11 過去はこれからの二人のために


「私が覚えてるのはあれが初めての船を使った『水の祝福』の祭祀さいしだったってことくらいです」

「そうだったな。確か君が十六の誕生日だからちょうど五月の初めの祝日だった。君のその姿かたちからして、多分僕たちは同じ年の少し前に戻ってきてるようだ」


 その通りだと思う。先輩マルテスは覚えてないかもしれないけど、彼が今使ってるこの金糸と赤い糸を組みあげた髪結いの紐は、今年の初めに私が自分の手で織って下賜かししたものだった。折角、守りの祈りを織り込んだ組み紐だったのに、彼の命を救うにはいたらなかったのね……。


 私は自分の無力さに痛む胸を誤魔化すように、外を見ながら言葉を返した。


「ええ、庭のアザレアのつぼみが膨らみ始めていますから、多分今から一月後くらいでしょうか?」


 乾季の始まりに夏の水の恵みを乞い願う『水の祝福』。それは私の祭女として最も祝福の力が強くなる誕生の時期に来る、私が中心となる祭祀だった。


「例年の神殿での祭祀を今年から船に移し、より近くでより広範囲に祝福を行える、と前々から非常に楽しみにしていました。あの日は朝からみそぎをして、新しい祭祀用の儀式服を着てマルテスと一緒に会場のテベレ川まで馬車で移動したのですよね」


 私が水を向けると先輩マルテスが思い出すように宙をにらんでうなずく。


「ああ、僕はそのあと船を先に検分して、安全を確認してから水の神殿の司祭室に君を迎えに行った」

「私は自分の準備が終わった時点でまだマルテスが来なかったので大人しく待っていましたが、『準備が整いました』と手伝いの娘たちが呼びに来たので彼女たちに従って船に向かいました」


 私の説明に先輩マルテスが怪訝な顔をする。


「待て、僕が迎えに行く前に準備が終わるわけがなかろう」

「でも娘たちは『マルテス様はすでに乗船してる』と言ってましたよ」

「娘たちが嘘をついていたのか、それとも彼女たちもだまされていたのか……とにかくもうその時点で君はだまされてたわけだな」


 そういうことになるのね。でも。


「残念ながらそのあとのことは覚えていません。そこで思い出せるのは桟橋さんばしから船に渡された板を娘たちに手を引かれながら渡ったところまでです」

「そうか。僕はその後、君を探し回り……先に船に向かったらしい、と聞いて急いで船に向かったんだ。僕が着いた時には……君はすでに船首で儀式の準備に取り掛かっていた。だから声を掛けずに後ろで控えていることにしたんだ」


 少し言いよどみながらマルテスが応えた。ふと気になって聞いてみる。


「どのあたりですか?」


 船は結構大きかった。

 一年前に手に入れた隣国のガレー船を飾り立て、操船以外にも儀式に関わる者、そしてそれに参加する賓客も多く乗せていた。


 今回の祭祀の祭女さいめは私だけで、船首には私用の儀式の準備がされていた。船の中程には私専用の大きな休憩用テントが張られてたから、その後ろの船尾側が隠れて見えなくなっていた。

 船首とテントの間には客席がもうけられ、祭祀を手伝う巫女たちと第二皇太子ソリス、そして今回の船を使った祝福の発起人である、メルクリ海軍総督も参列していた。

 メルクリは大っ嫌いだけど、その息子のジョヴィスは昔から仲のいい幼馴染なので、私と視線が合うと隠れて小さく手を振ってくれていたのを覚えてる。

 そしてテントの後ろには護衛用の兵士も沢山乗っていて、マルテスもそちらに合流する予定だった。


「僕は船が出る直前に飛び乗ったから真ん中のテントのすぐ横にいた」

「気づきませんでした」


 そう言って、一度言葉を切った私は、思い切って次の言葉を続けた。


「私は……殺されるまでの間、きちんと祭祀をり行えてたのでしょうか?」


 これはすごく気になっていたのよ。なんせ記憶が飛んじゃったけど、この『水の祝福』は今年一番大きな祭祀だったのだし。

 ある意味この国の豊穣の行方を決める非常に重要な祭祀だったのだ。

 たとえ途中で力尽きたのだとしても、それまでに少しでも祝福を流せていれば、最悪の結果にはなっていないかも知れない。


「ああ、君は立派にこなしていたよ。ただ、残念ながら最後までは終わらせられなかったけどな」


 そう言ったマルテスの顔は、重苦しい悲しみに歪んでた。

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