第34話 まねき猫――丁稚の遺言




 いらっしゃい

 わが 信濃庵へ ようこそ

 当店は セルフサービス ですから

 お好きな お茶を ご自由に どうぞ

 

      *

 

 あっし ですかい?

 ええ ええ ごらんの とおり

 古い まねき猫で ござんすよ

 

 この 蕎麦屋へ もらわれて きたのは

 かれこれ 70年 あまり 前の こと

 そんな 化け猫を 見る みたいに……

 

 いまじゃ こんなに くすんじまって いやすけど

 むかしは そりゃあ あんた エエ 猫ぶりでして

 いまふうに 言えば そう イケメン ですかにゃ

 

      *

 

 ええっとお なんの おはなし でした かいね

 そうそう 戦時中の いっとき この店に いた

 かわいらしい 丁稚小僧さんの ことでしたにゃ

  

 すえきち っていう なまえ でしたよ たしか

 ここから 2里 ばかり おくまった 村から 来た 丁稚さん でにゃ

 小柄で かわいらしくて あっしは ひと目で 気に入った ですんにゃ


 素直で あかるくて ひとの わる口も 言わない エエ子 でしたから

 親方も おかみさんも じつの わが子の ように 大事に なさってな


 先輩の 小僧さんたちの 妬みを 買い かげで 意地悪 されておった

 けれども すえきちさんは いじめられても うらまず 根にも もたず

 かえって 先輩の 困っている ところを 助けて やったりした ので

 いつしか しぜんに 仲よく なって おったと いう わけ ですにゃ

 

      *

 

 そのうち 戦局が ひどく なり

 信濃庵の 小僧さん たち にも

 赤紙が とどく ように なった

 

 そして 最年少の すえきちさんにも ついに 召集令状が きた とき

 親方と おかみさんに そりゃあ 立派な あいさつを したんですにゃ

「もしも 生きて もどれたら こんどは お店に 尽くさせて ください」

 子どもの いない 夫婦は すえきちさんを 跡取りと 決めたんだにゃ

 

      *

 

 だが ふたりの 願いが かなう ことは なかったんだにゃ

 すえきちさんは 遠い 戦地で 戦死して しまったんだにゃ

 

 老夫婦を 立ち直らせたのは すえきちさんの のこした ことば だったんにゃ

「常連さんに とって 信濃庵は よりどころ 自分は それを 守り ぬきたい」

 

      *

 

 いや あっしは 本気で そう 信じて おるのじゃが 

 空に のぼった すえきちさんの 采配か そのうちに

 店を 継いで くれる 人が あらわれて くれてにゃ 

 いまの 主人は 3代目 お店は 繁盛して おるにゃ


 え あっし ですかい?

 かなわなかった すえきちさんの 思いの ぶん まで 

 それこそ 生涯現役で がんばる 覚悟 です にゃあ

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