された過去などないのだが――。
なので人違い、なのではないだろうか。
「う、ううん? わたしは、ブルゥって言って……」
「いや、51番だろう。こちらからの通信や検索に引っかからないのは少し妙だが、高度なプロテクトでも無意識にかけているのかもしれない。まあ仕方ないな。温まるまでは、異変が起きても仕方ないからな。お前は最近、生まれたばかりだろう?」
ブルゥは、青年のなんでも知っているかのような言葉に、カオスグループ以上の危険を感じた。吹き飛ばされたカオスグループが立ち上がり、ゆっくりとこちらに迫っているが、そんなことなどどうでもいいと思えるほどだ。
明らかに、このアクア99に住む住人とは違う服装だ。
真っ白な、体にぴたりと張り付くウェットスーツのような、無駄を省いた近代的な服装だった。ブルゥのぼろぼろのワンピースとは全然違う。
ぼろぼろでもウリアが作ってくれたものなので、ブルゥの中では世界で一番、大切なものだ。
「な、なにっ!?」
無言で青年から手を伸ばされ、ブルゥは思わずその手をはたく。味方でも敵でも、決して良くない対応だった。味方なら失礼だし、敵ならばその一撃は、本格的な戦いへの、開始の合図と取られてしまうかもしれない。
しかしブルゥの心配は杞憂だった。彼はブルゥの首の裏にある、髪の毛で隠れていた、肌に刻まれている文字を見たかっただけなのだ。
それは……数字だ。
自分では絶対に見つけられない、他者がその者を判断するための材料。
【No.51】と、ブルゥの首裏には刻まれている。
「見つけたぞ……」
「見つけたって……」
「アンドロイドとしての力がまだ起動していないのか? それならオレが、ダウンロードさせてやれば早く済む。どうやら、オレ以外にもこの潜水艦に侵入したやつらがいるらしい……、面倒事は嫌いなんだ。混乱に乗じて帰るぞ」
「待って! 待ってっ、待ってよ!」
手首を掴み、引っ張ってくる青年の手を振り払う。
彼は驚いた顔をして、ブルゥを見つめていた。
まるで拒否されることなど最初から考えていなかったかのような身勝手さだ。
帰るとはなんだ。
ブルゥの帰る場所は、ギンとウリアがいる居場所以外には、ない!
「知らない人についていくわけがない!
わたしには帰る場所があるんだから、放っておいてよ!」
自分のことを知っているような態度だが、正直なところ、関係ない。
ギンとウリアの二人と接触するならばまだしも、混乱に乗じて帰るということは、二人に断りなく、ブルゥを連れ去るつもりなのだろう。
そんな横暴な人とは一緒にいたくない、というブルゥの意思が、視線に敵意を含む。
どしん、どしん、と、ゆっくりとこちらに迫っていたカオスグループの巨体が、いつの間にかもうすぐ、そこまできている。青年の真後ろで止まり、口を大きく広げる。カオスグループにとって、もうその位置は射程範囲なのだろう。
「知らない人……だと? まだ、設定が反映されていないのか……?」
「後ろ! ぶつぶつ言っていないで、後ろ危ないよ!?」
後ろの状況に気づいていない様子の青年を助けるために、ブルゥが彼の体にしがみつこうとした。だが彼は、ブルゥの両肩を押さえて動きを止める。
「オレは知らない人ではない。オレはお前の――」
カオスグループの巨大な口が、青年を噛み砕こうと迫り……、
だが次の瞬間、カオスグループの姿が消失していた。
さっきと同じく後ろに吹き飛ばされたのだが、吹き飛んでいる最中、空中でその体が蒸発していた。——音もなく、あっという間に一つの存在が世界から消えた。
ブルゥはなにが起きたのか分からず、きょとんとする。
テレビ画面のチャンネル変えのように、ぱっと消えた印象しか抱けない。
カオスグループが死んだことさえも、ブルゥは認知できなかった。
そして青年は言う。
さっきの言葉の続きが、静かになった空間に、際立って響き渡った。
「――兄だ」
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