(3)
峰岡母から刺された釘によって胸を痛めてしまったので、いったん落ち着くために部屋に峰岡を残してキッチンに行った。氷を入れた水差しにお茶を入れて持って帰ってくると、峰岡は俺の本棚をしげしげと眺めていた。お茶をちゃぶ台の上に置くと、氷があたってカランカランと可愛らしい音がした。
「お茶、飲む?」
「あ、はい、喉乾いてたので、嬉しいです。いただきます」
コップに入れて渡すと、峰岡はそれを美味しそうにすすった。
「活字の本は少ないから、峰岡が特別興味の持てるものはないだろ」
「いえ、そんなことないですよ。人の本棚って、その人が普段口にしない趣味が現れますよね」
「そう言われたら恥ずかしくなってきた」
特に人に見せて恥ずかしいものはないと思っていたが、たしかに俺の趣味が丸出しと言えばそのとおりで、なんだか恥ずかしくなってきた。小説はめったに読まないので、ネットなんかでおすすめを見て図書館で借りて読んで、面白くて読み返そうと思ったものしか買わない。漫画は、姉貴が集めたもののお下がりも混じっているのだが、今流行りの漫画を追いかけるのはなんだか負けたような気がするので、少し古く、大ヒット作品とまでは言えないが、マイナーすぎるとも言えないような微妙な位置の作品ばかり集めている。
「小説は、ミステリーが多いのと、森絵都さんが好きなんですね」
「あ、わかるか」
「はい。私は『カラフル』と『アーモンド入りチョコレートのワルツ』が好きです」
「俺も『カラフル』が一番好きだな」
「ちょっとミステリー的な話ですしね。私も一番はと聞かれたら『カラフル』かも。でも『アーモンド』も好きです」
「峰岡も女の子だな」
そう言ったら峰岡はまた顔を赤らめた。思わぬところで峰岡と趣味が重なってしまった。
「ところで、ゲームをやりにきたんだよな」
「あ、はい。PS4、でしたよね。どんなゲームがあるんですか」
「FPSだろ、オープンワールドのアクション、ホラーだろ、あとサッカーゲーム……」
「エフピーエス? オープンワールド? ごめんなさい、ゲーム関連の専門用語には疎くて」
「専門用語ってほどでもないけどな」
うっかりしていた。峰岡は「PS4」という言葉すら知らない、純粋培養のお嬢様だったんだ。
「そうだな。苦手、というかこういうのは見たくない、っていうのはあるか」
「うーん……グロテスクなやつとか、ホラーとかはちょっと苦手です」
「ならホラーゲームは当然ダメだな。FPSとかオープンワールドのアクションも人を殺しまくるゲームで、血が飛び散るリアルなエフェクトが結構あるから良くないな」
「ごめんなさい。ゲームってそんな怖いものなんですね」
「ホラー系の小説とかは読まないの」
「活字なら大丈夫なんですよ。ただ映画とか視覚的情報が伴うとダメで……以前、お父さんに『教養だから』と言われて、ヒッチコックの鳥とアンダルシアの犬を見せられて、トラウマになって――その後めちゃくちゃお母さんがお父さんを怒ってました」
そう言って峰岡は苦笑いを浮かべたのだが、俺はこの時「ヒッチコックの鳥」と「アンダルシアの犬」とやらが何かわからなかったので、曖昧に笑うしかなかった。この言葉を覚えておいて後ほどネットで調べてみたのだが、「あっ(察し)」となった。峰岡父、英才教育がすぎるぞ。
「うーん、それだとサッカーのゲームしかない」
「面白いんですか」
「面白いぞ。でも俺はしばらくサッカーに関わりたいと思えない」
俺は冗談めかしてそういったのだが、峰岡は本気にしたみたいで心配そうな顔でこちらを見たので、「冗談だ」と言って片手を振った。確かに、最近サッカー部が関わる嫌な事件に関わっていたので、嫌なことを思い出さないためにこのゲームを避けていたが、このゲーム自体が嫌いになったわけではない。ただ今日はこのゲームをやる気分ではない。そこで俺はふと良いアイデアを思いついた。
「そうだ、レトロゲームなんだけど、ぜひ峰岡にやってみてほしいゲームがある」
「レトロゲーム? 古いゲームってことですか?」
「そう。ファミリーコンピュータ、略してファミコンっていう、1980年代の日本で流行したゲーム機があって、うちの父親が結構な量のソフトを持ってたんだ。今でもプレイできるように互換機も買ってあるんだよ」
