やばい、私がヒロインだ

 甘夏と私が、同じ?

 何度考えてもその言葉の答えは出ない。

 

 分からないことをうだうだと悩んでも仕方ない。そんな時間があるなら、もっと有意義な時間の使い方があるはずだ。


 それに、問題はそちらではない。

 甘夏京が、私を好きだという話の方だ。まさか本当に好きというわけでもないだろうし。


 となると、あの『私のこと、好きって言っちゃえば、楽ですよ?』という言葉も含めて総合的に考えると……。


 ――甘夏京も実は恋愛初心者で、告白されてもどうしていいか分からないので私を利用して告白を断るネタにしている。

 ……なるほど。そういう、ことか。


 そうだとすれば私と同じ、という発言にも筋が通る。間違いない。しかし、あいつもあれだけモテるのに恋愛初心者とは。なんか親近感湧くんだけど。


 ただそれを甘夏に見抜かれているというのはいただけない。私は高坂柚葉、恋愛経験など無くてもシミュレーションは出来ているのだ。


 数多くのラブコメ漫画やラノベを読み漁り、大人の女性向けの雑誌も購読している。抜かりはない。


 例えベースは同じでも、積み重ねてきたものが違うのだとあいつに教えてやらなければ。


 先程は不意を突かれて少し驚いてしまったが、全てを見抜いた私にはもう死角はない。

 見てろよ甘夏。『本物』を教えてやる。


 急に頭にこつん、と何かが当たる。

 頭を押さえつつ左を見ると、乃々果が呆れた顔でこちらを見つめていた。


「柚葉……あんた授業中になんて顔してんのよ。天使じゃなくて、悪魔の親玉みたいになってるけど」

「…………ありがと。気をつける」


 彼女のひそひそ声に、私はいつもの笑みを返す。……危ない危ない。つい、素が出てた。



 ***



 そして、放課後。

 私はそれぞれの向かうべき場所へと向かう生徒達の波を抜けながら、真っ直ぐに甘夏の教室へと向かう。


 クラスは確認済み。

 きっと怠惰な彼女はまだだらだらと教室に居て、のんびりと家にでも帰るのだろう。


 何事もスピード感が重要だ。

 岸田の要らぬ誤解も、甘夏の勘違いも、全てその日のうちに晴らせるものは晴らしておく。


 これで明日からまた私はいつも通りの日々。

 期待される自分、あるべき姿で私は進んでいくのだ。


 甘夏の教室を覗く。……いた。

 人もまばらな教室から出ようとするクラスメイトらしき生徒に声を掛け、甘夏を呼んでもらう。


「――うそぉ。ほんとだったんだ」

「やば、めっちゃかわいい」


 後ろで色めき立つ生徒の声が聞こえて、思わず振り向きそうになるがぐっと堪える。

 ……甘夏のやつ、本当に言ってまわっていた。とんでもないことしてくれたな。


 人を自らを守る盾みたいに使いやがって。ここ最近の行動は、全てその布石というわけか。

 ただ残念、私は今日その嘘を終わりにするためにここに来た。


 欠伸をしていた甘夏は、クラスメイトに声をかけられるとぱああっと顔を輝かせてこちらを見る。何が入っているのか、大きな鞄を背負うと嬉しそうにこちらに駆けてきた。


「ゆ、ゆずせんぱいっ! どうしたんですか。わざわざこんなとこまで。……一緒に、帰ってくれるんですか?」

「ううん。そうじゃなくて。さっきの話の続きだったんだけど」

「あ……そ、そのことですか。えと、じゃあ場所変えますか?」

「私はここでもいいよ?」

「いえ。じゃあ、こっちに」


 甘夏は私の手を引いて廊下を進む。

 生徒たちから好奇の目が向けられてはいるが、彼女の嘘を暴いてしまえばすぐに収まること。ほんの数日で終わりだ。


 手を引かれながら歩いていると、廊下で一人の男子生徒と目が合う。

 ……岸田新だ。岸田は私達を口をぱくぱくとさせながら驚愕の目で見つめると。


「や、やっぱりそうだったのか……。尊い……」


 そんなことを呟いて、目元を押さえた。

 うん。あいつだけは、後で処理しておく必要がありそうだ。覚えとけよ。


 どこまで進むのかと思えば、甘夏は三階にある自販機の前で立ち止まる。


「私、おごるよ? こっちが声掛けたんだし」

「大丈夫です」


 甘夏は自販機のボタンを二回押す。がしゃん、がしゃん、という音と共に出てきたのはコーラのボトルが二つ。なんでだ。


「どうぞ」

「……私、こういうのは」

「一応です」


 一応……? とは思いながらも、私はよく冷えたそれを受け取る。すぐ近くのベンチに甘夏が腰掛けるので、私もそれに倣って隣に座る。


 甘夏は緊張でもしたみたいにそわそわとしている。もう真実を見抜かれたのではと焦っているというところだろうか。


 部活へ向かう人、家へと帰る人、それぞれの目的のある場所へと向かう生徒たちを横目に見ながら、私は甘夏に向けて言う。


「……甘夏さん、今日の話なんだけど」

「は、はい」


 甘夏はらしくもなく背筋を伸ばすと、手に持ったコーラのボトルをくるくると回す。

 まさかこの短時間で目論みが暴かれるとは思っていないだろう。でも、私も知ってしまった以上は看過出来ない。


「――私のことが好きっていうあれ、嘘だよね」

「ほんとです」


 即答だった。

