4.コード『21370407』の妄執

 イレブンに示された道は、ほぼ一本道で迷うことはなかった。


 途中、何枚かの扉の前を通ったが、中をのぞく気にはなれなかった。もしまた、別の『エデン』に出会ってしまったら、今度こそ殺されるかもしれない。サード。そう呼ばれているらしいあの『エデン』の無表情を思い出し、自然と早足になる。


 なるべく足音を立てないように、コンクリートの床の上を進む。耳を澄まし、音がすれば周囲に視線を走らせた。とはいえ、この道に何者かの気配はなく、聞こえるのは配管からもれる空気の音くらいのものだった。


 灰色の通路を進むことしばし。一際広い通路と合流する。壁に張り付きまわりの気配を探るが、やはり特に誰も姿もない。ほっとして広い通路のさらに奥をうかがうと、わずかだが電子音が聞こえた気がした。


「誰か、いるのかな」


 可能性があるとしたら、この研究所の人間か。ちらりと通路の上部に目を向ければ、監視カメラが設置されているのが見えた。もうすでに、侵入に気づかれていてもおかしくはない。エデンは他の『エデン』たちだと誤魔化されてくれるかもしれないが、アステルはどうなるのだろう。


 最悪、すでに何かしらの攻撃を受けているかもしれない。そう思うと居ても立ってもいられず、エデンは通路の影から抜け出し音源へと近づいていった。


 果たして、一番奥の部屋の前には何者かの姿があった。肩で息をし、必死に端末を操作する姿――アステルだ。良かった、まだ無事でいてくれた。


「アステルさん」


 小声で呼びかける。すると、アステルはびくりと肩を震わせ、素早く懐に手を差し入れた。銃口を向けられ、エデンは両手を上げ、敵意のある存在ではないと示すしかない。


「アステルさん、わたしです。あなたと一緒に来たエデンです」

「……、……」


 アステルは答えない。その目には強い警戒がにじんでいて、彼がすでに他の『エデン』と出会ったことを示しているようだった。どうやって説得するべきか。銃口を向けられている時点で、アステルが知っているエデンに対しても疑念を持っているに違いなかった。


「アステルさん。わたし、知らなかったんです。自分が、造られた……ここで生まれた存在だってこと」

「……それで」

「さっき、イレブンと呼ばれている『エデン』から事情を聞きました。わたしは廃棄予定だった『ゼロ』エデンで、わたしたちはオリジナルエデンの代替品だってことを。アステルさんもきっと会ったんですよね? 他の『エデン』に」


 エデンの言葉に、アステルは疲れた表情を浮かべた。ゆっくりと銃口を下げ、懐に手を戻す。そしてまじまじとエデンを見つめると、呆れたようなため息をついた。


「ああ、遭遇した。お前かと思えば、いきなり鉄パイプ振り回して襲い掛かって来やがった。一体全体どうなってやがる。こんな話、情報にもなかったってのに」

「わたしにもはっきりとは。ただ、マスターと呼ばれる人が、オリジナルエデンを生まれ変わらせるためにわたしたちを作ったという話でした。……アステルさんの目的は、ここの『エデン』たちではなかったんですね?」

「違う。おれの目的はアイオーン本体の破壊だ。研究所のこの階層に、アイオーンが置かれているはずだった。なのになんだ? オリジナルエデン? アイオーンとどういう関係があるっていうんだ」


 問い返されても、エデンに答えられるはずもない。アステルの目的がミレニアを死に至らしめたアイオーンであるなら、『エデン』たちを破壊することはない。そのことに胸をなでおろして、エデンは言葉を返す。


「ここの『エデン』たちとアイオーンの関係はわかりません。ですが、イレブンからコードを預かってきました。『21370407』――たぶん、この部屋の解除コードだと思います」

「……『21370407』? ははっ、まるで誰かの誕生日みたいだな。いいだろう。お前のことを信じてやるよ。どうせ、ここまで時間がかかっているなら、おれが準備したシステム妨害にも気づかれているはずだしな」


