そして、足立区は滅亡した

酒匂右近

第1話

 照りつける太陽の下。

 十代半ば、制服の女子が鼻歌まじりに瓦礫の中を歩いている。

 ボブカットと髪をおだんごにまとめた女子がふたり。

 コンバットブーツで悪路をものともせず踏みしめ進む。

 ゴーグルで目を保護するのは砂塵のためか、日光のためか。

 朽ちた街を目指してスカートの裾を翻して進んでいく。


「むかしむかし、ここは足立区って名前だったんだって」

 ボブカットが口を開いた。


「百年前の東京都23区ってやつ? おとぎ話じゃなくて?

 ここに人間住めてたの? 木とか草とかで登山靴ないとやばいのに」

 おだんご頭があきれている。


「歩いた感触でわかるでしょ。下のほうは瓦礫。だいたい固いからコンクリート製のだろうね。中心部にでっかいクレーター見えるし、グラウンドゼロはアレ」

 

 ボブカットが遠くを指さす。

 隕石が落ちたようなクレーター状の穴。それは爆心地だった。

 その周辺、かろうじてその形を残しているのは川だろうか。

 低地に堀状のくぼみ。今は干上がってひび割れた土壌をさらしている。

 「あ かわ」と一部がかすれて読めない朽ちた看板。

 そしてくの字に折れたコンクリートの残骸がかつて橋があったことを伝えている。


「空爆とミサイルって感じかな……」


「やっば。今更だけど言っていい? あたしら防護服着てないんだけどやばくない? ゴーグルとマスク程度でしのげる?」

 おだんご頭がモバイルでエアの成分を確認している。


「違う違う。核は使ってないよ。今は粉塵のほうがやばい。なんか【禁足事項】ってこと言ったお偉いさんが一度核弾頭の的になったんだけど。核シェルターの中で襲撃されてカメラに向かって謝罪してギリギリ収まったんだって」


「……あのさ禁句事項ってしか聞こえなかったんだけど。なんかしゃべってるのは口の形でわかるんだけど、音が耳から聞こえない。すっげー気持ち悪い、何コレ?」

 おだんごがゴーグルを外して耳をマッサージしている。

 周囲の鳥の鳴き声は聞こえているという。一時的な聴覚エラーでもない。


「あーごめん。センシティブ発言だから理解できないように脳にロックかかってんだよ」

「うっそだろ!? まだ旧東京の洗脳残ってんのかよ……なんであんたは平気なんだ!?」

 頭を振っておだんごが左右に揺れている。


「アタシは首都から遠い地方出身だから。前時代的すぎてそこらへんアプデなかったからね。あんたのソレはDNA仕込みの洗脳術らしいから数世代経ても残るもんだね」

 ボブカットの視線がゴーグルごしでもわかる。おだんごがまゆを寄せた。

「面白そうな実験動物見る目向けんな。

採取すんのは在来種だけだろ。金持ちが遺伝子組み換えしてない自然由来の~つって金になるからこんな廃墟まで来てんだからさ。あたしまで研究目的でこっち見んな」


「ごめんごめん。生きるのと研究には先立つものがないとね。世知辛いわー。この時代でも野犬化した柴犬が生きてるから、オオカミに近い日本古来種ってことでありがたられてアタシは万々歳だけど」


 しゃがんで靴ひもを結びなおしていたと最初は思った。

 いつのまにかボブカットは茶色と黒色と白色の猫を撫でていた。

 迷彩色になっているのによく見つけたものだ。

 地元の人間も見つけるのは難しいのに。

 おだんご頭はまじまじとボブカットを見た。

 いつのまにかゴーグルとマスクを下して満面の笑みを浮かべている。

 声の印象のわりにだいぶ幼い顔だった。


「たくましいな」

「うん、生きとし生けるものはみんなたくましくてナンボよ」

 にかっと力強く笑って見せた。


「猫さんや~お前さんの友達いたら教えてちょうだいな~あいた!」

 抱っこしてほおずりして猫パンチを顔に食らった。

 初対面で馴れ馴れしすぎたようだ。


 いや、そういう意味じゃないんだけど。

 あんたのことを言ったつもりだったんだけど。

 おだんごは言葉を飲み込んで別の話題に移ることにした。


「生物研究者のガイドやって金もらえるあたしもハッピーってことだな。つーかさ。洗脳仕込んだりそんな独裁くせぇことやってたんなら滅ぶの当然だろ? さっきの政治屋何言ったの?」

 猫さんばーばーい。

 ボブカットは猫をおろした。名残惜しそうに手を振りながら歩きだす。


 そうだねー多分あのセリフは聞こえないから要約すんね、と前置きして。

「LGBTに暴言発言やって人権侵害やらかしたおっさんが炎上したってハナシ」


「マジでか」

 嫌そうに顔をしかめた。


「あそこ、いわゆる中流家庭とかには都合の悪いこと聞こえないように偏向教育してたからね。上級国民様とはお育ちが違うっていうやつね。

……まぁ生まれ育った場所の習慣ってのは一種呪いみたいなもんやからね。閉鎖した環境やったら育ち方を選べる子供は少ないからなぁ。今を生きるあんたらには関係ないことやのにね。歴史研究者にはごめんやけどなー。今は負の遺産の毒抜きしてるって思えばいいんじゃない?」


「なるほど。今あんたに関西のイントネーション出たみたいにか」

「あ、出てた?」

「クチ押さえても出た言葉はもどらないからな」

「うへぇ」

 この世の終わりみたいに肩を落としている。


「別に隠すことないだろ? 関西弁って個性なんだろ?」

「今時は標準語しゃべる方が多数派なんだよ。絶滅危惧種扱いされる。関西弁しゃべってたら「すごい! なんか面白いこと言って!」ってクソみたいな無茶ぶりする輩がダース単位で出るからマジ嫌」


