30 知らなかったのは私だけ?

 その後なにごともなくお昼を済ませた私たちは、それぞれ教室に戻ったんだけど。


「こがねちゃん、今日もお疲れ様。なんか少し顔が赤いけど大丈夫?」

「うん、大丈夫だと思う、ちょっと忙しかったから」


 先輩と別れて教室に戻る途中、つい、あの寝台で起きたことを思い出してしまっていた。人気のない廊下を歩きながら先輩に与えられた熱がぶり返し、身体が熱くなる。

 マルテスの柔らかい唇の感触、逞しい腕、大きな手。私の上に重なる雄々しい体躯。そして先輩マルテスの苦しそうな、でも激しい感情を秘めた紫の瞳。あの時邪魔が入らなかったら、私たちはいったいどうなってたんだろう……


 独りになってそんなことばかり考えてたからきっと顔に血がのぼっちゃってるに違いない。


「そっか。ならいいけど。館山先輩に恋でもしちゃってたらどうしようかと思った」

「な、ない、ないからそれは」


 慌てて私が否定するとエミリちゃんが少し疑わしそうにこちらを見る。


「それならいいけど。先輩、あれでも婚約者がいらっしゃるから、こがねちゃんが苦しくなるだけだもんね」

「!」


 聞いてない。そんなこと。

 そう思ったけど声には出さなかった。

 それでも私が興味を持ったことに気づいたエミリちゃんが先を続ける。


「あれ、こがねちゃん聞いてない? 去年の春に決まったって噂で聞いたわよ。ほらここってこういう情報はすぐに回ってくるから」


 確かに。

 セレブ同士、将来の関係も重要だし財閥なんかの力関係も関わってくるから、どなたがどなたと婚約したってお話はいつも最速で駆け巡る。

 だけど先輩の話なんて興味を持つ人も少ないんじゃないかな。事実私まで回ってきてない。


「……お相手は?」


 私の質問にエミリちゃんが少し眉根を寄せて考える。


「それが誰も知らないのよね。でも仲を取り持ったのはこがねちゃんの叔父様、理事長らしいわよ」

「え? 私の叔父様が!?」


 あの叔父様がそんな面倒なことするなんて全然想像つかない。

 ここの理事だって本当にしてるのかってくらい影が薄くて、いつも部屋にもりっきりなのに。

 大体なんで叔父様が先輩のお相手なんて紹介してるんだろう?

 ああ、もしかすると生活指導委員の立ちあげで関わった関係なんだろうか?


「なんでも館山先輩のご実家も非常に乗り気らしいし、もう決まりなんじゃないかしら」

 エミリちゃんがそう言ってから今度は最新の婚約ニュースを教えてくれてるけど全然頭に入って来ない。


 胸が……痛い気がする。


 そっか。先輩にはもう婚約者さんがいたのか。あ、もしかしたら……想い人さんがこちらに転生してたのかもしれない。


 そう思った途端、今度こそズキンっと胸が痛んだ。痛んだことが悔しくて、悲しい。


 だとしたら……私のしてきたことは道化もいいところなのかな。

 私がなにもしなくても先輩はちゃんと想い人さんと一緒になれる運命だったのかも。いっそもうこのまま放っておきたい。


 そんななげやりな気持ちも生まれてくるけど、お父様の最後や国の行方ゆくえを聞いてしまった今、もうそう簡単に諦めるわけにもいかなくなっていた。


 じゃあこのまま今まで通りに続けるの?

 別になにも問題ないじゃない。辛いことも、悲しいことも、なにもないはずだ。

 だって先輩のことは別に好きなわけじゃないもの、違うはず。マルテスのことだって諦めてたんだもの、先輩のことなんて今更どうでもいいはずよ。


 でもだとしたら。

 あの時のマルテスの行為に意味を求めてはいけない。今日のことはやっぱり気の迷いだったから謝られちゃったんだね。


 私は自分にそう言い聞かせ、胸に突き刺さる痛みは全て無視することにした。

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