朗報



セスとアデラインが結婚式の準備に忙しくしているうちに、早いもので式まであと二か月を切っていた。



招待状も全て書き終え、会場や披露宴などの打ち合わせも細かいところを詰める段階へ入っている。


婚礼衣装も最終チェックのために何回もデザイナーが細かな調整を行なっていた。



そんな事実の一つひとつが、じわじわとセスの幸福感を染み通らせていく。



ああ、もう少しで結婚式だ。



段々と現実味を帯びていく期待に、セスが胸を膨らませていた時だった。



アンドレが急にノッガー邸に現れた。



向こうも突然に思いついた訪問だったのだろう、先触れの使者が来て間もなくの訪問だった。



急な来訪に驚きながらも、セスは慌ててエントランスに出迎えに行く。


そしてアンドレは、飛び出す勢いで馬車から降りると、セスの方へと勢いよく走り寄った。



「うわ?」



あまりのスピードで近寄られ、セスが思わず仰け反るも、アンドレが気にする事はない。



そのまま流れるような動作でセスの両脇に手を差し入れ、セスの体を軽々と持ち上げる。



「えっ、ちょっ、なに?」



動揺するセスの声にもアンドレは止まらない。



なんと、アンドレはセスの体を高く持ち上げたまま、その場でくるくると回り始めたのだ。



「おい、ちょっ、ちょっと! アンドレ!」



必死に静止の声をかけるセスだが、どうやらアンドレには聞こえていないようだ。


くるくると回る動きは一向に止まらない。



これには、同じくエントランスに出迎えに来ていたショーン以下使用人たちも完全に固まっていた。



相手は侯爵家の婿という高位貴族。


自分たちの主人であるセシリアンに危険が及んでいるのならともかく、意味不明な行為ではあるが、彼がしている事といえばセスを高々と持ち上げ、嬉しそうにくるくるとその場で回っているだけ。



セスは明らかに嫌がっているけれど、身を挺して助けに入るほどの案件ではない様な気がするのだ。



結果。



「おい、アンドレ。目が回る。降ろせよっ!」


「「「・・・」」」




使用人たちは空気になる事を選択した。





さて、そんな騒ぎも10分ほどでようやく落ち着きを見せる。



そして今、アンドレはサロンにて、セスたちにこんな報告をしていた。




「赤ちゃん?」



予想もしていなかった朗報に、セスもアデラインもまん丸に目を見開く。



ここでセスもようやく合点がいく。


なるほど。それであの浮かれっぷりだったのか。



いや、それにしても。それにしても、とは思う。


もうちょっと普通に喜べよ、アンドレ、と。



散々振り回され、吐き気と眩暈を起こしかけたセスだったが、そんな知らせを聞かされてはさすがに怒ったままではいられない。



いつもいつも、この手のことに関してはアンドレに先を越されてしまうのは悔しいが、セスだって二か月後には結婚式を控えている身だ。


今日のところは、天使のような大らかな気持ちで、アンドレの報告を祝福してやろうという余裕がセスにはあった。



「そっか、おめでとう。アンドレ」


「ああ。ありがとう」



目の前のソファに座るのは、とんでもなく相好を崩したアンドレだ。



その顔と言ったらもう、見事なくらいに締まりがない。



まあ、気持ちは分かるけど。


僕だって、もしアデラインとの間に子どもが出来たって分かったら・・・



迂闊にもそんな想像をしてしまったセスは、瞬時にぼぼぼっと赤くなる。



幸いにもそんなセスの様子に気づくことなく、隣に座るアデラインはエウセビアの体調を気遣う言葉をアンドレに投げかけていた。


アンドレはその問いに対し、鷹揚に頷く。



「今は三か月という時期らしい。詳しくは分からないが、あと七か月くらいで産まれるとか」


「そうなのですね」



ひとりっ子のアデルは素直に頷いたが、四人兄弟の家庭で生まれ育ったセスは、ここで、ん?と疑問に思う。



おい。

なんだ、そのふんわりした理解は。



それでセスは、ついつい説教めいた言葉を口にした。



「アンドレ。妊娠は母体に大きな負担をかけるんだよ。生家の母も、弟を身篭った時は悪阻が酷くてよく寝込んでいたよ。夫のお前が夫人をいつも気遣ってあげないと駄目だぞ?」


「悪阻、ああ、エウセビアも気持ち悪そうにしているな」



いまいちピンと来てなさそうな返事を返され、ダメ押しにとセスはもう一言付け加えた。



「ランデル家にはエウセビア夫人のご両親もおられるから大丈夫だろうけど、食欲も無くなるだろうし、思うように動けなくなるからお前が気をつけてあげなきゃ。ああ、コロンとかつけるのやめなよ? 匂いに敏感になる時期だからさ」


「・・・」


「・・・」


「な、なに? 二人とも」



なぜかアンドレとアデラインがセスを凝視している。


セスがその視線にちょっと怯んでいると、アンドレがぽつりと呟いた。



「すごい」


「え?」


「すごいわ、セス」


「え? え?」


「詳しいんだな」


「ええ、とても詳しいのね」


「え? ええ?」



ただ当たり前のことを口にしたつもりのセスは、二人の反応に戸惑った。


しかも。



「すごいわ、やっぱりセスは頼りになるのね。こんなにセスが詳しいのなら、わたくしたちの時は安心ね」



などという台詞と共に、ふんわりと微笑まれてしまったら。



わたくしたちの時。

わたくしたちの時。


わたくしたちの時って、つまり。


結婚して、あれやこれやして、そして。


こ、子どもが、で、出来・・・



「あら? セス?」


「おい、どうした」


「い、いや・・・なんでも、ない」




今だ純情なセスの頭がパンクしてしまったのも、仕方のないことだったと言えよう。


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