そういうもの



「え・・・? エウセビアさま、今なんと・・・?」



聞き間違い、かしら。



一瞬、そう考えたほど、エウセビアの口から溢れた言葉はアデラインにとって衝撃的だった。



だって・・・



「ええ。ですから、アンドレさまから口づけをいただきましたの」

 


ほんのりと紅く頬を染めて、嬉しそうにその言葉を口にする。



聞き間違いじゃなかった。


その事実を再確認して、それからふとある事に気づく。



あら、待って。


エウセビアさまとアンドレさまは、ついこの間まではご友人同士で、最近になって婚約したいって話になって。


それでようやく両家の親から許しが出たからって、今日、私たちの家に報告に来てくれて・・・


それなのにもう、口づけをされているなんて。



「どうなさいました? アデラインさま」



どうしよう。

そういうものなの?


分からない。

だって相談出来る人なんて周りにいないもの。


お母さまがいらしたら、こんな時に聞けたのかしら。

いいえ、「もし」なんて考えても仕方ないわね。ああでも。



「アデラインさま? 何だかぐるぐると思考が迷走なさってません?」



エウセビアの声で、ハッと我に返る。


そして目の前の、いつでも冷静な友人の顔を改めて見て、そして。


ここにいらっしゃるじゃない、頼りになる方が。


そうアデラインは結論づける。



「あの、エウセビアさま。エウセビアさまに是非、相談に乗っていただきたい事があるのですが!」



かなり前のめり気味で頼み込んでエウセビアを驚かせたアデラインだったが、とにかく早急に答えが知りたい悩み事を打ち明けるのが先だ。



だがやはり、エウセビアはこんな話題を振られても落ち着いていた。



「まあ、そうだったのですか。あれほどに仲がよろしくていらっしゃるから、わたくしはてっきり・・・」



そう言って、にこりと笑う。



てっきり・・・



その言葉に、瞬時にアデラインの顔は赤くなる。



てっきり、その先は何でしょう。


聞きたいけれど、聞くのも怖い、とアデラインはわたわたと言葉を継いだ。



「ほ、頬には口づけてもらってるのです。その・・・毎晩、寝る前の、お休みの・・・挨拶で・・・」


「まあ、素敵ですこと」



アデルはこくりと頷く。



素敵。そう素敵だと自分でも思う。


いつもドキドキはするけれど、同時に何だかふわふわした気分で。


そのまま離れないで、ずっとセスの側に居たくなってしまうくらいに。



セスと別れて部屋に入った後も、胸の鼓動が治るまでに、いつも時間がかかるのだ。



思い出しただけで顔が熱くなり、そっと両手で頬を押さえると、その様子を見ていたエウセビアがふふ、と笑う。



「本当にアデラインさまはお可愛いらしくていらっしゃる。これではセシリアンさまも堪らないでしょうね」


「そ、そんな・・・でも、まだ唇にはされていないのですよ・・・?」


「ええ。それはわたくしも驚きました。ですからきっと今頃、セシリアンさまは焦ってらっしゃいますわよ」


「焦る・・・?」


「ええ」



カップに口をつけてから、エウセビアは楽しそうにそう言った。



「だってセシリアンさまは、10歳の時からアデラインさまと婚約していらして、その間もずっと一途にお慕いしてらっしゃいましたのよ? それを最近になってようやく婚約が整ったばかりのアンドレさまの方が先に口づけをなさったなんて聞いたら・・・」



ね、想像がつきますでしょう?



そう聞かれても、アデラインはどう返事をしていいか分からない。



「・・・アンドレさまから聞いて、ますかね?」


「もちろん聞いてますでしょうね。セシリアンさまは、今頃ショックを受けておられるのではないでしょうか」



ショック。

そうなんだろうか。


あのいつも穏やかに微笑んでいるセスが・・・?



「お気をつけあそばせ」


「・・・え?」


「きっと今頃はアデラインさまのことで頭がいっぱいになってらっしゃる筈ですわ。ああ、そういう意味では、アンドレさまはいいお仕事をなさいましたわね」


「頭が、いっぱい・・・」



私のことで?


そんな風に思ってくれているの?



だったら・・・嬉しいけれど。



「まあ、そんな可愛いらしいお顔を・・・もうセシリアンさまの理性が保ちませんわね」



きっと直ぐにでも唇を奪われてしまいますわよ、と揶揄われた。



そのせいなのか、二人が帰った後もどうにもセスとの時間がギクシャクして、いつもとは違っていて。



これは・・・どうしたらいいの?



だって黒い雲が空を覆って、こんなに風が吹いてるのに「いい天気だね」って言うし。



そう言ったそばから「このまま庭を回ろう」って口にして、すぐに慌てて撤回しているし。



いつものセスとは違う。


いつもニコニコ笑顔を絶やさず、落ち着いた口調で私を包みこむような、義弟なのに年上の人みたいな、そんなセスとは違う。


でもなんだか、そんなセスも可愛い・・・かもしれない。



私の提案で温室に行き、二人並んで散策する。



前に私が好きだと言った花が咲いているのを見ていた時、私はちょっと気が緩んでいたのかもしれない。



「綺麗だね。清楚で、凛としていてアデルみたいだ」



急にいつものセスが戻ってきたから。



ふい打ちに驚いたの。



どうしたらいいのか分からなくなって、固まってしまって。



そうして、気がついたらセスが。


セスの顔が近くにあって。




--- それはそれは素敵な体験でしたわ ---




エウセビアさまの言葉が頭をよぎる。



--- 嬉しくて、わたくしの方が離してあげられませんでしたの ---




そちらの言葉の意味は、よく分からなかったけれど。



だけどこれだけは分かるわ。


そう、きっと。


きっとセスが求めているのは。




私はそっと目を閉じた。

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