第27話 おしろい花――母の無念




 や~ばなんちの おしろいばな

 おしろい ぬって べにひいて

 ながい たもとで しなしなと

 

       *

 

 ――これ ウタエ なにしてるんや?!(*ノωノ)

   お盆の トンボは とっちゃあ あかんやろ

   このトンボはな おまえの おじちゃんやで

   だけん あげん やさしか 目ぇしてるんや

 

 ばあちゃんに よく そう言われました

 なのに わたしは かわいげのない子で

 くやしまぎれの にくまれ口 ほうだい

 

 ――へんだ また そげなこと 言うて からに

   このトンボの どこが おじちゃん やねん

   ばあちゃん すこし おかしいんとちゃうか

  

      *

 

 あれは たしか 小学校に あがった年の 夏休みの ことだったと 思います

 近くの 川で 水浴びをして かえってみると ばあちゃんが 泣いていました

 

 ――おまえたち ようも そんな……。

 

 白髪の ひっつめが ぶるぶる ふるえ 痩せた 肩が ひくひく しています

 ばあちゃんが しっかり 抱えているのは 戦争に行った おじちゃんの 写真

 子どもの 目にも 凛々しい 軍服すがた 涼しげな まなざしの 好青年です

 

 ――いまさら かえられても 困る だなんて

   お国のために 尽くしたのに ようも……

 

 吼えながら 身もだえする ばあちゃんは 年老いた 1匹の オオカミでした

 とうちゃん かあちゃんは 揃って ばつの わるそうな 顔を 並べています

  うなじに 堅い ものを にじませた 黒い 影を 畳に 落として います

 

     *

 

 あの 暑い 夏の日の 午後の なぞが とけたのは 中学へ すすんでから

 当時 戦死した とばかり 思っていた 兵隊が ひょっこり かえってきて

 幽霊でも 見るように 出迎えた 家族は よろこんだり とまどったり……

 そんな 残酷な 光景が あちこちの 家で くりひろげられて いたのです

 

 放課後の 図書館の 常連に なっていた わたしは あの夏の 日の 午後 

 凍りついた ような 座敷の すみで すやすや 寝息を 立てていた 弟の

 ハルオと 写真だけの おじさんの 微妙な 関係にも 気づいて いました 

 なればこそ ばあちゃんは 身をよじって 叫ばずに いられなかったのです

 

 ――言うておくがな あの子は ほんに 親孝行な 息子じゃったよ

   イチロウよ たしかに おまえは ほんまに 不憫 じゃったさ

   生まれついての 腺病質のため 丙種合格 だったんじゃからな

    

   だがな わしとて そのことで どれほど 肩身が 狭かったか

   そのわしを 志願兵に なった あの子が 救ってくれたんじゃ

   あの子は おまえの 身代わりとして 出征して くれたんじゃ

   なのに おまえたちと きたら……ああ むごい むごい……

 

      *

 

 その ばあちゃんが おさない わたしに ぽつり ぽつりと 話して くれたことを 76年後の いまになって しみじみと なつかしく 思い出すのです

 

 ――ばあちゃんの かあちゃんはな きれいな べべを着て 働いておった

   夏に なると 路地の おくの 小さな 庭に おしろい花が 咲いた

   ばあちゃんは 近所の わんぱくぼうずどもに 囃し立てられたものさ

 

   や~ばなんちの おしろいばな

   おしろい ぬって べにひいて

   ながい たもとで しなしなと

 

 母に ならい 自分も 芸者さんに なった ばあちゃんは お座敷で 大店の ご主人に 見そめられました そして ふたりの おとこの子を 産んだのです

 

 けれども お店の 経営が うまく いかなくなった ご主人は ばあちゃんに だまって どこかへ 行って しまいました 捨てられたと わかった 瞬間に

 ばあちゃんは ひとりで 子どもたちを 育てる 決意を かためた のでした

 

      *

 

 真夏の 仏壇の まえで 長男夫婦を なじった あとの ばあちゃんは 呆れるほど がんこで 意固地でいながら ときには きゅうに おもねてみたり……

 

 戦死した 次男を いつまでも 忘れられずにいる 自分と そんな 自分に 

 ひややかな 家族との 折り合いを なんとか つけたかったのでしょう……

 

      *

 

 わたしは いま あの夏の ばあちゃんを はるかに 超える歳に なりました

 昨今は あまり トンボを 見かけなく なりましたが 棒の 先に 止まった

 トンボの 目玉を やさしく 見ていた 横顔が なつかしく 思い出されます

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る