父親の持ち物だったが邪魔だからこの部屋にしまっておいてと頼まれて、俺の部屋で保管していた。俺はクローゼットを開けて、天袋から埃を被ったファミコン関係のものをまとめたカゴを出した。俺は互換機をHDMIで液晶テレビに繋ぐ準備をしながら、カゴの中に入っていたいくつかのソフトの中から一つ取り出して峰岡に渡した。峰岡はタイトルを読み上げた。
「『ポートピア連続殺人事件?』」
「プレイヤーが、刑事になって殺人事件の真相を突き止めるっていうゲームだ。アドベンチャーゲームっていうジャンルの最初期の作品で、画面に表示される選択肢を選びながら、話を進めていくんだ」
「面白そうですね……でも殺人事件なんですか……」
「ああ。だけど、昔のゲームだからグラフィックがしょぼくて、人の死体みたいなイラストは出てくるけど、小学生が描いたイラストみたいな感じだから、グロくはないと思う」
「それだったら大丈夫かもしれないですね」
そう言いながらも峰岡は、恐る恐るという感じでカセットを俺に返してきた。それを受け取って、互換機に差し込んで起動する。オープニングのサイレンのような音が流れ、峰岡はそれにビクッとした。
「初っ端から結構怖くないですか」
「音楽は流れなくてチープな効果音だけしか流れないんだけど、それが不気味なんだよな」
「古いゲームだからこその雰囲気があるんですね……」
それから俺は基本的な操作方法を峰岡に教えた。十字キーで選択肢の移動。Bボタンでメニューの切り替え、Aボタンで選択だ。
峰岡は何度も操作方法を聞きながら、たどたどしい手付きでコントローラーを操作していた。その様子を見て、なんとも微笑ましい気持ちになってしまった。俺も小学生の時にこのゲームを父親に勧められてプレイして、オープニングの音にびっくりしたり、操作方法がわからず何度も聞いたりしながら進めた。父親もきっとこんな気持ちだったに違いない。
今のゲームと違って昔のゲームにはチュートリアルなんて親切なものはなく、その代わりになるはずだった説明書も父親が失くしていた。だから俺は、しばらく峰岡の側について、一緒にプレイして操作方法を指南した。最速クリアを目標に何度かプレイしたことがあるので、操作法も攻略法もきちんと覚えていた。
とりあえず、最初の難関である被害者の家の調査だけ手伝うことにした。部屋の内部の様子を示すイラストを見て調査すべき場所を当てるのだが、当たり判定がやや厳しいので、下手するとここで詰んでしまうんだよな。指輪と写真と金庫の鍵をゲットしたところで、俺のお腹からみっともない音がした。峰岡にも聞こえてしまったようで、ちょっと笑われてしまった。
「お腹、すいてるんですか」
「あ、ああ。12時頃、食欲が出なくて、何も食わずにいたんだけど、腹が空いてきたな」
「それは良くないですね。暑いと食欲がなくなりますが、だからといって食べないと夏バテになりますよ。私のことは気にせず何か食べたりして下さい」
「じゃあ、そうさせてもらうか。悪いけど1人でプレイしておいてくれるか」
「はい。あ、できたら何かメモ用の紙とペンが欲しいです。メモ取りながらのほうが考えが進むので」
俺は登校用に使っているリュックからルーズリーフの入ったビニール袋と筆箱を出し、ルーズリーフ数枚とボールペンを渡した。そういや峰岡と初めて出会った時に見つけてもらったのがこの筆箱だったな。あの時、こいつとこうやって家で遊ぶまでの仲になるなんて思ってなかった。だが峰岡は、俺がそんな感傷に浸っていることなど気にも止めず、真剣な目で画面に映し出された文字を読んでいた。
俺は自室を出て、キッチンに行き、何か食べるものがないかを探した。カップ麺があれば楽だったのだが、袋に入った即席麺しか無かったので、とりあえずこれで済ますことにした。「港町 神戸ラーメン」とかいう見たこともない即席麺だ。どこで売ってるんだこんなの。神戸が舞台のゲームをやってるからタイミング的に丁度だとも言えるな。
片手鍋にお湯を沸かし、冷蔵庫に残っていた萎びたキャベツを適当にちぎってその中にぶち込みながら、『ポートピア連続殺人事件』のストーリーを思い出してみた。
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