6.過ぎ去る時は駆け足で(後編)

 それからの日々は、駆け足で過ぎて行った。


 ミレニアの付き人として、ライブ関係の製作スタッフに会うことがあった。その時、エデンは端っこで大人しくしていたのだが、一目見たスタッフに新人歌手だと間違えられた。


「あれ、君。見ない顔だけど、新しく入った子かい? ミレニアさんも困った人だなー。こんなかわいい子を隠し持っているなんて……どう、今度のステージに立ってみない?」

「い、いえいえいえ! わ、わたし歌えないので! 踊ったりもできませんから!」


 慌てて退散するエデンを、ミレニアはにこにこと見つめていた。アステルが気付いて事情を説明してくれたため、事なきを得たものの――冗談でもステージに立つのは心臓に悪すぎる。


 そんなこともあって、関係者に会うときは付き人アピールをするようになってしまった。しかしミレニアの付き人が珍しいのだろうか。声をかけてくる人は後を絶たなかった。


「どうしてみなさん、声をかけてくださるのでしょう……?」

「それはあなたがすごくかわいいからよ」


 あっさりと言われても、自分では納得しづらかった。エデンは自身の姿を眺め、首を傾げる。


 忙しく動き回っているばかりかと思えば、たまに休日もあった。


 そんな日はごろごろとお昼まで、とはならず、朝早くからミレニアに起こされる。起きて身支度を整えたら、ミレニアの育てているカトレアに水をやって。朝食をとった後はセントラルにショッピングへと繰り出す。


「これ、エデンにぴったりじゃない? 着てみてよ!」


 ミレニアにすすめられた洋服は、優しいグリーンのシャツと同色のシフォンスカートだった。受け取り何となく値札を見たエデンは目をむく。


「桁、おかしくないですか!?」

「そう? これくらいならまあまあでしょ?」


 意識が違う。気が遠くなりそうになりながらも、とりあえず試着だけはしてみた。確かに、値段相応というべきか。着やすく動きやすく、見た目以上に着心地も良かった。


「うん、あたしの目は確かだったわ。これはお買い上げね」

「ま、まってください! わたしお金そんなに持ってないです!」

「だいじょうぶ! あたしのカードがあるわ! さ、気にせず次行きましょ!」


 いくつも店を回っているうちに、紙袋が持ちきれないほど増えてしまった。ミレニアは当然のように端末で連絡を取る。しばらくするとアステルがやってきて、呆れながらも荷物を引き受けてくれた。


 こんな風に日々は流れていき、ミレニアのドームライブまであと三日と迫った夜――。



「エデン! 早く来て!」


 勢いよく扉が開かれた。エデンは悲鳴をあげて、バスタブに沈みこむ。いいお湯でうとうとしていた矢先だったから、突然のことに慌てふてめいていしまう。


「み、ミレニアさん! いきなりお風呂場のドアを開かないでくださいー!」

「あら別にいいじゃない。扉なんて開くためにあるのよ」


 それはそうだけど。いや、問題はそこじゃなくて。


「どうかしたんですか、何か急用でも?」

「急用も急用! とにかく早く出てきてよ! 急いで!」

「え、えぇ?」


 怪訝なものを感じながらも、エデンは温かい風呂場を後にする。

 手早く服を身に着け、髪を乾かす。もう二週間近くもこの場所で暮らしているせいで、勝手知ったる他人の家になりつつある。


「ミレニアさんー、来ましたよ」


 軽い足取りでリビングの扉を開く。と、同時に軽い破裂音が響き渡った。エデンは悲鳴をあげ、身をすくませる。まさか銃声? 混乱しながら顔を上げれば、そこにはクラッカーを手にしたミレニアが――。


「ミレニアさん……?」

「やっほー、エデン。いらっしゃいませ、ミレニア・オーレンドルフのパーティ会場へ!」


 顔を輝かせ、ミレニアは両手を広げる。エデンが視線を動かすと、室内には色とりどりのオーナメントや紙テープが飾られている。ついでにどこから持ってきたのか、パステルカラーの丸いクッションがいくつも置かれていた。


「ミレニアさん。どうしたんですか、これ。いつの間に」

「エデンがお風呂からずーっと出てこないから、飾ってみたのよ! どうこれ? いい感じじゃない?」

「いい感じというか……えーと、ミレニアさん、お酒飲んでます?」


 ちらりとテーブルに目を向ける。そこには案の定、高級そうな赤ワインの瓶が置かれていた。


 エデンも最近知ったのだが、意外なことにミレニアは酒に弱い。どのくらい弱いというと、ワインを一口飲んだだけで機嫌がよくなってしまうほどだった。


「ノンノン、この程度なら飲んだうちに入らないわよー」

「う、あの、それでわたしはどうしたら」

「なーんにも! 一緒に楽しみましょ! パーッとパーッと」


 ミレニアに腕を引っ張られ、エデンはテーブルの前に座らされる。どん、どん、と様々なおつまみが置かれ、次に何やらワインっぽい飲み物が注がれた。


「ミレニアさんー。わたし、さすがにお酒は」

「わーかってるわよぉー。それはソフトドリンクー。飲んでみなさいって」


 ほんとかな。疑惑を感じながらも、エデンはそっとグラスに口をつける。味は、甘くてちょっと酸味のある……ぶどうジュース、だろうか? とりあえず酒ではないと分かって、エデンは大人しくジュースを飲み始める。


