4.ユア・マイ・ヒーロー

「なっ……」


 魔物に近づき、顔をはっきりと確認した途端、僕は絶句した。

 何故なら、その魔物はどう見ても人の顔をしていたからだ。

 でも……だからといって、完全に人間かと言うとそういうわけでもない。

 その皮膚は、所々ゴーレムのような青黒い硬い石で覆われている。


「シェリルちゃん!!」


 困惑していると、少し離れた所から老齢の女性の声が聞こえてきた。

 それに反応した僕は、視線を声がした方に移す。


 ──あれは、ローダさん……?


 ローダさんは、自分に親切にしてくれている村人の一人だ。

 時々、野菜や果物を届けてもらったりしてとても世話になっている。

 今年は凶作だと聞いていたし、自分達だって大変だろうに……惜しみなく、それらを分け与えてくれるのだ。


「シェリル……???」

「シェリルちゃん! しっかりして! シェリルちゃん! ああ、なんてことなのっ……!!」


 魔物のそばに駆け寄ったローダさんは、その場で力なく泣き崩れた。


「あの……すみません、ローダさん。一体、これはどういうことなのでしょうか……? この者は、村に侵入した魔物ではないのですか……?」

「違う……違うのよ! この子は、魔物なんかじゃないの! 魔物化の呪いをかけられたせいで、こんな姿になっていたのよ! 元々は、普通の村娘なの!」

「そんな……!!」


 愕然としつつも、シェリルの手元に目をやる。

 すると、彼女の手にはいつも『シェリー』がくれる手紙と薬草、そして──綺麗な白い花をつけた別の薬草らしき植物が握られていた。

 その瞬間、僕は事情を悟り絶望する。


 ──ああ、そうか……シェリーの正体は彼女だったのか。人見知りだと言っていたけれど、それは僕に自分の姿を見せたくなかったからなのか……。


「昨日、『北の山に行ってくる』と言い残してそのまま戻ってこなかったから、心配になって家に様子を見に行ったの! そしたら、宿屋の方から大きな音がして……慌てて見に来てみれば、こんなことに……!」

「つまり、僕は……あれだけ親身になって自分に尽くしてくれていた相手を殺してしまったということなのか……? この手で……」


 それに気付いた瞬間、僕は松葉杖を手放し、ドサッと地面に座り込む。

 すると、シェリルの方から僅かに声が聞こえてきた。


「ロイ……ド……様……」

「シェリル!? 生きているのか!?」


 そう尋ねると、僕はシェリルの石に覆われた硬い手を握る。

 今すぐ傷を治してやりたいが、生憎、今の僕は治癒魔法を使うことができない。

 聖剣の力は負荷が大きいため、使用後は一定時間魔法が使えなくなるからだ。

 きっと、体の防衛本能というやつなのだろう。


「ロイド様……これ……を……」


 シェリルは絞り出すような声でそう言うと、白い花を持つ薬草を差し出してきた。


「この薬草が、どうしたんだ……?」


 シェリルは必死に口をパクパクと動かし何かを伝えようとしてくるが、上手く聞き取れない。


 ──そうだ、手紙……! 手紙を読めば、彼女が伝えようとしていることがわかるかもしれない!


