再始動



「娘のために動いてくださり、心から感謝します・・・っ」



目の前で、ヤンセン男爵は僕に深々と頭を下げた。



隣には、同じく深く頭を下げるサシャ。


そしてその隣には。



右腕にぐるぐる包帯を巻きつけたルドヴィック。


そのほっぺと額には、青痣が出来ていた。



2階の高さから落ちてきた人ひとりを受け止めた割には、軽傷で済んだと喜ぶべきなのか。



怪我した本人が妙に嬉しそうだから、黙ってた方がいいのかな。






さて、サシャが誘い出された手口は、余りにもお粗末なものだった。


言い換えるなら、サシャ以外の人物ならば絶対に引っかからないくらいの幼稚な手口で。



僕でさえ、話を聞いた時、呆れを通り越して笑ってしまったくらいだ。



サシャの自白によると、この国では余り知られていない外国の品が商会裏手の道にポツンと置かれていたらしい。



それに気づいたサシャが、好奇心に耐えられず、ふらふらと外に出てそれに手を伸ばしたところを、待ち構えていた奴らに拉致されたって・・・どれだけアホなんだ、君は。



「いやはや・・・本当に申し上げる言葉もございません・・・」



平身低頭するヤンセン男爵だが、まあサシャだったら仕方ないよねってくらいの感想しかない。

仕事をしている時以外は、本当に抜けてる子だから。



だから正直、そんなに恐縮しなくても良いんだけど。



「この度のご助力に感謝し、私たちから出来る限りの感謝を、と思いまして・・・」



そう言って、彼がさっと差し出したのは目録。


ノッガー家に進呈予定の品々の名称がずらりと書き連ねられたそれに加え、更には商会の人員を数名、一定期間無償でこちらに寄こしてくれるという。



今は結婚式の準備で細々とした用事が多いから、人員確保は素直にありがたい。



「ランデル侯爵家の婿君と、デュフレス公爵家の後継の方にもご助力いただいたそうなので、今からそちらにも向かう予定でおります」



お礼回りか。父親って大変だな。


いや、まあ。でも。



僕はちらりと男爵の隣で大人しく座っているサシャを見遣る。


うん。反省はしてるみたいだな。


それに、どうやら僕の予想は当たったようだ。



サシャがさっきからもじもじと隣のルドヴィックの様子を気にしている。



雨降って、地固まるという事で収めるか。




まあ実際のところ、僕のやった事と言えば着飾って少々出歩いただけなんだけど。


とにかく半日以上かけて、侯爵家の威をかざして歩いたのは事実。


ここは有難く礼を受け取っておこう。



かくして僕は、再び後継としての仕事と結婚式の準備とに明け暮れる生活に戻ったのだった。






「失礼します。式用のヴェールが届きましたが、このままアデラインさまにお渡ししてもよろしいでしょうか」



ヤンセン男爵が派遣してくれた使用人の一人がそう言って扉を叩いたのは、つい先程のこと。



ドレスはまだ最終的なサイズ合わせが終わっていないけれど、アデラインたっての希望で、式に被るヴェールに彼女自身が刺繍を施すことになった。



ちなみに、エウセビアの式の時と似たような理由で、アデラインも自身のウェディングドレスの色を純白にすると決めていた。


そう。僕があげた白百合にちなんだ色。


幾重にも重ねたレースがふわりと広がるスカート部分には同じく白の絹糸で百合の花の刺繍を入れる。

そこに真珠と砕いたダイヤを縫い留めるのだ。



そういう訳で、ドレスに合わせてヴェールにも百合の花の刺繍を入れることになったのだが、そこに手を挙げたのがアデライン本人で。



自分が着る花嫁衣装にどうか自分も針を入れされてほしい、なんて可愛らしくお願いされたら断る人間なんて誰ひとりいやしないだろう。



だって、僕と結婚するために着る衣装の準備をアデラインが自ら参加したいと言ってくれたのだ。


多少にやけるのは許してほしい。



という訳で。



「僕が持っていくよ。ちょうど式のことでアデルに相談したいこともあったし」



そう答えるのも当たり前と言えば当たり前なのだ。



たとえ、相談したい事など本当はなかったとしても。



さてさて、確かこの時間は、結婚式の招待状をアデルは書いている筈。


花嫁となる女性が一通一通手書きで書かなくてはいけないから、地味に疲れる作業なんだよね。



ヴェールを渡しに行くついでに、ちょっとお茶にでも誘おうかな。


隣に座って、さりげなく手を握って、少しの時間まったりと過ごすのもいいかもしれない。


ああ、考えただけで今日の疲れが吹っ飛びそうだ。



ヴェールを入れた箱を腕に抱え、僕は足取りも軽くアデルがいるであろう部屋へと向かう。



式まであと四か月を切った。



体の疲れとは裏腹に、天にも昇るような明るい気分で、僕はアデラインのいる部屋の扉をノックしたのだった。

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