あなたの指は長くて素敵


確かに、ここのところずっと、アデルも忙しかったと思う。



手書きでなければならない招待状は三百通を軽く超える。


加えて、披露宴の会場の手配や料理の選定および指示。


式用のドレスの試着、それにあわせる宝飾品や靴などの手配に、最近はヴェールの刺繍にも取りかかっていた。



その合間に、時間を見つけては父親との茶会のためにお菓子も作って。



君は病弱ではないけど、丈夫と言えるほどでもないのにね。



ごめんね、アデル。


もっと早く気がついて、休ませてあげれば良かった。



アデルの寝室に持ち込んだ書類に目を通しながら、僕は心の中で謝った。



今、僕の目の前でアデルは眠っている。



睡眠不足と軽い疲労。


それが医者の診断だった。



ぱらりと書類をめくる。


でも視線は何度も眠るアデルへと向けてしまう。



気がついてたのに。

ここのところずっと、睡眠時間を削ってヴェールの刺繍をしていたこと。



最近ちょっと顔色が悪いな、とは思ってたんだ。


でも、自分の忙しさにかまけて、サインを見逃してた。



目眩を起こして倒れたアデルを見て、心臓が止まるかと思った。


驚いて、怖くて、アデルの側から離れられなかった。



静かに眠るアデルが、もしかしたら死んじゃったんじゃないかって怖くて、何度も掌をかざしては呼吸を確かめる。



夜になって城から戻って来た義父が、顔を真っ青にして部屋に駆け込んできた。


義父だって原因は睡眠不足と疲労だと聞いている筈なのに、僕と同じく、ただアデルのベッドの周りをウロウロして。



休めば治る、そう言われたからといって、ハイそうですかと安心する訳ではないのだ。



この時にやっと、ああ義父はこんな恐怖を味わったんだなって理解出来た気がした。


いや、少し違う。

夫人は本当に亡くなってしまったんだ。


アデルみたいに、いつか必ず目覚めてくれる訳じゃなかった。



「・・・」



怖い、な。


自分より大切な人がいるというのは、こんなにも怖いことなんだ。



心配で側を離れる気にならなくて、扉を開けたままにしてもらい、夜もアデルの枕元に居させてもらった。



手元の明かりが僕の周りだけを仄かに照らす。


嫌な考えが過らないように、ずっと手元の書類を見ていた。



「・・・」



ふと気配を感じて視線を上げる。



ふるりと睫毛が揺れ、アデラインがゆっくりと目を開いた。



まだ眠り足りなさそうだ。

ぼんやりと天蓋を見上げている。



「・・・アデル」



僕の声に、ゆっくりとアデルはこちらを向いた。



僕の姿を認め、ふわりと笑う。



過労と睡眠不足なのだから、自分のこの行為に意味は無い。

そう分かっているのに、つい心配で手を伸ばしてアデルの額に触れた。



「熱は・・・大丈夫だね」



分かりきっていること。でも、どうしても確かめたかったこと。



アデラインはぼうっとした視線のまま、額に触れた僕の手を見上げた。



「・・・綺麗ね」


「うん?」


「セスの指、長くて綺麗」



小さな声。少し掠れている。


ずっと眠っていたから、きっと喉も乾いている筈。


そう思って、サイドテーブルの上の水差しを取って、コップに水を注いだ。



「飲んだ方がいいよ」


「・・・まだ眠い・・・」



ありゃりゃ、これは完全に寝惚けている。


でも、半日以上、水分を取っていないからな。

今飲んでおいた方がいいと思うんだ。


僕はコップをサイドテーブルに置いて、アデラインの手を取り、そっと起こしてから背中にクッションを置いた。



「はい。これなら飲めるよね?」


「・・・ん」



アデルの手にコップを持たせたけれど、どうも上手く力が入らないみたいだ。



心配だから僕の手を添えたまま、アデルの口元へとコップを持っていく。



アデルの桜色の唇が僅かに開き、コップの水を口に含んだと同時に、こくりと喉が鳴る。



「・・・」



いや、水を飲ませただけだろ。


何をドキドキしてるんだよ、僕は。



もう一口水を飲ませ、ほう、と息を吐いたアデルは、コップに添えられた僕の手をじっと眺めた。



「・・・やっぱりセスの指はとっても綺麗だわ」


「そうかな。ありがとう」



なんだろう。寝惚けてるからだろうか。


いつものアデルと違う。

なんだかふわふわと無防備で、少し危なっかしい雰囲気だ。


今にも暗闇に解けて消えてしまいそうな、そんな感じにドキドキする。



「まだ休んでいた方がいいよ。お休み、アデライン」


「・・・ねえ、セス。今度、合奏しましょう」


「え?」


「合奏よ」



アデルは夢見心地でふふ、と笑う。



「セスのその綺麗な指が、音を奏でるのを見たいわ。わたくしがピアノを弾いて、セス貴方は」


「・・・じゃあ、僕はヴァイオリンを弾くよ」



アデルの唇が嬉しげに弧を描く。


だがその眼は、新たな眠気にもう半分くらい閉じかかっていた。



「うん・・・約束、よ。セス・・・」



紫の瞳が閉じられ、すう、と寝息が聞こえてきた。



「・・・」



僕は、ぽすんと椅子の背もたれに寄りかかった。



養子になって、もう七年以上アデルと一緒にいるけど。


なんだか知らない人に会ったみたいな、むず痒くて、ちょっと気恥ずかしい、そんな気持ちになった。



まだまだ、僕の知らない君が隠れているんだね。


照れくさくて、嬉しくて、少し驚いた。



だけど、それはきっと。

この先、結婚した後もずっと。


そう、きっと、こんな風に新しい君を発見する日もあるんだろう。



穏やかな寝息をたてるアデラインの額をそっと撫でる。



「お休み、アデライン。良い夢を」



どうか、この先もずっと僕の寿命が尽きるまで。


君の隣で、一番に君を知っている僕でいさせてね。

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