「それで、聞いてよエデン。アステルのやつが、またひどいのよー」

「アステルさんですか? どうしたんです?」

「あたしの金遣いが荒いってー、いいじゃないのよぉー。あたしが稼いだ金なんだから、何に使おうがぁ」


 う、とエデンはジュースをのどに詰まらせる。どうやら愚痴モードに移行したらしい。何も返答できずにいるエデンに構わず、ミレニアはアステルの愚痴をまき散らし始めた。


「大体あいつはー、いっちいちうるさいのよー。あたしの生活態度とかー、交友関係に口出してきてー。あんたはあたしのおかーさんかっ、ていうのよ」


 とにかくエデンは頷きながら、ジュースをガンガン飲み続ける。おそらくミレニアは、エデンの返答など半分も聞いていない。手酌でワインを注ぎながら、ミレニアはぐちぐちと話し続ける。


「あいつってさー、昔っからそうなのよー。ケンカなんかろくすっぽにできないくせに、しゃしゃり出てきてさー。あたしが泣かされてるといっつもそうなのよー。んで、結局ボコボコにされて帰ってくるっていうねー」

「そ、そうなんですか。ミレニアさんたちは昔からの知り合いなんですか?」

「んー、まあねぇ。なんっていうか……幼馴染? 腐れ縁かしらー。とりあえず子供のころからの友だちねー。だからってわけでもないけど、あいついまだにうっさいのよー」


 文句を言いながらも、ミレニアの顔に嫌悪はない。むしろ楽しそうな様子でアステルをこき下ろし続ける。その様子は何というか、親しい人間に対する気安さを感じさせた。


「あいつもいい加減、ぐちぐち言ってないで身を固めればいいのにさー。話を向けると不機嫌そうに『お前に言われる筋合いなんかねーよ』よ! なんなのあれ。あたしは真剣にアステルの身を心配してるっていうのにー」

「え? いえあの、ミレニアさんとアステルさんって、つ」

「つ?」

「……おつきあいしているとか、ではないんですか?」


 何となくぼんやり感じていた疑問を投げかける。返事はからからとした笑い声だった。ミレニアは笑いながら、ワインを口に運ぶ。


「ええーなによそれ。そんなわけないじゃないー」

「違うんですか?」

「違う違う! たまに同じこと聞かれるけど、ありえないってー。どうしてそう思うの?」


 どうしてと言われると、そういう風に見えるときがあるからだ。ひどく親しげな二人の様子からは、入り込めないものを感じていて――しかし、ミレニアが嘘を言っているようには見えない。


「まあねぇ、そんな風に思うときがなかったとは言わないけど」


 ワイングラスを見つめ、ミレニアは寂しげに笑う。エデンはじっとうつくしい顔を見つめ、意味もなく頷く。きっとミレニアとアステルの間には、他人にはわからない長い年月が存在しているのだろう。


「……実はあたしね、昔はお医者さんになりたかったのよ」


 ふと思い出したかのように、ミレニアはそんなことを口にした。エデンが視線を向けると、歌姫である女性は自嘲するようにグラスを指先で弾く。


「あたしの暮らしていた場所は本当に貧しくて、薬も買えない人がいっぱいいた。あたしの母さんもその一人で……小さい頃にいなくなっちゃった。父さんは男手一つで育ててくれたけど、やっぱりね。大変だったんでしょう。気づいたらあたしは一人きりになってた」


 ミレニアの過去語りは、胸に鈍い痛みを感じさせるものだった。今の華やかな姿からは想像もつかない、貧しかった頃のこと。思い出をゆっくりなぞるように、ミレニアの指先はグラスの縁をなぞる。


「子どもが一人きりで生きて行けるような場所じゃなかった。途方に暮れてたし、最悪な――そう、本当に最悪なこともあった。だけど、そんな時だったわね。一人のお医者さんが助けてくれたの」


 夢のような瞬間だった、とミレニアは歌うように言葉を吐き出した。エデンは口を挟まず、ただ静かに声を聞いていた。ミレニアの語る内容は寂しいものではあったが、それでも思いのこもった声はとても優しげだった。


「その人は、あたしに希望を教えてくれたわ。人は、誰かを助けられるものだって、身をもって知らせてくれた。だからあたしはお医者さんになりたいって、思ったんだけどね」


 ふわりと笑って、ミレニアはテーブルに肘をついた。遠くを見つめる赤茶の瞳は本当にきれいで、エデンは時を忘れて見惚れてしまった。


「だけど、お金も学歴もないあたしがお医者さんになることはできなかった。だから――あたしにできることを探したの。人のためになって、誰かに何かを与えられる仕事。それが今の歌手っていう職業だった」


 ミレニアがこちらに視線を向けてくる。やさしく笑いかけてくる表情が、夢をみているかのように揺れる。


「ねえエデン、あたしは誰かに何かを与えられる人になれたかなぁ?」


 ミレニアの長い睫毛の先に、小さな光が宿る。涙は流れない。だがそれでも、歌姫の心を占めている痛みはエデンにも理解できた。


「あたしは、きっと……死んでしまうわ。遠くない未来に。だからせめて。何かを残して、誰かの記憶に残って……人のために死にたいわ」

「ミレニアさん、あなたは立派なひとです。誰が何と言おうと、ぜったいに」


 自分の言葉など、何の意味もないかもしれない。それでもエデンは何度でも言うだろう。ミレニア・オーレンドルフは、誰かを救える立派なひとだと。


 エデンの想いを受け取ってくれたのだろう。ミレニアは穏やかに微笑んでくれた。ありがと。短く感謝を口にして、歌姫はそっとエデンのほおを撫でた。


「ありがと、エデン。あたし頑張るわ。……最後の瞬間まで」



 ――しかし、その深夜。

 ミレニアは再び血を吐き、病院へと運ばれる。


 エデンの想いも虚しく、歌姫の命は尽きようとしていた。

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