本当にポンコツ
王太子ルシオンが用意した部屋でセスと義父が話し合いを始めてから二時間後、扉を開く音と共にセシリアンが姿を現した。
「・・・やあ。お話は終わったのかい?」
ルシオンの柔らかな声に、セシリアンは、はいと頷く。
「本日は私用にも関わらず、王太子殿下に便宜を図っていただきましたこと、心から感謝しております。お陰で義父とゆっくり話すことが出来ました」
深く頭を下げて感謝の言葉を述べるセシリアンに、ルシオンは笑みで返した。
「そう。きちんと話せたのなら良かった。君はもう帰るのかい?」
「はい。アデラインが待ってますから」
愛妻家の様な返事を、セスがしごく真面目な顔で返してきたので、ルシオンは笑いを嚙み殺すのに必死だ。
そして彼が退出した後、ルシオンは未だ奥の部屋から出てこないもう一人の男、かつての上司であり現臣下であるエドガルトのもとへと向かった。
扉を開けてからノックの音を響かせる。もちろん、わざとだ。
ぼんやりとした顔でソファに座っていたエドガルトは、その音でゆっくりと顔を上げた。
その間抜けた表情を見て、ルシオンは思わず苦笑する。
「・・・事情は知らないけど、あまり子どもに心配をかけるものではないよ? 嘘でも虚勢でもいいから、安心させてあげなくてはね」
「・・・申し訳ありません」
「別に私に謝らなくてもいい。もう絞られた後のようだしね」
「は・・・?」
怪訝な表情を浮かべたエドガルトに向かって、ルシオンは人差し指で自分の右頬をつんつんと叩く。
はっとした様子で右手を頬にあてたエドガルトは、恥ずかしそうに俯いた。
「・・・まったく、あんな穏やかそうな子が殴りかかるほどの事をしたのかい、君は・・・エドガルト、アーリン殿が亡くなってから、君は本当にポンコツになったよねぇ?」
「・・・お恥ずかしい限りです」
「まあ、私も息子二人、娘一人を持つ身だ。この先、君と同じように子どもに食ってかかられることもあるかもしれないから、強く言えた義理じゃないけどね・・・逃げ回るのは違うだろう?」
「・・・はい」
ルシオンは溜息をひとつ吐くと、しっしっと右手を振った。
「今夜は必ず屋敷に戻るように・・・今後、本当の繁忙期でもないのに王城の執務室に泊まることを禁ずる」
「・・・畏まりました」
頭を下げ、静かに去っていった後ろ姿を見送りながら、ルシオンはもう一つ息を吐いた。
「本当に・・・他のことでなら優秀なのにな。どうしてああも不器用なんだか」
夕日が沈むころ。
ようやくノッガー邸に帰ってきたセスは、エウセビアに礼を言い、無事に義父と話せたことを告げた。
そして彼女を迎えに来たアンドレ(そう、送り迎えはアンドレがしていたのだ)にも同じことを話し、明日、つまり三日目はもう来なくても大丈夫だと言った。
セシリアンの表情を見て取ったのか、それとも未だ赤みが引かないセスの右拳から察したのか、二人は最後に妙な含み笑いを残して馬車に乗り込んだ。
その間ずっとアデラインの手を握り隣についていたセスだったが、アンドレたちを乗せた馬車が遠ざかるのを見送りながら、ぽそっと「殴っちゃった」と言った。
「・・・え?」
あまりに小さな声で、よく聞き取れなかったアデラインが首を傾げる。
セスはバツが悪そうな顔で、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「本当に殴っちゃった。義父上のこと」
「・・・」
「ごめんね。どうしても我慢できなくて」
アデルは視線をセスの右手に移す。
拳の赤くなっている部分を認めると、そこに手を伸ばしそっと撫でた。
「・・・痛くない・・・?」
「今は痛くない。けど、殴った時はけっこう痛かった。・・・あれ、殴る方も痛いものなんだね。人を殴ったのなんて初めてだったから知らなかったよ」
なるべく戯けた調子で言ってはみたけど。
ああ、やっぱりね。
アデラインの瞳に、不安が宿る。
そりゃそうだよね。
僕が誰かを殴ったことなんて今まで一度もなかったし、しかもその相手が義父だって言うんだから。
ええと、これは何か冗談でも言って和ませた方がいいかな。
・・・
そうだ。
「・・・アデライン」
「はい・・・?」
「もし今回のことで義父に勘当されるようなことになったら、僕と一緒に駆け落ちしてくれる?」
「・・・」
あれ?
変だな。
アデラインが笑わないぞ?
僕はこてんと首を傾げてアデルの顔を覗き込んだ。
冗談が下手すぎて笑えなかったか?
なんか違うものをもう一つ考えた方がいいだろうか。
「・・・アデライン?」
「・・・ち・・・」
「ち・・・?」
『ち』とは何だろう。
僕は続きを待った。
アデルは、ごくりと唾を呑みこむと、意を決したように声を上げた。
「ち・・・地の果てまでも・・・セスと、い、一緒に行く、行きます・・・っ!」
「・・・」
・・・はい?
え? あれ?
見れば、アデラインは決死の覚悟で口にしたのか、目には涙まで浮かべている。
まずい。
冗談にもならない冗談だったみたいだ。
和ませようとしたのに、泣かせちゃったじゃないか。
僕は慌ててアデラインの両手をぎゅっと濁り、何を言って事態の沈静化を図ろうかと考えを巡らせるのだった。
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