第19話 洞くつの女神――強制労働
ひとがひとに、有無を言わさず過酷な労働を強いる。
しかも、ある日、とつぜん、他国へ連れ去って……。
そんな神をも畏れぬ蛮行が、いまから70年余り前、
じっさいにおこなわれていたのですよ、この日本で。
*
わたしの祖父は、明治政府の勧めでメキシコへわたった初期移民団員でした。
それから半世紀後に行われた満洲開拓団と同じく、聞くと見るでは大ちがい。
猛暑とスコール、マラリア、毒蛇、毒蜘蛛などの危険が待ち受けるジャングルに呆然と立ち尽くし、「こんなところで珈琲栽培を?」嘆いてもあとの祭りでした。
母国に騙された海外移民の事はじめ、それがわたしの祖父の世代だったのです。
*
あまりにひどい環境から逃げ出す人たちが続出しました。残った数名で助け合いながら、どうにかこうにか
少しでも条件のいい仕事や住環境を求め、陸つづきの北南米諸国に移住する移民があとを絶たないなか、現地のインディオのむすめと恋をした祖父は、移民二世となった息子の母国であるメキシコに、どこまでもこだわろうとしつづけました。
*
1910年(日本の明治43年)、とつぜんメキシコ革命が始まりました。
日本の歴史に当てはめれば、戦国時代のように群雄が割拠する動乱の時代。
たび重なる内戦は日本人移民にも無縁ではいられませんでした。文字どおり血と汗の結晶である農園や商店などの財産を奪われた1,000人の日本人移民のため、信州出身の外交官が革命軍に交渉したり、綿花摘みの仕事を探したりしてくれました。
1917年、血で血を洗う革命がようやく終幕を迎えるころ、移民二世のわたしの父はアジアへ渡る決意をしました。といっても、父が選んだのは祖父のふるさと日本ではなく、朝鮮半島。お腹の大きい妻を連れての、新天地への移住でした。
そのころ、朝鮮半島は韓国併合条約にもとづいて日本の統治下にありました。
いっぽう、世界は新たな戦争に向けて、まっしぐらにつき進んでいたのです。
*
ある夏の日――。
オモニに頼まれてまちへ買い物に出かけたわたしは、土埃とともに疾走して来たトラックの日本兵たちによって拉致され、幌で覆った荷台に押しこめられました。
目隠しをされ、なにがなんだかわからないまま、貨物船で連行されたのは日本。
再びトラックに乗せられて降り立った場所は、周囲を深い山に囲まれたところ。
同じようにして朝鮮半島から強制連行されて来た数十人は、ここで「ミナカミ」という名前の山に
堅い岩盤に器械で穴を開け、ダイナマイトで爆破し、砕けた
トンネル内の長時間労働は、のどや気管支、肺、目などを著しく傷つけました。
まるで最初からそう定められていたかのように、身体の丈夫でないひとから順に作業中に倒れてそのままだったり、足を踏み外して大怪我を負ったりしました。
*
そんなある日、ついに大きな落盤事故が起きてしまいました。
この世の終わりかと思われるような凄まじい爆音とともに、十数人の仲間の身体が天井や岩盤に叩きつけられました。準備よく用意されていた棺に納められた遺骸は手早く運び出され、わたしたち仲間にはお別れの時間も与えられませんでした。
凄惨な事故を目の前で目撃したわたしは、ひそかに隠し持っていたグァダルーペの聖母のペンダントに祈りを捧げました。敬虔な信者だったメキシコ・インディオの祖母の信仰に、朝鮮半島で待つ家族の安全と、自分自身の無事を託したのです。
「マイヅル」という山で「ゴザショ」と呼ばれる場所の工事をしていた仲間50人の行方が知れないそうです。いつなにが起きてもおかしくないわが身でした。
コーリャンの主食ばかりで、副食はほとんどないに等しい粗末な食事。
かろうじて屋根があるだけ、雨風や雪が容赦なく吹きこんで来る飯場。
連行されたときの夏服のまま極寒の冬を過ごさねばならなかったこと。
けれども、もっとも辛かったのは、町へ買い物に行ったきり帰って来ない息子の行方をけんめいに探している両親の、深い悲しみのことでした。(ノД`)・゜・。
*
1945年8月15日、長かった戦争がようやく終わりました。
わたしたちの地下壕工事は7割方のところで打ちきられました。
日本各地にひそかに掘られた地下坑道の総延長は約10.4キロ。
かかった費用は2億円(当然ながら人件費を除く(`・ω・´))。
日本国内や朝鮮半島から動員された作業人員は延べ300万人。
詳しい事実を知ったのは、戦後もだいぶ経ってからのことです。
*
権力者が表舞台から消え去るとき、都合のわるい資料は、いち早く消却する。
それは歴史の常識とされているようですが、人間の記憶や痛みは消せません。
――証拠になる資料がない。
ゆえに、事実ではない。
自由になってから日本へ家族を呼び寄せ、人並みの暮らしを送れるようになったわたしは、平気で詭弁を弄するリーダーを、冷たい蔑みと憐みの目で見ています。
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