第65話 氷海のクロ――シベリア抑留③
別れは とつぜん やって きました
1956年の秋 日ソ共同宣言で 日本人捕虜の 帰国が 決まったのです
ひらおさんたちの 感激ぶりと いったら ひととおり では ありません
万歳を さけび 肩を たたき合って よろこびを 分かち合って います
*
けれど 狂乱の ときが 過ぎ去ると 奇妙な さびしさが のこりました
冬の 極寒期には 零下30度まで 下がる 北辺の 地では ありました
そして 鉄条網で かこまれた 囚われびとの 暮らし では ありました
でも この地には 男たちの 10余年の 歳月が 息づいて いたのです
それに……
ああ クロ!
この 愛する 小さな ものと どうして 離れる ことが できましょう
なにも 知らず いつもの ように 無心に たわむれる クロを 見ると
ひらおさんたちの 胸には あつい ものが こみあげて くる のでした
*
その年も わずか という 12月24日の 早朝
シベリア からの さいごの 引揚者 となった 1,025人の 男たちは
ナホトカ港に 停泊した 帰還船 「興安丸」に 乗りこみました 🚢
――おやじさまは お達者 だろうか
おふくろさまは どうして いらっしゃるだろう
兄弟や 姉妹 幼な馴染みの 友人たちは いかに……
男たちの 心は 早くも 大海原を こえて 日本へ 飛んで います
とそのとき だれかが 大声で 叫びました (=゚ω゚)ノ
「あっ クロだ! あんな ところに クロが いるぞ!」
いっせいに どよめいて 甲板から かなたの 岸壁を ながめやると
あの 愛しい もの クロが そこに 立っている ではありませんか
ハバロフスカ から ナホトカ まで 800キロもの 長い 距離を
小さな クロは どうやって 男たちを 追いかけてきた のでしょう
男たちの 頬を だら~っと あつい ものが すべりおち ました💦
*
――ボーッ。
汽笛が おごそかに 鳴り ひびき ました
ついに 出航の ときが やってきたのです
「さよなら クロ いつまでも 元気で いて くれよ~!」
「ありがとうな おまえの ことは ずっと わすれないよ」
男たちは いっせいに 岸壁に 向けて 手を 振ります
とそのとき するどい 悲鳴が あがりました
――あっ、あぶない!
なんと クロが 氷の海に 飛びこんだのです
「ああ なんて ことだ!」
「もどれ もどるんだ クロ!」
「そのままでは 死んでしまうぞ!」
クロは 4本の 足を つるつる させながら
けんめいに 氷の 海を 追いかけて きます
――パカン
とつぜん 氷が 割れました
――ああっ!
おおっ!
甲板は 千人の 嘆きで 満たされ ました
そのとき 信じられない ことが 起こりました( ゚Д゚)
船の エンジンが すうっと 止まったかと 思うと
若い 船員が 縄梯子を 伝って 海上に おりていき
氷海に 沈みかけて いた クロを 引き揚げたのです
見守って いた 男たちの あいだから どっと 歓声が あがりました
クロは 身体中の 被毛に ついた 氷を ぶるんと ひと払い すると
真っ黒な ひとみを 輝かせて うれしそうに 男たちを 見あげました
「よかった ほんとうに よかった!」
「クロも 日本へ 連れて 帰れるぞ」
「船長さん 船員さん ありがとう!」
男たちは 肩を たたき合って 男泣きに 泣きました
*
クロは 男たちと いっしょに 舞鶴港(京都府)に 帰還 しました
港の 近くの 犬好きの 家庭に 引き取られてゆくのを 見とどけた
男たちは クロに 別れを 告げて それぞれの 故郷へ 帰りました
*
つぎの年 クロは おしゃれを して ひとりの 紳士と 面会 しました
首に 赤い リボンを かざった クロを やさしく 抱いて くれたのは
帰還者たち から 「引揚船の父」と 慕われた 玉有勇船長さん でした
あのとき 玉有船長の 英断が 氷海の クロを 救って くれた のです
*
さらに つぎの年 クロは 赤ちゃんを 産みました 🐕
どの子も この子も おかあさんの クロに そっくりです
そのうちの 1匹は 玉有船長に もらわれて いきました
何年かすると 2代目の クロたちが それぞれ 赤ちゃんを 産みました
3代目の クロたちが 祖母の クロに そっくりの 子どもを 産み……
こうして シベリア 生まれの クロは 日本の クロに なった のです
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