26 私だってキレる時はキレるんです

 私が壁際まで行くと、会場で立ち働く女性の一人がすぐに寄ってきて、私をお手洗いまで案内してくれた。


「災難でらっしゃいましたね、我々も本当はあの方にはあまり来てほしくないのですが」


 会場に声が聞こえなくなると、案内の女性が苦笑いしながら小声でそう言ってくれる。


「仕方ありませんわ。いらしてしまったお客様を追い出すわけにも行きませんものね」


 彼女に案内され、見張りの兵士らしき方がいる回廊の横のお手洗いを借りる。


 お手洗いを済ませて通路に出ると、案内してくれた女性も、さっきまで中庭に面した回廊を警備してた兵士も、どちらも見当たらない。


 二人して休憩にでも入っちゃったのかな?


 不審に思いつつもそのまま屋敷の通路を戻ろうとすると、回廊に面した一部屋から本日二番目に会いたくなかった人物が現れた。


「フレイヤ殿。私の女神! 今日はまたなんとお美しい」


 今日のソリス第二皇太子殿下は真っ白い上等なキトンに自身の瞳の色のような濃青色のトーガを肩掛けのように巻き、細い金冠を頭上に頂いてる。その姿は正に神話に出てくる美しい男神のようだが、今の私には疫病神にしか見えない。

 とはいえ、情報収集を目的に来てるのだから、ただ逃げ出してしまうわけにもいかないのよね。


「ソリス殿下ごきげんよう」


 私はさっきの見張りの兵士さんを目で探しながら短く挨拶を返した。途端、パッと顔を綻ばせ、両手をあげてソリス殿下がこちらに向かってくる。


「ああ、なんとつれない。私がお誘いした狩にも茶会にも出席せずにこのようなちっぽけなパーティーには足をお運びになるなんて」


 嘆くふりをしながら私に歩み寄ってくるスピードが凄すぎてつい、あとずさってしまう。


「ほ、本日は日頃お世話になっているマルテスの兄上に是非にとお誘いいただき参っただけです」

「それにしてもなんと嘆かわしい。とはいえこのように静かな場所で二人っきりになれたのこそ神のお導きあってのことでしょう」


 とんでもない理屈をつけながらジリジリと私ににじり寄ってきたソリス殿下は、迷いもな私を抱きあげた。


 ちょっと待った!

 この人駄目だ。全然常識が通用しない。


「ソ、ソリス殿下下ろしてくださいませ。祭女の私に触るのは許されることではありません。どうぞお許しくださいませ」

「いくらフレイヤ殿の可愛らしいお願いでもそれは聞きかねる。この絶好の機会を逃すわけにはいかない。おあつらえ向きにこの回廊の部屋は人払いがされてたようだ。今夜は二人でともに甘い夜を過ごし、貴方をそのわずらわしいいましめから解き放つとしよう。どうぞ祭女の仮面を脱ぎ捨てて僕のところまで舞い降りてきてくれ」


 こ、これまさかこのまま私を襲う気か!

 甘く見てた。間違っても祭女に無理やり手を出そうなんて馬鹿はいないと思ってたけど、ここに一人いた!


「なりません、舞い降りません!」


 私の拒絶きょぜつなど気にもとめずに、私を抱えたままソリス殿下は回廊を進んでいく。

 適当に奥に並ぶ部屋の一つを選んだソリス殿下は、さっと中を見回して誰もいないことを確かめると、中に入って後ろ手にちゃっかりカーテンを閉める。

 そして私の文句など関係なく、その部屋に置かれていたテーブルの上に私を下ろした。


「なにを言われる。ほら降りていらした……」


 言葉とともにソリス殿下はテーブルに手を突き、私を自分の腕の間に囲い込む。

 テーブルの上に乗せられたせいでソリス皇太子と私の視線が真っ直ぐに合ってしまった。

 するとソリス殿下は嬉しそうにほほ笑んで私の腰の周りに彼の逞しい腕をまわし、なんの躊躇いもなく私の身体を自分の腕の中に引き寄せようとする。

 慌てて両手を突き出し、その胸元を力いっぱい押し返しながら今度こそ本気で声をあげた。


「いや、ほんとに無理ですから、放して!」

「ソリス殿下。おふざけもどうぞそこまでにして頂きましょうか」


 私が大きな声を上げたのとほぼ同時に、ソリス皇太子のすぐ後ろでバサリとカーテンが捲くられ、部屋の中に凍てつくような冷たい声が響き渡った。


「マルテス!」


 助けを求めようと入り口を見れば、カーテンを背にマルテスが剣を鞘ごと構え、煌々と冷たい瞳を輝かせてこちらを睨んでた。

 一瞬、マルテスの怒りが自分に向いてるように思え、恐怖のあまり息を呑む。

 そんな私とは違い、間に立つソリス皇太子は薄笑いを浮かべ、片腕を私の腰に回したまま肩をすくめてマルテスに向き直った。


「ああ、なんてことだ。こんなところまで来るのか君は。場をわきまえるということを知らないようだな、神殿の犬は」


 ひ、酷い! なんてこというのよ。


「ソリス殿下! 失礼にもほどがあります。今すぐ謝罪を」


 それまで嫌とは言えどことを荒げずに事態を収拾しようとしてた私が、突然怒りも露に厳しい声をあげたのを見てソリス殿下が驚いて目を丸くする。


「フレイヤ殿。貴方は私を差し置いてこのたかが騎士をなさるおつもりか」

「当り前です。マルテスは私のただ一人の忠実な騎士。今もソリス殿下が禁を犯そうとするのを未然に防ごうとしてくれているではありませんか。そのようなことわりもご理解いただけないような方とは今後お会いすることもお断りいたします」


 私の激しい剣幕に押されてソリス皇太子が慌てだす。


「祭女殿、フレイヤ殿、わ、分かりました。ここは大人しく退散いたします。ですからどうぞ後日また私にも機会をお与えください。改めて招待状を送らせていただきますので」


 そう言って私の足元に形だけのキスを落とし、綺麗な礼をしてから最後にマルテスの身体を横に突き飛ばすようにしてソリス皇太子が部屋を出ていった。

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