27 甘い蜜の味を知ってしまいました



「良かった、やっと出てってくれたぁ」


 ソリス殿下が見えなくなるまで見守っていた私は、流石にちょっと興奮しすぎたみたいでクラクラする頭を抱えて安堵のため息をついた。


「君は全く」


 気が抜けて、フッと後ろに倒れそうになったところに、マルテスがすかさず手を差し伸べる。そのまま私の肩を抱きよせ守るように私を腕の中に包み込んだ。


「フラフラするなと言っただろう」


 そんなこと言われても、あのままじゃメルクリ総督に襲われるところだったし。

 それにしても今のは危なかった。あのソリス皇太子があそこまで常識がないとは思わなかった。


「フレイヤ……山之内君、君は僕がどんな思いでここに来たかのか分かってないね」


 徐々に落ち着きを取り戻しつつあった私の顔を、先輩マルテスが覗き込む。そこでやっと、先輩マルテスの目が暗い怒りを滾らせてることに気づいてしまった。

 マズいはと思ったけど私の身体はすっかり先輩マルテスに抱き込まれてて、腰にも腕が回ってて逃げ出せない。


「いっそソリス皇太子に嫁ぐ気にでもなったか? それともあのヒヒじじいに身体を許すか?」

「な、なんてこと言うんですか! 私が誰にも身体を許したりしないことは先輩だって良く知ってるでしょ」

「知っているつもりだった。今までは」


 私の反論は今の先輩マルテスには全く効果ないみたい。先輩マルテスはその瞳を余計熱く輝かせ、私を真っすぐにく。


「ああ、ちょうどいい。この部屋は奥に寝台がある。逢引き用に人払いもされてたようだし、折角だから君の身体に聞いてみるか」


 え? なに?

 今なんて言った?


「僕のお仕えするフレイヤ様がどれほど誘惑に耐えられるのか、見せてもらおう」


 突然ふわりと身体が浮いて、気づけばマルテスに抱えあげられていた。そのまま簡単に隣の部屋の寝台まで運ばれてトスンとベッドに落とされる。

 すぐにマルテスの身体が私の上に乗りあげ、逃げる間もなく押し倒された。


「君が思うほど、誘惑は優しくないよ」


 私の腰の下を挟み込むように馬乗りになった先輩マルテスが、私の顔の両脇に手をつき、その顔がゆっくりと近づいてくる。

 近すぎる、そう思う間もなく先輩マルテスの唇が私の唇を塞いだ。

 余りに急激な展開に文句を言うチャンスさえ見失った私は、目を見開いたまま先輩マルテスの口づけを受け入れてしまった。マルテスの暗い瞳が間近で私を見つめ、長い睫毛まつげが震えながら苦しそうにまたたきを繰り返す。


 一旦顔を離したマルテスは、彼を見つめたまま抵抗一つ出来ないでいる私を探るようにじっと見下ろし、その瞳をより輝かせて、また顔を近づけてくる。

 今度は後ろに差し込まれた手で頭を支えられ、顔を傾けながら重ねられた唇はより深い彼の情熱を私に流し込んできた。


 なにが起きてるの?

 なんでこんなことになったんだっけ?


 そんな疑問が頭をかすめたけれど、マルテスの熱い口づけに翻弄ほんろうされてるうちに霧散した。甘い痺れが私の頭を占領してきてなにも考えられなくなる。


「君はどこまで僕に許す気だ?」


 ふと気づけばマルテスが顔を引き、苦しそうに眉根を寄せて喘ぐように問う。

 答えたいのに答えられない。


 なにを答えるというの?

 この甘い痺れがもっと欲しいと願うの?

 それとも貞淑ていしゅくな祭女として今すぐ放してとなじるの?

 私にはどちらも選べない。


「とめないなら僕はやめないよ」


 再度合わされた唇は、だけど今度は違う目的を持っていた。

 私の唇はしっかりとマルテスの唇に塞がれて、もう許諾も拒絶も発せられない。

 マルテスがその大きな身体を私の身体に添わせ、片手で軽々と私の両手を頭上にいつけてしまう。

 身動きは完全に封じられ、逃げ場などもうどこにもなく、私には眼前のマルテスを拒絶する手段などなにひとつ残されていなかった。

 なのに、そこでマルテスが苦しそうに喘ぎつつ、私の唇を塞ぐ自分の唇を無理やりはがして絞り出すように呟く。


「このまま僕の物になってくれるのか」


 そう言って間近に私を見下ろすマルテスの顔は、こんな真似を強要してるにもかかわらず今にも泣きそうで、私を見つめる紫の瞳はまるで慈悲じひを乞うかのように潤んでる。それを見てるだけで私まで酷く切なくなってきて、私は考えるよりも早くマルテスの唇を自分の唇で塞いでた。途端、マルテスが目を見開き、そしてその瞳に歓喜を浮かべる。


