月に願う



眠れる気がしなくて。


義父の部屋を出た後、僕は厨房でワインと軽くつまめるものを見繕うとトレイに乗せて外に出た。



今夜は澄み渡った美しい夜空だった。


僕の心とは真逆の、月の光が沁み通るような透明な空気を纏った夜空。



芝生の上にどかりと座り込む。


服が汚れるのを気にする余裕もなかった。



目の前にトレイを置き、持って来たグラスにワインを注ぐ。



つまみとして用意したチーズに手を伸ばし、ワインをちびちびと飲みながらチーズもかじる。



「はあ・・・格好悪い・・・」



ぽそりと溢れたのは、自嘲。



覚悟して出向いたのに、あんなにあっさりと引き下がったりして。



--- アデルは、私の話を聞けばもっと傷つく ---



義父の言葉を思い出し、僕は思いっきり大きな溜息を吐いた。



「あんな脅し文句一つで、ビビっちゃうなんてさ・・・」



だって。


ちょっと、いやかなり本気で思ってしまったから。



確かに、そうだって。



「僕の方が簡単に説得されてどうするんだよ・・・」



ぐいっとグラスを空け、月を見上げる。



闇に浮かんでいるのは綺麗な三日月と小さな星々。


そしてその光の下には、ワイングラスを片手にひとり愚痴をこぼす僕がいる。



うわあ・・・なんかシュール。



自己嫌悪から解放される事もないまま、とくとく、と再びグラスをワインで満たす。



そしてグラスを手に持ち、高く掲げて月の光を透かしてみた。



「・・・ふふ。綺麗だなぁ」



ひとしきり葡萄色に染まった月を堪能した後、ワインを飲もうとしてグラスを下げた、その時。



僕の手にあった筈のワイングラスがパッと視界から消えた。



「へ?」



落とした、訳でもない。


呆気に取られる僕の頭上、いや後方から、この世で一番大事な人の声が聞こえてきた。



「・・・もう。駄目よ、セス。こんな夜遅くに外に出て何をしているのかと思ったらこんな・・・」


「アデル・・・アデラインだ・・・」



あれ?


僕はもう酔っちゃったのかな。



まだ一杯しか飲んでないのに。



「セス?」


「アデルぅ・・・」


「どうしたの?」


「グラス、返して?」



そう言って手を差し出す僕を見て、アデラインは困ったような顔で首を傾げた。



「・・・ずいぶんと酔ってるのね、セス?」



僕はふるふると首を横に振った。



「まだ一杯しか飲んでないよ? 僕がそんなにお酒に弱くないこと、アデルは知ってるよねぇ?」


「・・・」



アデルの眉が下がり、心配の色が眼に滲む。



「大丈夫。あとニ、三杯飲んだら部屋に戻るから」



頭がふわふわするのはきっと気のせいだ。


だって、普段はこんなにすぐには酔わないもの。



アデルは溜息を一つ吐くと、グラスを返してくれた。



「ありがとう」


「・・・あと一杯だけにしてね? なんだかいつものセスと違うもの。敷地内とはいえここは庭だし、何かあったら大変だわ」


「あはは。アデラインは心配症だなぁ」



僕はようやく返されたワインを口に含む。


あれ、さっきは美味しかったのに、なんだか苦いや。



「どうして庭で飲んでいるのかしら。お部屋に戻ってからでは駄目なの?」



まだ心配しているらしく、アデラインは僕の隣に座ってそう尋ねた。



「ん~、月見?がしたかったのかなぁ? ほら、凄く綺麗だったから、つい?」


「そういうものなの?」


「うん」



それは半分本当で半分は嘘。



本当はね。


ちょっと気弱になった僕が、綺麗な月に願い事をしてみたくなっただけ。



君が、世界で一番、幸せな女の子になれますように。



そうお願いしたかっただけ。



「・・・自分の力でやれよって話だよね・・・」



そんな呟きと共に、残りのワインを一気に呷る。



「え?」



何か言った?と尋ねるアデルに、僕は笑って首を左右に振る。



「さ、飲み終わったし、部屋に戻ろうかな」



立ち上がって手を差し出した僕に、アデルはほっとしたような顔で手を重ねる。



ああ。ふわふわする。


たった二杯でこんなになるなんて初めてだよ。



酔っ払った僕が心配なのか、アデラインはいつもより近くに立ち、僕に寄り添うように歩いてくれる。



ふふ、これは役得ってやつかもね。



ああ、アデライン。

そんな心配そうな顔で見ないで。



大丈夫。


みっともない僕は今夜でお終い。


どれだけ力不足でも、僕がアデラインを好きなことは変わらない。



世界で一番大切なのは君。


世界で一番大好きなのは君。


世界で一番幸せになってもらいたいのも君。



ちゃんと願いは口にしたから。



だから大丈夫。


きっと月が僕に力を貸してくれるさ。

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