第45話 きのうの先生――墨塗り教科書
正しいことを 教える 立場で ありながら
昭和20年8月15日を さかいにして 正反対を 説かねば ならなくなった
あのときの 情けなさ 申し訳なさは 76年後の いまなお 忘れられません
*
教師 だった 父を 早くに 失った わたしは
女手 ひとつで 育てて くれた 母の ために
中学を 卒業 すると 代用教員に なりました
父ゆずりの 性格が 向いて いた のでしょう
戦争の 暗雲が 立ちこめる なかに あっても
学校での 日々は とても 充実して いました
*
けれど 世界から 日本が 孤立 して いくと
事情が すこしずつ 変わり はじめた のです
一億総動員体制のもと 国民学校の 少国民にも
軍事訓練 勤労奉仕 などの 義務が 課せられ
軍刀を さげた 軍人が 出入り しはじめると
校内の 空気は ぴりぴり とがって きました
さらに 戦況が 悪化して 赤紙の 配達が ひんぱんに なると
つぎは 自分の 番かと 教師も 授業 どころでは ありません
校長に 呼ばれた のは そんな とき でした
「若い きみに 大事な 頼みが あるのだが……」
それは 満蒙開拓青少年義勇軍の 募集 でした
*
校長が あえて 「若い きみに」 と言ったのは
未熟な わたしを 買っての ことでは なかった
戦争が 終わってから 苦い 思いで 知りました
物事の 真理を よく ご存知の 年長の 先生は
「3年間 働けば 20町歩もの 土地を くれる?
そんな タナボチが あって たまる もんか」と
真面目に とりあおう とは しなかった のです
でも そのときは そんなことが わかる はずが ありません
1校に つき 児童何人と 定められている 暗黙の ノルマに
校長先生が 四苦八苦 されるのを 見て いられませんでした
ここで 点数を 稼いでおけばと 母の 顔も ちらつきましたし
なにより お国の ために 働く ことが 誇りでも ありました
それが とんでもない 不幸を 招く など 思いも よらず……
*
とはいえ 人生の 大事 右から左 という わけにはいきません
児童本人が 応募を ためらっている ケース ぎゃくに 家族が
反対 している ケース……ときどきの 状況に 応じ 職員室に
呼んだり 夜討ち 朝駆けで 家庭を 訪問 したり…… いいえ
正しい ことを すすめる のです から 堂々たる ものでした
*
説得に 応じた 児童らを 内原訓練所に 送りこんで まもなく
わたしにも 赤紙が とどいたので 南の 島へ 出征 しました
ですから 渡満して からの 子どもたちの ことは 知りません
戦地の 最前線で 自分の 身を 守るのに 精いっぱい でした
敗戦時 ソ連国境の 辺境の 地に 関東軍に 置き去りに され
生き地獄の 辛酸を なめた ことは 復員してから 知りました
*
ええ そうです 戦後 わたしは ふたたび 教壇に 立ちました
しぶる 教え子を 満洲に 送った その 張本人で ありながら
自分は のほほんと 生き延び それまでの 愛国主義と 真逆の
民主主義を 説く 非難を 老母の ため 甘んじて 受けました
追いかける ように GHQ(進駐軍) から 命令が ありました
紙不足 のため 戦前版を 使用 していた 教科書の 不適切な
記述の 部分に 「墨を 塗らせよ」 と いうのです(/・ω・)/
物を たいせつに することを 教えこまれて きた 子どもたち
ことに 教科書は 兄姉から 弟妹へ 大事に 使う ものなのに
太い筆で 乱暴に 見苦しく 塗りつぶして しまえ とは……
どこに 墨を 塗らせるか まで こまかく 指示が ありました
たとえば 地理 国史 修身の 教科書の うち 他国への 侵略
また 軍用機 軍艦 などに 関する 表現は 言うに およばず
「因幡の白うさぎ」「桃太郎」 など 神話や 昔話に 至るまで
戦争と その要因を 思い起こさせる ものは ことごとく……
*
こんな ことで 教師が 尊敬 される はずが ありません
子どもたちは あらしの 沖合で 針路を 見失った のです
荒んだ 教育界が 落ち着く までに 何年も かかりました
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