 ああ、私こんなマルテス知らない。

 こんなに辛そうなのも、嬉しそうなのも、今まで知らなかった。


 コンナコトシチャイケナインダヨ


 頭のどこかで警鐘けいしょうがずっと鳴ってる。

 だけど、今この時、私の頭は痺れ切っててもうマルテスのこと以外なにも考えられなくなっていた。


「おい、誰もいないな」

「ああ、この回廊は金を払って人払いしてある」


 その時、突然人の声が隣から響いた。

 マルテスが私の上で身体を固くしてぴたりと動きを止める。


「それでそっちの進展はどうなんだ?」

「良くない。あのバカ皇太子のおかげでワシの計画がメチャクチャだ」


 驚きの声が上がってしまいそうな私の口をマルテスの大きな手が覆い、もう一方の手の指を唇に当ててマルテスがシッと合図する。


 これ、一人はすぐに誰だかわかった。このネットリした声は間違いなくメルクリ総督だ。でももう一人は誰だか全然分からない。


「なにをやってるんだ。こっちは計画通り始めてるんだぞ。カスターナ地方の収穫はすでに隣国に引き渡した。もう後戻りは出来ん」

「そんなことを言うのなら、あの第二皇太子をちゃんと消してくれていればいいものを」

「それが失敗したのはお前も知っているだろう。まあ代わりに隣国ドルトイとの繋がりも出来たし、カスターナ地方を収穫減として報告出来るのだがな」


 え、待って、それってお父様と今年の初めに豊穣の祝福を行ったカスターナ地方のこと!?

 あの地域は去年の水害で土地があれてしまったから二人でわざわざ行ったのに!

 どこのバカよ、あれだけの祝福を贈ったのに減るはずない!

 その場でいきどおりの声を上げそうになる私を、先輩マルテスが睨んで再度警告を送ってきた。


 分かってるわよ、声を出さなきゃいいんでしょ!


「ついでに第一皇太子は先日吾輩の進言を受け入れて、神殿にまわす金を他の経費として巻きあげてくれると確約くださった」

「それはいい。そうなれば、あのタヌキじじいも流石にワシの援助を受け入れるだろうて。あとは水の祝福で祭女が失敗すれば、安々と彼女をわが妻に迎えられるというものだ」


 今、私のお父様をタヌキじじいって言った!? マントヒヒじじいに言われたくない!


「そのためにもあのバカ殿下には大人しくなって頂きたい。祭祀の騒ぎに便乗してなにか手を打てないか?」

「よかろう、だが忘れるなよ。ほとぼりが冷めたら必ずあの神殿長を殺せ。それが俺の唯一の条件だ」


 一体この人誰よ? なんでこの人がお父様を殺そうとしてるの?


「分かっておる。どの道フレイヤ様を嫁にしたあとはワシが基盤を引き継いで邪魔者は消すつもりだ」


 当然のように私の父の殺害を話すメルクリ総督に、今までの本能的な嫌悪だけではなく、身体の奥底から怒りと憎悪に近い強い感情が滲みだす。

 でも基盤って一体なんの話? 


「それならばいいが」

「それにしてもあのマルテスという騎士、本当に邪魔くさい。ワシがフレイヤ様にちょっと触れただけでも目くじら立ておって」

「放っておけ。どの道長くない命だ」

「まあそうだな。じゃあワシは先に戻る。フレイヤ様が戻ってらっしゃるかもしれん」

「お前と話が出来ればここにはもう用はない。俺は消える。またな」


 すぐに足音が二つ部屋から立ち去っていき、部屋は静寂に包まれた。

 マルテスはそれでもまだ数分、私の上でジッと動かずに待っていた。動かないにも関わらず、マルテスの身体の熱が私に伝わってきて辛い。

 私がいい加減どいてくれと声をあげようとしたその時、マルテスがゆっくりと身体を起こしあげた。幸い寝台は上等な物らしく、マルテスが動いても軋むことはない。

 そのまま音もなく寝台をあとにしたマルテスは、慎重に隣の部屋の様子を伺い、そのまま入り口まで行って外も確認してる。


「どうやら思いっきり核心を引き当てたようだな」


 ギラリと光る目で入り口を監視しながら、マルテスが私の元に戻ってきて小さくつぶやいた。


「そ、そうですね。今のはメルクリ総督と、もう一人は誰だったのでしょう?」

「……さあな。だが君の貞操ていそうを奪う機会と引き換えにするには値する情報だったのは確かだ」

「!!!!」


 あまりに明け透けな形容に声もなく先輩マルテスを叩こうとしたのだが、逆にその腕をしっかりと掴まれてしまった。


「文句は言うなよ。僕は確認しただろ、そして君が受け入れた」


 そう言いながら、もう一方の手で私の後ろ頭を支えてマルテスがまたも私に甘い蕩けるような口づけをする。


「そう、君は今僕を受け入れた。忘れないで」


 そう苦しそうに私の耳元でそう囁いたマルテスは、大きく息を吐いて私を立たせた。


「そろそろ戻りましょうフレイヤ様。帰宅するにはいい時間です」


 それまでの情熱をすべで綺麗に押し隠して、なに食わぬ顔で私に手を差し伸べる先輩マルテスに、私は混乱する頭と締め付けられる胸の内を抱えたまま、無言で後に従った。

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