最初に目に映るもの
アデラインは、うとうとした微睡から醒めようとしていた。
久しぶりにぐっすり眠った気がする。
このくらい大丈夫、そう思ってずっと睡眠時間を削ってヴェールの刺繍に取り組んでいた。
だって意匠が白百合なのだ。
セスが私のようだと言って贈ってくれた花束の花。
今も鮮明に記憶に残るあの白百合の花束は、私の中で、どんどんどんどん美しくなっていくから。
とても私の刺繍の腕前ではあの美しさを表せなくて、何度も何度も別の生地で練習していた。
ああ、でもきっと、どれだけ頑張っても、本物には及ばないんだろうな。
だってセスがくれた花束は、どんな花も敵わない。世界で一番綺麗な百合だ。
結婚式で冠るヴェールへの憧れと、記憶の中の花への憧憬と、自分の刺繍の拙さがアデラインを焦らせる。
それでつい、眠っていられなくて、気がつけば針を手に取っていた。
頑張っても、頑張っても、思ったようにはいかなくて、気ばかりが逸って。
でも、なんだろう。
よく寝たからかな。
気分がスッキリしてる。
もぞもぞとブランケットから手を抜いて、おでこに当てる。
別に眩しい訳じゃない。眠っているアデラインに気を遣ったのか、今朝はまだ侍女がカーテンを引きに来ていないのだ。
ただもう少し、この微睡みを楽しみたい、そう思っただけ。
「・・・ふふ」
知らず、笑みが溢れた。
気分が良いのは、ぐっすり眠ったせいだけじゃない。
いい夢を見た、きっとそれもある。
「夢の中でも優しいのね・・・」
そう呟いて、ゆっくりと眼を開けた。
カーテンの隙間からは、僅かに朝日が射しこんでいる。
それでも大部分が遮光されてまだ薄暗い室内をぐるりと見回し、そして気づいた。
ベッド脇に置いた椅子に腰掛けたまま、腕を組み、首を傾けて眠っているセスの姿に。
「え・・・?」
驚いて、起き上がって見てみれば、その足元には何枚もの書類が散らばっていて。
首を傾けているせいだろう、セスの美しい金髪がさらりと片方の頬にかかっていて、それがカーテンの隙間から射し込む光で影を作り、いつもとは違う大人びた色気を醸し出す。
眠っている姿を見たことは殆どない。
前に膝枕をしたまま、セスが眠ってしまった事があった。
あとは養子に来て暫くした頃、そうだ、シャールを育てていた時に、うっかり同じベッドで寝てしまった事もあったけれど。
あの時も寝顔は確かに見た。見たけれど、でもこれは。
こんなの、全然違う。
私の知っているセスなのに、セスじゃないみたいだ。
寛げた襟元のせい?
少し乱れた前髪のせい?
それとも、無防備に薄く開いた唇のせい?
「・・・」
どうしてだろう。
頬がじわじわと熱くなった。
自分の目の前で、こてんと首を傾げたまま眠るセスから目が離せない。
いつも優しくて、明るくて、前向きで、頼りになって、なのにどこか可愛らしいところがあるセスは。
そのセスは、自分の目の前にいる人と同じ筈なのに、でも今は、綺麗で、美しくて、どこか退廃的で、格好良くて、色っぽい、そう、男の人に見えた。
何を言ってるの。セスが男の人なのは当たり前、なのに。
「・・・」
胸が、ドキドキする。
このままずっと、見ていたい。でも、そっと触れてもみたい。
「ん・・・」
「・・・っ」
セスの金色の睫毛が、ふるりと揺れた。
伏していたそれがゆるゆると上がり、鳶色の温かい色が現れて、そして。
アデラインの姿を認めた。
「あ・・・起きてたんだ。ごめん。僕、寝ちゃってたんだね」
足元に散らばる書類を見て呆れたような声を出し、ゆっくりと屈んで拾い始めた。
「う、ううん。わたくしこそ、ごめんなさい。ずっと付いていてくれたのね」
「まあね。ちょっと心配だったから」
と、ここでアデラインはある事に気づく。
いい夢を見たと思っていた、思っていたけれど。
「・・・わたくし、もしかして夜中に目を覚ましてた・・・?」
「? ああ、あれ?」
「・・・っ!」
カッと頬が赤くなる。
ぼんやりとした記憶だが、随分と甘えたような気がする。そう、それはもうたっぷりと。
「あ、の、セス。その、昨夜のことは」
「大丈夫。ちゃんと覚えてるよ」
「・・・っ!」
はしたなくも甘えまくった事を忘れてほしい、そう言おうとしたのに。
恥ずかしさのあまり、きゅっと唇を噛んでしまった、その時だ。
「合奏するんだよね?」
「・・・へ?」
「アデルがピアノで、僕がヴァイオリン。大丈夫、ちゃんと覚えてるよ」
「・・・あ、えと」
「ん? そう言ったよね?」
アデルの微妙な反応に、セシリアンが首を傾げる。
「ほら。僕の指が綺麗だから楽器を弾いてくれってアデルが言いだして、それで・・・」
「そ、そうなの。そうなの。その話なの! こ、今度、時間を作ってやりましょうね、合奏!」
「・・・? うん」
薮から蛇が出そうになり、慌てて会話を遮ったアデラインは、先ほど感じた胸の鼓動の本当の意味を考えるのを止めた。
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