この時を待っていた


結婚披露の宴の後、エドガルトは静かに王都にあるノッガー邸を去って行った。



寂しそうなアデラインの後ろ姿を、セスは背中からそっと抱きしめる。



「セス・・・」


「寂しいよね。その気持ちはよく分かるけど、でも、今夜だけは僕を見てほしいな?」


「あ・・・」



セスの言葉の意味するところを察したアデルは、頬を染めながらこくりと頷く。


セスもほんのりと顔を赤くしながら、アデルの耳元で囁いた。



「じゃあ、湯浴みをして待っていて。僕もすぐに行くから」


「・・・は、い」



結婚した二人は、今夜から部屋が変わる。


それまで使っていた個人の部屋から、当主夫妻の部屋へと移動するのだ。


中央に主寝室と居室、その左右にそれぞれ夫と妻の部屋と浴室があり、アデラインは今日から妻用の部屋に滞在する。セスは夫用の部屋に。


そして夜は二人で主寝室で休むのだ。



これら新当主夫妻のための部屋は、普通であれば先の当主の妻がその用意をするものだ。

だが、当たり前ながらこの家に当主夫人はいない。故にアデライン自身が部屋を整えた。



だから、アデルは、もう何回もこの部屋を見ている。


決して目新しくはないのだ。

壁紙も、カーテンも、調度品も、照明も、絨毯も、そう何もかも揃えたのはアデラインなのだから。



なのに。


なのに、まるで知らない部屋に来たような、心細い気分になるのは何故だろう。



伴った複数の侍女から風呂で入念な手入れを受けた後、侍女たちは香油を肌に擦り込んで念入りに肌理を整える。


その後は髪にも同じ香油を塗り、いつもよりも更に念入りにとかして艶々にしてくれた。


次に夜着を身につける。


普段使用しているものよりも、遥かに生地が薄くて滑らかな、羽のように軽い、なんとも心許ない夜着を。



そうして全ての準備を終えた後、侍女たちは静かに退出した。



ひとり残されたアデラインは、胸元を結ぶリボンをそっと指で撫でた。



そう、思えばこの夜着を探すのにも一苦労だったのだ。



初夜を迎えるにあたり、侍女たちが用意してくれたのは、かなりきわどい夜着がほとんどで。


それを身につけた自分というものが全く想像できない、というか、着た時点で確実に恥ずかしくて死んでしまうとアデルは思った。



何を今さら、と侍女たちは思っただろう。


それはそうだ。それも当然だ。


なにせ二人は、10歳の時から婚約者として一緒に暮らしている。


その間ずっと仲も良好だったと言えるだろう。


いつも一緒にいて、何をするのも二人で、ケンカなど一度もしたことがない。


何よりセスがアデラインにベタ惚れなのは周知の事実だった。それに、アデライン本人が自覚するのは遅かったとしても、側から見ればアデルもセスのことが大好きなのは丸わかりだった。


にも関わらず、セスとアデラインは、今だに頬とおでこ、そして数回の唇へのキスしかしたことがない。だけど、その事実を当然ながら侍女たちは知らない。



だから、侍女たちは自信満々でぴらぴらスケスケの露出の多い夜着を用意した。

だがそれは、アデラインにとっては罰ゲームの様なものだ。



お願いして交渉して、それからまたお願いして。


やっと、少し恥ずかしいくらいで済む程度の夜着を何着か用意してもらえた。


その一枚が今、身につけているものだ。



真っ白な薄い絹地の、膝丈まである夜着。


胸元とウエスト部分の二か所を、淡いピンクのサテンのリボンで結んでいる。


ボタンはなく、二か所のリボンを解くだけで簡単にハラリと落ちてしまう。非常に心許ない、それでも他の夜着よりは断然肌を隠せる部分が多いけれど。



段々と鼓動が激しくなってきた。



アデルは胸元できゅっと拳を握りしめる。



ずっと恋が怖かった。


父のように変わってしまうのなら、いっそ恋など知らないまま一生を終えた方が良いと、そんなものは碌な感情ではないと、そう思っていた。



だけど、セスは、セスだけは。

そう、セスならきっと大丈夫。


セスとなら、違う、セスがいい。セスじゃなきゃ。



そう思える様になったから。



すう、はあ、と大きく何回も深呼吸を繰り返して、どうにかして心を落ち着かせようとして。



ガチャ、という扉の開く音で、そんなささやかな心の準備は呆気なく崩れ去って。



恐る恐る、顔を上げる。


果たしてアデラインの予想した通り。



そこには、ガウン姿のセスが立っていた。

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