 アステルは素早く端末にコードを打ち込む。『21370407』――コード認証。ロック解除。大きな扉が両側にスライドし、暗い空間が奥から現れる。


「開いた。どうやらそのイレブンとかいうやつは正直者らしい」

「みたいですね。悪意も敵意も感じなかったですけど、本当に開くとは思いませんでした」


 正直に告白すると、アステルはふっと短く笑った。そして端末の接続を解除してから、奥の空間に向かって足を踏み出す。


「アステルさん」

「ついてくるな、とはもう言わないって言ったよな。自分で決めろ。何があろうとここでは自己責任だ」


 それだけを告げて、アステルは奥の空間へと進んで行く。エデンは今度こそためらわなかった。一息で扉を抜けると、部屋へと足を踏み入れた。


 部屋の中は、寒々しいほど物が置かれていなかった。広々としているのに、目につくのは壁際に置かれている巨大な端末と、中央に存在する大きな水槽だけ。地面を這うケーブルさえも最小の数に抑えられているように思える。


 エデンはアステルの背を追って、中央の水槽に歩み寄った。近づいてみるまでもなく、巨大な水槽だった。ひと一人どころか、巨大な獣でさえもやすやすと収まってしまいそうなくらいに大きい。


「これが、アイオーンの本体か」


 アステルが指先で水槽のガラスを叩く。中は細かな泡に覆われていて見通せない。エデンはさらに一歩近づき、水槽の奥に目を凝らす。


「何も見えませんね。本当にこの中にアイオーンがあるんでしょうか?」

「あってもらわないと困る。おれはあの端末を見てくるから、余計な動きはするなよ」


 そう言い置いて、アステルは壁際の端末へと向かう。エデンはもう一度、水槽の奥を見つめてみた。何かある、と言われれば、何かあるような気はするけども。


「アイオーン」


 呼びかけてみても、答えが返るはずもない。そもそも、アイオーンとは一体何なのかもわからなかった。人を結晶化させ、死に至らしめるもの。おそらく、ウィルスや細菌などの類だろうけども。


『それは違うよ、ゼロ』

「え?」


 どこから声がした。きょろきょろと見回しても、アステルとエデンの他には誰もいない。エデンは困惑しながら、端末を操作するアステルに声をかける。


「アステルさん、いま、何か言いましたか?」

「あ? いいや? 何か聞こえたのか」

「いえ……たぶん、気のせいです」


 首を傾げながら、エデンは視線を正面に戻す。相変わらず水槽は泡に覆われている。こんな異常な場所にいるせいで、幻聴でも聞こえたのかもしれない。


『幻聴? はは、君はそう思うんだね?』

「――!」


 聞こえた。確かに声が聞こえてきた。どこから? 周囲を見回しても、相変わらずエデンたち以外の姿はない。ならばどこから声が聞こえてきているのか。


『ここだよ、ゼロ。僕はここにいる』

「こ、ここ? どこ……まさか」

『そう、君の目の前。この中さ』


 ごぽ、と一際大きな泡が生まれる。その刹那、泡に覆われていた水槽内の視界が開け――大きな緑の目と視線が絡み合う。


『よく来たね、ゼロ。待っていたよ』

「――ひっ!」


 後退った拍子に体勢を崩して尻もちをつく。派手な音が響き、端末前のアステルが振り返る。


「どうした。何かあったのか」

「あ、アステルさん! ここ、この中――!」


 エデンは震えながら水槽を指さす。アステルは眉を寄せながらこちらに歩み寄ってくる。そして同じように中をのぞき込んで、ぎょっとしたように息を止めた。


「なんだ、こいつは」

『何だとはご挨拶だね、アステル・ヴェリウス。僕は見ての通りの実験体。そして君が殺そうとしているアイオーンの本体さ』


 ごぽ。それの口から泡がもれる。エデンは呆然と水槽の中に住まう姿を見上げた。


 『それ』は、全体を見れば巨大な鳥に似ていた。白い翼は大きくしっかりとしていて、猛禽類のような強靭さを備えている。反面、身体を支えるべき脚は折れそうなほど細く、羽毛に覆われた顔は草食獣のように穏やかで優しげに見えた。


「あなたは、何? 生き物なの?」

『生き物だよ、ゼロ。君は僕をウィルスみたいに思っていたみたいだけど、実はこんな感じの見た目をしているんだ。驚いたよね、こんな生き物が存在しているなんてさ』


 少年のような声音で、それは語りかけてくる。エデンとアステルは思わず顔を見合わせた。どうも話がおかしい気がする。エデンは恐る恐る言葉を返す。


「聞いてもいい? あなたが、人間をアイオーン結晶症にしたの?」

『難しい質問だね。僕はずっとここにいて、ここから出たことはないんだけど。でも、この場所を作った研究者たちが、僕から採取した体液を外に持ち出しているんだ。それを体内に取り込んだ人間の一部が、結晶化しているのは間違いないよ』