 ……あれぇ? お、おかしいな。

 ここで本来なら甘夏が驚いた顔でもして、諦めたように俯くのではと思っていたんだけど。


 しかし私はその程度では動じない。

 その反応も想定済みだ。


「隠さなくても大丈夫だよ。甘夏さん、モテるから。断る時の大義名分として、私を好きっていうことにした。そうだよね?」

「えと……違います?」


 甘夏は困ったように笑うと、私と同じ様にわずかに首を傾ける。


 ……なかなか強情なやつだ。

 仕方ない。ここまでは言いたくなかったんだけれど。


「話したけど私、好きな人がいるんだ。だから、甘夏さんにそういう噂流されるのってちょっと困っちゃうと言うか……」 


 適当ならしい表情を浮かべ、照れ臭そうに頬をかく。嫌味っぽくならない、けれど牽制には確実になる程度の声音。

 さあ甘夏。諦めて真実を――。


「さっきの話。ゆずせんぱいのことですよね」


 ……え?

 顔が、強張るのが分かった。

 甘夏はその綺麗な宝石みたいに澄んだ目で、私を見上げるようにして続ける。


「ゆずせんぱい、すごくモテるし沢山の人に告白されるから、嘘の好きな人作って断る時の大義名分にしてるんですよね」

「いや、ちがっ」

「私、分かるんです。中学の時、私もせんぱいと同じように無理してたから」

「……無理なんて、してないよ?」


 待て待て待て待て。

 おかしい。この子は何を言ってる?

 私が彼女の嘘を暴くつもりが、私のことを暴かれていっていないか?


「だってせんぱい、私がコーラ飲んでる時すごく羨ましそうでした」

「そ、そんなことっ」

「私が読んでるラノベ、興味津々で見てました」

「な、なんのことかな」

「せんぱいの笑顔って、昔、私が頑張って無理してた時と同じに見えるんです」

「な…………」


 思わず彼女の顔を見つめる。

 甘夏が、昔……?


 ――違う。私は無理なんてしていない。

 これが私だ。そりゃ私だって甘夏みたいに堕落したらどんなに楽だろうと思う時がある。


 でもそれは、甘えだ。我慢も努力をせずにただ日々を生きるなんてことに意味はない。

 私は、高坂柚葉なんだから。


「本当にせんぱいがやりたいようにやってるならいいんです。頑張ることは大切です。でも、もしそうじゃなくて、無理をしてるんだったら」


 私は息を呑む。

 我慢じゃなくて。

 努力じゃなくて。

 ……私が無理を、してるんだったら?


「わたしがせんぱいの大変なこと、半分もらいますから」


 甘夏はそう言って私の手を握る。


「甘夏さん、ちょっと何言ってるのか……」

「せんぱいは天使です。可愛いです。わ、私はこんな感じでいくので、せんぱいはきっと周りからはすごくまともに見えると思います」

「ちょっと。え? 待って?」

「だからゆずせんぱい、全部私のせいでいいので。私と、いる時だけでいいので」


 甘夏は笑う。

 その笑顔は私の知る甘夏のものではなく。

 まるで私がいつも使っている笑顔のような。

 そんな、無理をした笑顔に見えた。


「ちょっとだけ……無理するの、やめましょう?」


 なんだこれ。

 心臓がどきどきする。

 バレてしまった。バレてしまっていたのか?

 

 ゆっくりと周りを見回す。

 生徒は時折通るけれど、ベンチに座る私達の話し声までは聞こえていないはず。


 うるさいくらいに鳴る心臓を押さえつつ、私は甘夏に訊ねる。


「……もし。もし仮にそうだったとして」

「はい」

「甘夏さんは……結局なにが言いたいの?」


 嘘をついている私に。

 無理をしている私に、幻滅しているのか?

 それとも、こんな私の偽物の姿を暴いて、自らがこの学園のヒロインであると証明しようとでも?


 ……そうじゃない。

 今の甘夏は、そんなことを言ってるんじゃない。


 彼女はいつもと同じように、照れ臭そうにはにかむ。偽物でも作り物でもない、きっと甘夏京の本当の笑顔。


 ぽわっと赤く染まった頬が、綺麗。

 長い睫毛が綺麗。

 濡れたその煌めく瞳が、綺麗。


 彼女は私の耳元に唇を寄せて、こしょっと内緒話をするみたいに囁いた。


「私、ゆずせんぱいが好きなんです」


 彼女と近づいた頬が熱い。

 彼女の声が聞こえた耳も熱い。

 おかしい。こんなはずじゃない。


「……好きっていうのは、恋愛的な好きです」


 な…………!


 甘夏は言い終えると、手元にあったコーラのキャップをひねる。爽やかな音と香りが広がる。それを彼女は美味しそうに飲んでいく。


 彼女の柑橘の甘い香りと混ざり合って、くらくらする。


 私は緊張と動揺からか、カラカラになった喉を鳴らす。震える手で甘夏と同じようにキャップを回す。そうして、その液体を――。


 やばい。

 これじゃあ、まるで。

 わ、私がヒロインだ!

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やばい、私がヒロインだ! アジのフライ @northnorthsouth

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