 僕は慌てて封筒を開封すると、手紙を読み始める。




 拝啓 ロイド様


 ようやく、ロイド様の手足の麻痺を治す方法が見つかりました。

 スターハーブという薬草を煎じて飲めば、今、あなたが患っている難治性の麻痺は完治するそうです。

 というわけで……早速、スターハーブを採取しに行って参りました。

 いつもの薬草と一緒に置いておきますので、ぜひ煎じて飲んでみてくださいね。

 きっと、その薬草を煎じて飲んで症状が良くなったら、あなたはすぐに村を出ることになるでしょう。

 なので……手紙と薬草をお渡しするのは、これで最後にしようと思います。

 最後までロイド様に直接お会いできなかったのは、私としてもとても残念です。

 でも、私にはどうしてもあなたに会うことができない理由があるのです。

 ……人見知りだなんて、嘘をついてごめんなさい。

 ロイド様のお陰で、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

 素敵な思い出をくださり、本当にありがとうございました。




「……っ」


 手紙を読み終えた瞬間、目から一筋の涙がつうっと伝う。


「こんなにボロボロになって……きっと、薬草を採るために相当無茶をしたのね……」


 隣りにいるローダさんが、呟くようにそう言った。


「どうして……どうして、僕なんかのためにこんな無茶をしたんだ! 僕は、今まで自分のことを支えてくれた相手を魔物と間違えるような愚かな奴だぞ!? はっきり言って、勇者失格だ! そんな最低な人間のために、君が傷つく必要なんてなかったのにっ……!」


 泣き崩れると、シェリルとの思い出がまるで走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

 彼女との手紙のやり取りが、いかに大切なものだったかを思い知らされる。

 直接会って交流をしていたわけではない。けれど、僕達は確かに心を通わせることができたのだ。


「誰か! いっそのこと、僕を殺してくれ! この愚かな勇者に罰を与えてくれ!!」

「そんな……こと……言わなで……くだ……さ……い……」


 再び、シェリルが絞り出すような声を出した。

 何とか聞き取ろうと、僕は彼女に顔を近づける。


「シェリル! それ以上、喋ったら駄目だ!」

「ロイド様は……世界中の人々の……希望……です。そして……誰よりも心優しく、純粋で……正義感が強いお方……です……。だからこそ、勇者に……選ばれたのです……よ。どう……か……自分を責めな……いで……」

「シェリル!」

「私は……ロイド様の良いところ……たくさん……知っています……。だか……ら……自信を持って……生きてくださ……い」

「……っ! お願いだ、シェリル! もう、これ以上は……!」

「みっとも……ない姿を……お見せしてしまい……申し訳ありま……せん。でも、最期に……あなたのお役に……立てて、良かっ……た……」


 そこまで言うと、シェリルは最後の力を振り絞ったのかにっこり微笑み──そして、事切れた。


「シェリル!? シェリル!! うわあああああああああ!!!!」

「シェリルちゃん! シェリルちゃん!! お願い、目を開けて!!」


 僕とローダさんの叫び声が、虚しく周囲に響き渡る。

 その声と先ほどの雷光による轟音に驚いたのか、気付けば周りに村人達が集まっていた。

 彼らは皆、不安そうに成り行きを見守っている。


「どうして……どうして、君はそんなに自分を犠牲にできるんだ……! 何の見返りもないのに、どうして他人のために命をかけられる!?」

「シェリルちゃんにとって、あなたはまさに希望の光だったのよ。あの子ね、幼い頃に魔物化の呪いをかけられて以来、他の村人達から虐げられるようになっちゃって……ずっと孤立していたの」

「……!」


 動かなくなったシェリルの手を握りながら、ローダさんは過去について語り始める。


「そんなシェリルちゃんが、今まで自分の運命を呪って自暴自棄にならずに元気に店を切り盛りできていたのは、あなたのような英雄ヒーローがいたお陰なの。この子ね……昔から勇者様一行に憧れていて、よく『いつかパーティーに加わりたい』なんて目を輝かせながら言っていたわ。そのために、頑張って薬草学を勉強していたようだし……きっと、本気だったと思うの」