「ド低音で言うレベル……!」

 おだんごが今まで聞いた声で一番低い。

「関西出身だってこと伏せとかないとノリ違う関東じゃやってけないからね。これも一種の処世術かな」


「ふーん。あたし、あんたの関西弁面白いし、もっと聞いてたいと思うけどな」

「ほーん? 人気ガイドは言うこと違いますなぁ?」

 にやけた声でおだんごをからかう。


「違っ! 口説いてるとかそんなんじゃ!! 童顔でかわいいけど声は年上っぽくてイイなって思うだけで!」


「うーん。あんたがガイドの中で人気ある理由わかった気がする」




 +++


 さて。

 なんで足立区が滅んだか。

 謝罪で済めば戦争はいらない。


 同性間の恋愛を認めない。婚姻制度を認めない。

 そんな思想を持つ人間を許しておけないって弾圧が起きてしまったから。

 認める側と認めない側で、どちらかを滅ぼすまで行くしかなかった結果だ。


 お偉いさんの謝罪で形として一度収束はした。

 けれど暴徒が止まることはなく、それまで蓄積したうっぷんを晴らすように壊しつくした。


 足立区そのものの存在を許さない。

 そんなウィルスが巻かれたみたいに。

 日本だけでなく世界が等しくそのウィルスに席巻されたように。


 足立区を構成するものは、過去構成していたものは壊しつくされた。


 きっかけとしては些細なものだったろう。

 政治屋たちはそんな風に責任逃れをした。

 だが火種は長く存在し、自ら決定的な引き金を引き、なるべくしてなった結果だ。

 他者を蔑んだ人間は淘汰された。


 その結果がこの景色だ。

 足立区程度の滅亡で済んだのが幸いだった。

 この世界では足立区はその名前をはじめ、人間の記憶から完全に消え去った。


 祇園精舎の鐘の声。

 諸行無常の響きあり。

 奢れるものは久しからず。

 ただ雨の前の塵に同じ。


 ……だったっけ?

 なんか間違えてる気がする。大昔古文の授業で聞いたやつ。


 とにかく栄枯必衰があるのみだ。


 滅んだあとは変わらない。

 名前を変えて別のいきものが生きていくだけだ。



 +++



 柴犬は無事捕獲できた。

 バックパック型ケージを背負って来た道を戻る。


 おだんご頭の言い訳、という名のボブカットへの無意識の告白を聞きながら。

 廃墟から人の息遣いがする場所を目指す。

 ボブカットはふと足元を見る。三色毛色の猫が歩み寄ってきた。


 お友達はいなかった。残念に思いながらしゃがんでモフった。

 おだんご頭は足を止めたことに気付かず先に歩いていく。

 後で追いつけばいいか。

 ボブカットは猫との時間を優先することにした。


「きみ、昔は三毛猫って種類名あったんだけど、今は猫って全部いっしょくたになっちゃったね」

 ボブカットは嘆息した。

 知識を受け継ぐものがいないまま世代交代が起きた。呼称はたやすく断絶する。

 そんなものを何度見てきたかわからない。


「ひとが名前や生き方を変えたように、猫も生き方を変えたからね」

「そうだね」

 猫がしゃべっても今さら驚きはしない。

 かつて猫と呼ばれた同じ形の生き物は、形こそ同じでも中身は大きく異なる。

 それは人間でも同じだ。

 ボブカットはそう思う。


「きみもグラウンドゼロから生きているのかい?」

「そうだよ。姿が変わらないまま長生きなんてするもんじゃないね」

 三毛猫の言葉に肩をすくめた。

 言葉通りなら、この猫は少なくとも百年は生きている。 

「同感だよ。あの騒ぎで細胞が変わって以降百年。友達はみんないなくなってしまったからね」

「あーごめんね。友達連れてきてってお願いしたらそりゃ顔パンチするわ」

「いいさ。それに今は君が友達になってくれるだろう?」

「まぁね、友達っていうか相棒って感じになるかもよ」

 ボブカットは三毛猫を抱き上げた。


「旅は道連れ世は情けって言うじゃない? それもいいんじゃないかな」

「懐かしい言葉だね……」

 三毛猫はボブカットの体にもたれかかり目を閉じた。

 かつて一緒にいた人間が言ったのかもしれない。


 ボブカットはおだんごを探すことにした。一応ガイドだし。

 ほどなく涙目のおだんごと合流した。

「なんだよ置いてくなよ! ちょっと顔がいいからって話無視すんなよな! あたしにも構えよ! さみしいと甘えたくなるのは猫だけじゃないんだからな! ちっちゃいのに力強いその手でなでなでしろよ!」


「話聞いてた聞いてた。途中までだけど。アタシもあんたのことわりと好きだよ、うん」


「…………そんな雑な返事は求めてない!」

 でも感じ入ったように押し黙っている。

 赤面しながら体中で喜んでいる。

 おだんごはわんこ系っぽい。

 三毛猫が鼻を鳴らした。


「面白いにんげんだね」

「でしょう? にんげんは面白いんだよ」

 

 ひとはひとらしく。ねこはねこらしく。

 情に従い、条に従い、場に従い、状に従い。

 生きていくのが道理なのではないのかな。


 この青い空の下。

 形を変えたいきものと変わらないいきもの。

 いくら時を経ようが、変わらずいきものは生きていく。

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そして、足立区は滅亡した 酒匂右近 @sakou763

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