第30話 希望の朝――ラジオ体操




 新しい 朝が 来た 希望の 朝だ

 喜びに 胸を 開け 大空 あおげ

 ラジオの 声に 健やかな 胸を

 この 香る 風に 開けよ 🍃🐥

 それ 一 二 三 🌄♬💃(*''ω''*)

 

      *

 

 夏休み といえば ラジオ体操 ですね

 学校が ながい おやすみの あいだも

 早寝 早起きの 規則 正しい 暮らし

 これ よい子の 基本 ですよね~(^.^)

 

 ところで この ラジオ体操 戦争と ふかい

 かかわりが ある ことを 知っていますか?

 

      *

 

 日本で はじめて ラジオ体操が 行われたのは 昭和3年 のことで

 アメリカの 体操に 倣っての スタートだったと 言われて います

 

 それから 3年後の 昭和6年7月 「ラジオ体操の歌」 が発表され

 2か月後 太平洋戦争の 発端と なった 満州事変が 起こりました

 2年後に 日本は 国連を 脱退し 4年後 日中戦争が 勃発します

 

 その翌年の 昭和13年 「国家総動員法」が 発令 されるのですが

 同時に 国民の 目を 戦争に 向けさせるため 「集団的精神の培養」

 ならびに 「みそぎ」 のためとして 活用されたのが ラジオ体操 でした

 

 戦時下の ラジオ体操は 全国の各地域で 積極的に 実施されました

 とりわけ 「それ 一 二 三」 という 掛け声が 有無を言わさぬ 

 一致団結を 強いる 人たちに とって 格好の 歌詞 だったのです

 

      *

 

 男の 人たちが 出征して 女性や 子ども 老人 病人 だけになった

 銃後の まちや 村でも 義務 として ラジオ体操が 奨励されました


 戦争末期 学童疎開した 子どもたちは お寺や 旅館の 庭で うたい

 国策で 満洲へ 行った 人たちは 異国の 大地で 体操を しました

 

      *


 戦争が 負けて 終わると 敗戦国 日本へ 戦勝国の 陽気な 将兵が 

 ジープを 駆って 乗りこんで 来ました 「ギブミーチョコレート」と 

 群がる 子どもたちを だまって 見ている しかない 大人たち……


 戦後 復興を 担う GHQ(連合国最高司令官総司令部)は かつての

 軍国主義に 加担した ラジオ体操の 全面禁止も 考えた ようですが

 新しい民主主義に 馴染むよう かたちを 変えての 継続となりました


      *

 

 76年後の 今日も つづいている ラジオ体操の 秘められた 歴史は

 いかがでしたか 当たり前に なっている 隣組や 回覧板も 同じです

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