「え……?」

「あなた達の代になってからは、もうこの子も成長していたから夢を語ることはなくなったけれど……多分、心のどこかでは『一緒についていきたい』って思っていたはずよ」

「…………」

「でも、魔物化の呪いを受けたせいで、それは絶対に叶わぬ夢となってしまった。だからね……この子にとっては、あなた達の活躍を聞くことが心の拠り所だったの」

「そうだったのか……そんなことも知らずに、僕は……」


 事情を聞いた僕は、再び涙を流す。

 次の瞬間。不思議なことに、シェリルの体がぼんやりとした光を帯び始めた。


「こ、これは一体……?」

「何なのかしら、この光は……?」


 僕とローダさんが目を見張っていると、さらにその発光は強くなり。

 そして、シェリルの手が僅かに動いた。


「動い……た……?」


 困惑していると、シェリルの皮膚を覆っていた青黒い石がみるみるうちに消失し──いつの間にか、彼女は完全に人間に戻っていた。


「うぅ……う……ん……」


 苦しそうなうめき声とともに、シェリルの手が再び動いた。


「生きてる……! 息を吹き返したぞ! おい、誰か! 手を貸してくれないか!? 治療をするために、今すぐ彼女を宿屋まで運びたいんだ!」


 周りに助けを求めると、渋々ながらも数人の男達が僕に手を貸し始めた。



 ***



 数日後。

 シェリルは、何とか一命を取り留めた。

 彼女の呪いが解けた理由については、誰もわからなかった。

 とはいえ……個人的には、シェリルの解呪には『聖剣の力』が大きく関係しているのではないかと思っている。


 当時、シェリルがかけられた呪いは何故か不完全だった。

 これは、恐らく魔物自身がミスをしたか何らかのアクシデントがあってそうなったのだろう。

 恐らく、かかっている呪い自体はそこまで強力なものではなかったのだ。

 だからこそ、あの時──聖剣による攻撃を受けた時、シェリルは聖なる力によって『浄化』された。

 結果的に、それが解呪に結びついたのだろう。

 あくまで僕個人の見解だから、本当の所は謎だけれど……。

 とりあえず、シェリルはめでたく人間に戻ることができたのだから、今はそのことを素直に喜ぶべきだろう。



 さらに数週間後。

 すっかり麻痺が完治した僕は、仲間とともに旅立つことになった。

 そして──その仲間の一人には、シェリルが含まれている。

 というのも、僕が彼女に「魔王討伐の旅についてきてくれないか?」と誘ったからだ。


「あの……ロイド様。本当に、私なんかがついていっても大丈夫なのでしょうか?」


 村の門の前まで歩いてくると、突然シェリルがそう尋ねてきた。

 正直言って、魔物化の呪いが解けたシェリルは村一番の美人と言っても過言ではない。

 背中に流れる金髪は陽の光に透けてきらきら輝いており、まるでアクアマリンのような透き通った目は希望に満ち溢れていた。

 シェリルが以前よりも明るくなったことを嬉しく思いながらも、僕は返事をする。


「もちろんだよ。僕達には、君の力が必要なんだ」

「あの……でも、このパーティーには優秀なヒーラーが……」

「え……?」

「ほら、あのお方ですよ。ロイド様の恋人なんでしょう? あ、ええと……すみません。実は以前、手紙と薬草を届けようとした際に仲睦まじくお話されているところを見てしまったんです」


 申し訳なさそうに、シェリルは少し離れた所で見送りに来た村人と話している聖女──ベルを指差す。


「ああ……なんだ、ベルのことか。何か勘違いしているようだけれど、僕と彼女は恋人同士ではないよ」

「え……?」

「よく相談に乗ってもらっているのは事実だけれど、本当に彼女とは何もないよ」

「……! なるほど、そうだったのですね! って……話がそれてしまいましたね。その……ベルさんがいるなら、やっぱり私なんかがついていっても足手まといになるだけだと思うのですが……」


 言って、シェリルは不安そうに眉尻を下げる。

 足手まといだなんて、とんでもない。何しろ、シェリルは自分を救ってくれた英雄なのだから。

 そう思いながら、僕は口を開く。


「確かに彼女は聖女だし、人並み外れた魔力を持っている。実際、彼女の治癒魔法がなければ僕達はとっくに死んでいたよ。ただ、それはそれとして……僕達には、シェリルの力が必要なんだ。薬師の君なら、傷の治療だけじゃなく仲間のサポートに回ることもできるだろう? 僕は、君自身のひたむきさや他人を思いやる心に強く惹かれたんだよ。今、このパーティーに必要なのはそういった人材だ。それに、今後旅をするにあたって、君の薬の知識はきっと大きな戦力になると思う。だから……どうか、僕達についてきてはくれないだろうか?」


