第66話 お手玉のうた――学童疎開




 おひとつ

 おふたつ

 おみっつ

 およっつ

 

 わたし お手玉 あそびが 大好き

 いくつまでも ついて いられます

 

      *

 

 そうそう こんな うたも ありましたっけ

 

 一番 はじめは 一の宮

 二月 日光 東照宮

 三月 佐倉の 宗吾郎

 四月 信濃の 善光寺

 五つ 出雲の 大社おおやしろ

 六つ 村の 鎮守さま

 七つ 成田の 不動尊

 八つ 八幡やわたの 八幡はちまんさん

 九つ 高野の 弘法さん

 十で 東京 二重橋

  

 でも 四月の ところ まで くると

 わたしの 手は とまってしまいます


     *

 

 あれは 国民学校 5年生の とき でした


 戦争が はげしくなって アメリカの B29が 爆弾を まく かもしれない

 というので 東京の 子どもたちは 地方へ 集団疎開 することになりました

 

 かあさんは いく晩も 夜なべを して わたしと 弟の たけしが 疎開先へ 

 持って 行く シャツや モンペ 下着 などを 何枚も 縫って くれました

 

 自分の 大切な 着物を ほどき きれいな お手玉も つくって くれました

「さびしい ときの 手なぐさみにね」かあさんは そう言って ほほえみました

 

      *

 

 出発の 朝――


 たけしは 遠足に 行く みたいに はしゃいで います

 けれども わたしは さびしくて 不安で たまりません


 かあさんと はなれる のは 生まれて はじめての ことですし とうさんは

 半年前に 出征しました ひとりぼっちに なる かあさんが 気がかりで……

 

 かあさんは そんな わたしの 目を やさしく のぞきこみ こう言いました

「先生の おっしゃる ことを よく 聞くのよ たけしの ことも お願いね」


 でも わたしは うつむいた まま こくんと うなずくのが やっと でした

 なにか 言ったら うわあっと 泣き出して しまいそう だったんですもの💦

 

 そんな わたしを 黙って 見ていた かあさんは ぽつりと 付け加えました


 ――さびしいときは ひまわりの 花を のぞいて ごらん 

   かあさんは いつだって そこに いるよ 🌻

 

      *


 長いこと 汽車に ゆられ 着いた 駅で バスに のりかえ それから また

 ずいぶん 歩いて 宿に 着いた ときは とっぷりと 日が 暮れていました


 信州でも 北のほうの 山奥に ある 温泉場が

 東京都深川区立第三国民学校の 疎開先 でした

 

 はだか電球に 暗く 照らされた 古だたみの 部屋に 通されると それまで 

 にぎやかだった クラスメートも いっせいに 口を つぐいで しまいました


 汗ばんだ 肌に 山国の 夜気が しんしんと しみ通ります

 障子の 外の 闇に 恐ろしい ものが ひそんで いそうで  

 ひとりが 泣き出すと あちこちで 鼻を すする 音が……

 

 ――おかあさ~ん

    かあちゃ~ん

      かあさ~ん

 

 しまいには 男子まで 泣き出したので 先生方も おろおろ される ばかり

 

      *

 

 あくる日 から 集団生活が はじまりました


 朝は 6時に 起き 庭へ 出て 勇ましい 掛け声を かけながら 手拭いで 乾布摩擦を します 男子は 強い 兵隊さんに なって お国に 尽くす ため 女子は 男子の いない 銃後を 守る ために 丈夫な 身体を つくるのです

 

 質素な 朝食の あと 午前中は 国語 算数 修身 などの 勉強を します

 昼休みには 日あたりのいい 窓辺で 衣類に たかった シラミを とります


 むしめがねの 急降下爆撃を 受けた 敵が ぷっつんと 軽い 音を 立てて

 轟沈 すると わたしたちは いっせいに かちどきの 声を あげる のです

 

 午後は お百姓さんの お手伝いを します

 慣れない 手に カマや クワを 持って お国の ために はたらく のです 

 低学年の 弟も ときに 泣きべそを かきながら なんとか やって います

 

      *

 

 日が 経つ うちに 集団生活に 慣れて きましたが かあさんに 会いたく 

 なるのは 相変わらずで そんなとき わたしは 秘密の 場所に 行きました


 宿の 裏山の だんだん畑に 丈の 高い ひまわりが 1本 立っていました

 かあさんの やさしい 笑顔 みたいに まん丸い 花を 見つめて いるとき

 いっとき だけに せよ さびしさを 忘れる ことが できる のでした 🌻

 

 戦争は いっこうに 終わらず 銃後の 暮らしは きびしく なる ばかりで 

 宿でも カボチャや イモの 薄いお汁 ばかり つづく ように なりました


 子どもたちは みな やせ細り おちくぼんだ 目ばかり ぴかぴか 光らせて

 丈の みじかくなった 衣服から よごれた 手足を つき出して いるのです


 山に 入って 野草や キノコを 採ってくる のも じょうずに なりました

 

      *

 

 ある 秋の 夕方

 夕飯前の 時間を 部屋で ぼんやり していると 6年の女子が やって来て

「ちょっと あなた そこに お米を かくして いる そうね」と 言いました


 上級生の 指が さして いるのは わたしの 手の なかの お手玉 でした

 意味が わからないで いると 6年生は お手玉を 手荒に 引っ張りました

 

 ――サヤ サヤ サヤ

 

 やさしい 音が して やぶれた 布から 白い 米粒が こぼれ 落ちました

 わたしは 夜なべの かあさんが 「大豆とか 小豆だと 手が 痛いから」と 

 大事に していた お米を 入れて くれた ことを やっと 思い出しました

 

      *

 

 昭和20年3月10日 深夜――

 東京大空襲 により 8万人余りの 人たちの 尊い 命が うばわれ ました

 

      *

 

 鳥も 通わない ような 山奥の 温泉に ふたたび 夏が やって 来ました


 裏山の だんだん畑 に 1本の 丈の 高い ひまわりが 咲き始め ました


 さびしく なると わたしは まん丸 笑顔の かあさんに 会いに 行きます

 

      *

 

 8月15日 とつぜん 戦争が 終わりました

 なにがなんだか わからないまま 疎開学童は 地元の みなさん 心尽くしの 

 野菜を おみやげに 満員列車に 乗って なつかしい 東京へ かえりました


 けれど とうさんを 戦地で かあさんを 空襲で 亡くした わたしと 弟の 

 たけしには 帰る 家が ありません 姉弟は 親せきに 引き取られ ました

 

 叔父さんの 家での 暮らしは 疎開の ときより ずっとつらい ものでした

 雑巾がけや 洗濯で 荒れた わたしの手は 従姉妹の お手玉に ふれさせて

 もらえません ひまわりの かあさんにも 会えなく なって しまいました💦

 

      *

 

 大人に なって ひとり立ちし 弟と ふたり暮らしの 末に 結婚したいまも

 四月 信濃の 善光寺……のところに 来ると 手が ふるえて しまうのです

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