 つまり、この生き物がアイオーン結晶症の原因であることは間違いないのか。何とも言えない気分で黙り込んだエデンに、生き物は続ける。


『研究者たちは体液を撒くことはすなわち、僕を育てるためだと言っていた。なぜなら僕は、体液を取り込んだ存在の情報を、自分のものとして『記録』することができるからだ、って。実際、それは正しいんだと思うよ。少なくともほら、ゼロのことも、アステルのことだって最初から知っていたでしょう?』


 どういう理屈かはわからないが、この生き物は体液を取り込んだ人間の記憶を吸い取っているのだろう。それが結晶化とどういう関係にあるかはわからない。だが、この生き物に罪悪感がないのは確かだった。


「それで、お前は情報とやらを取り込んで、ミレニアを殺したのか」

『それは僕の意思じゃないよ……アステル。僕という存在が『そういうもの』だから、止めることはできないんだ。僕は情報と記録を取り込み続けないと生きていけないし、完全な状態で生まれ落ちることもできないから』


 生きるために情報を喰らい、生まれ落ちるために記録を奪う。それは今まで出会ったどの生き物ともまったく異なる生態だった。


 エデン自身も自分の異常さは思い知ったばかりだ。それでもこの生き物の異様さは、他とは比べ物にならない。生きるために食らう、ということが同じであっても、どうしても存在を許容できない。


「そうか。だったら、お前を生かしておくわけにはいかないな。これ以上の犠牲者を生まないためにも、お前は――殺さなければ」

『別にいいけど、無駄だと思うな。今の僕を殺しても、研究者たちが僕を生まれ変わらせるから。僕はね、『A-i-on』(アイオン)なんだよ。『永遠』の『循環』を運命づけられた、記録と記憶を喰らい、いのちを再生させるための存在』


 『A-i-on』――アイオン。自らをそう呼んで、白い翼を大きく動かす。よくよく見れば、その翼は羽ではなく、無数の白い結晶で形作られている。


『僕が本当の意味でこの世に生れ落ちるとき、僕の中に取り込まれた記録たちも、再びこの世界に生まれてくることができる。だからこそ、僕は多くの情報を得なければならない。いつかの世界に、みんなを連れていくために』

「だからなんだ? いつか生まれ変わるから、今は死んでいいとでも? 笑わせるな。おれたちには今しかないんだよ……! いつかなんて曖昧なもののために、殺されてたまるか!」


 アステルは声を張り上げると、懐から銃を取り出した。銃口は真っすぐに水槽を捉えている。エデンはただその様子を見つめることしかできない。アステルの怒りは、正当なものだと思えた。


「エデン、邪魔するなよ。こいつはここで殺す。でないとミレニアに申し訳が立たない」

「止めません。止められるわけないじゃないですか」


 アイオン自身に罪はないかもしれない。けれど、この生き物が存在することで、苦しむ人間がいることは無視できない。なにより、レッカとミレニアの最期が、穏やかなものであったなんて到底思えなかったから――。


『そっか、残念だよ』


 諦めたように、アイオンはまぶたを下ろした。アステルは迷うことなく引き金を引いた。銃口が火を噴き、水槽のガラスを砕けさせる。中から大量の水が噴き出し、エデンたちの足元を濡らす。


『これでまた、やりなおしかぁ。ごめんね』


 ――『エデンおねえちゃん』。


 その一言を残し、アイオンは水槽の底に沈んで行った。翼は砕け散り、きらきらと残された水面を漂う。


「これで、終わりか」


 アステルが銃口を下げ、ぼんやりと呟く。エデンはふらふらと立ち上がると、眠るように死んでいる生き物をじっと見つめた。


「この子は、エデンおねえちゃんって言いましたよね。どういう意味なんでしょう」

「さあな。お前に心当たりがないなら、オリジナルエデンというやつのことじゃないか。どのみち、ここに長居する理由はなくなった――」


 刹那、照明が赤に染まった。響き渡る警報音。エデンたちは素早く視線をかわす。


「時間切れだ。逃げるぞ。遅れれば置いていく」

「はい!」


 エデンとアステルは同時に駆け出していく。

 二人はもう、アイオンの亡骸を振り返ることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る