 そうやって素直に思っていることを言葉にすると、


「……はい! お役に立てるよう、精一杯頑張ります!」


 シェリルは、少しはにかんだように微笑みながらそう返してくれた。


「ありがとう、シェリル」


 そんな会話をしていると、見送りに来たジョアンが話しかけてきた。


「あ、あの……勇者様。例の件についてですが……」

「例の件……?」

「なっ……お、お忘れですか!? 以前、お話したでしょう!? この村に雨を降らせるために、勇者様のお力を貸してほしいと……そうお願いしたではありませんか!」


 激昂した様子で、ジョアンが僕に詰め寄った。

 立場をわきまえない彼の様子に、僕は苛立ちを覚える。

 ジョアンを含むこの村に住む人間のほとんどは、シェリルを虐げていたと聞いた。

 そんな最低な行為をしてきた村人ばかりだというのに、どうして自分が彼らのために力を貸さなければいけないのだろう?

 疑問に思うと同時に、怒りと侮蔑の言葉が僕の口をついて出た。


「あなた方は、過去に僕の恩人であるシェリルを見捨てて囮にした上、散々虐げてきたと伺いました。そんな人達に、何故僕が力を貸さなくてはならないのでしょう?」

「そ、それは……」


 ジョアンは分が悪そうに口ごもる。

 けれど僕は容赦なく難詰し、まくし立てた。


「作物が育たないことについては同情しますが……他を当たってください。僕達は、もう出発しますので。ああ、それと……村で唯一の薬屋を営んでいたシェリルが僕達についてくることになったせいで、今後皆さん何かと困ることになると思いますけれど……精々、頑張ってくださいね。まあ、その気になれば馬車に乗って町の医療機関に行くことも可能だと思いますし、何とかなるでしょう。ただ、物凄く時間はかかると思いますけれどね」

「……!」


 ジョアンは言葉に詰まると、苦虫を噛み潰したような表情になった。

 今まで、シェリルは散々こいつらに苦しめられてきたのだ。

 それを思うと、これくらいの報復ではむしろ足りないくらいだろう。

 とはいえ、いつまでもここに留まるわけにもいかない。

 なので、僕はとりあえず溜飲を下げた。


 ちなみに、ローダさんを含むごく一部の良識のある村人については、今後こっそり支援するつもりでいる。

 知り合いの行商人に頼んで、定期的に野菜や果物、そして薬などを届けてもらうのだ。

 そうすれば、シェリルも安心して旅立つことができるだろうと思ったので、既に彼女にはそのことを伝えてある。


「さて……そろそろ、村を出ようか?」


 悔しそうな顔をしているジョアンにくるりと背中を向けると、僕は隣にいるシェリルにそう尋ねた。

 それに気付いたのか、他の仲間達も僕達がいる方に集まってくる。


「はい、ロイド様。あ……もしよかったら、地図は私が持ちますよ? 私、こう見えて、結構地図に強いんですよ!」


 そう言うと、シェリルは自信満々な様子でトン、と胸を叩いた。

 そんな彼女を見て僕はくすっと笑うと、少し間を置いて返事をする。


「ああ、よろしく頼む。これから期待しているよ? 僕の英雄マイヒーロー


 そう返すと、シェリルは少し俯き──そして、再びはにかんだように笑った。


 このあと、彼女が『魔王討伐をするために途中から勇者パーティーに加わった凄腕の薬師』として歴史に名を残したり、僕とシェリルの息子がSランク冒険者としてこれまた世界に名を轟かせたりすることになるのだが……それは、また別の話である。

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魔物化の呪いを受けて醜い姿になった村娘ですが、困ったことに勇者様に気に入られてしまったようです 柚木崎 史乃 @radiata2021

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