Chapter 6 甘い蜜の味を知ってしまいました

23 日常がはじまりました

 それからしばらくは何事もなく過ぎていった。


 最初はあんなに緊張した転移も、今じゃ日常の一部。

 先輩もあのあとは特に極端な行動に出ることもなく、以前の通りあちらでは守護騎士を演じ、こちらでは生活指導委員長をしてる。


 こっちでもあっちでもどっちでも日常。


 そして悲しいかな、先輩と生活指導委員をするのにもすぐに慣れてしまった。まあ、先輩みたいに頑固な裁定さいていをしたりはしないから皆から目のかたきにされるようなこともない。

 先輩と行動を共にするようになって知ったんだけど、確かに時々とても見逃せないような問題が報告されてくることもあって、そういう時は私も摘発することに異存はなかったし。

 ただ、正直私に摘発されるとほぼ自動的に退学になっちゃうから、抑止力として私の存在はかなり有効らしい。

 先輩曰く、いつも面倒を起こす連中が鳴りをめて仕事が楽になったそうな。私は今の状態しか知らないからそれほど実感はないんだけどね。


 転生前の世界でも徐々にフレイヤの頃の勘を取り戻してきて日常が返ってきた。


 生活のリズムをだんだん思い出して、転移での行き来にも慣れてきた。

 フレイヤの周りの手厚い高待遇は昔のままで、ある意味では甘やかされてる毎日だけどとにかく忙しい。祭女の仕事はひっきりなしにあるし、お稽古や自宅学習も続いてる。それで疲れて帰ってきても、好きな時間に好きなものをまむことも許されない生活は、かなり精神的にはきつくなってきた。


 あれだけ馴染めないと悩んでたくせに、黄金になってからお父様のお金を好き放題使って過ごしてた日本での生活と比較しちゃうと、どうしてもこちらに不満が出る。

 お食事の時間にいくら豪華な豚の丸焼きだとかお手製のしたソーセージなんかが出てきても、醤油もケチャップもマヨネーズもなくちゃ、いいかげん味に飽きてきちゃう。

 フルーツは死ぬほど美味しいし、干しナツメヤシは甘くて美味しいけど、チョコレートもアイスクリームもポテチもない。飲み物も種類が少ないし氷もないからいつも生ぬるい。

 冷気の魔術が使える人がいるからたまに冷やした飲み物の売り子が街を練り歩くけど、私の暇な時間と合わなくて冷えたまま飲める機会も少なかった。


「お嬢様、つまみ食いはおやめ下さいと何度申せばよろしいんですか!」


 今日も外出の帰りにちょっと厨房に寄って本日のケーキを味見してたら、厨房長に見つかって怒鳴られちゃった。


「だって祭事のあとはお腹が空くんですもの」

「フレイヤ様、そんなことを言ってると太りますよ。魔力は体力を減らしませんからね。お父様をご覧なさいませ」


 うう、ひどいわ。

 これじゃあまみ食いする気も失せちゃう。

 だってお父様、本当にお腹出てるし。


 指先でつまんでいた蜜菓子を皿に戻した私は、後ろ髪を引かれる思いで厨房をあとにした。


「フレイヤ様、また姿が見えないと思ったら厨房にいらしていたんですか?」

「マルテスには関係ありません。貴方までお小言ですか?」


 祭祀が終わってあと、部屋のチェックを始めたマルテスを置き去りにして厨房に来ちゃったから私の行方を探してたのかもしれない。厨房を出たところで出くわしたマルテスの眉間にがよる。

 だけど私だって一日祝福と笑顔を垂れ流して疲れてたのだ。これくらいの逃避は許して欲しい。

 そう思ってるとマルテスが小さくため息を付き、私を引き連れて私の部屋へと向かった。


「君もすっかりこっちの生活に馴染なじんで気が抜けてきてるのかな」


 部屋に着いた途端、先輩マルテスがそう言って自分の腰に手を当ててこちらを睨む。


 あ、これマルテスが私に説教を始めるときのあれだ。


 以前の私ならマルテスに気を使ってなにも言い返さなかったかもしれないけど、今の私はもう怒られるままに大人しくしてるような人間じゃなくなってた。


「それは先輩がいつまで経ってもパーティーに連れて行ってくれないからじゃないですか」


 あれから半月が過ぎようっていうのにまだ誰のパーティーにも出席してない。


「こんなことしてる間にもなにかが裏で起きてるはずなんです、早くそれを見つけないと……」


 私がイライラとそう呟きながら部屋を歩き回ってると、突然先輩マルテスが私の腕を掴んで引き寄せた。


「君は本当に前世を変えたいのか?」

「あ、当たり前です。それはもう説明しましたよね?」

「そんなことしたら、日本にいる君は消えてしまうかもしれないんだぞ。ここでだって祭女としてどこまでもおきてしばられ自分の結婚一つ自分で決められないだろう」


 すぐ近くで私を覗き込む先輩マルテスの視線が私に突き刺さる。なぜかその視線には苛立ちと悲しみ、そして微かな憐れみが含まれている気がした。


「そんなにまでして前世に戻りたいか?」


 なぜ先輩マルテスがそんなことを何度も確認するのか、その意図が分からず、それが心配で彼の顔を覗き込みながら私はかける言葉を探す。


「今の僕なら、いつまでだって君のそばにいてあげるよ」


 一瞬、真剣な先輩の瞳に引きづられてそのまま頷きそうになってしまう。

 それを無理やり引き剥がし、クルリと先輩に背を向けて言い返した。


「ダメ、絶対犯人を見つけるの。その為なら、私、何回でもパーティーに出席します。だから先輩もそんなこと言ってないで早く私がパーティーに出れるようにして、お願い」


 そうでないと私、また同じ死に方になってマルテスまで一緒に日本に転生して来ちゃう。


 本心を言えばずっと先輩と、マルテスと一緒にいたい。彼を避けまくってたのだってこれ以上諦められなくなりたくないから。

 だけどマルテスには『運命』の想い人がいた。その想い人がもしこちらに転生してしまってたら、先輩は運命の相手とこれからずっと離れ離れになってしまう。


 この世界で、思い思われることは『運命』だ。

 神託を受けるほど神の御心に沿う『運命』の相手は決して相手を裏切らず、転生してもお互いその唯一の人を求めめぐり逢い、また愛し合う。


 そうなっているはずなのに。


 私への負い目から、先輩マルテスはそれを永遠に諦めようとしてくれている。

 でも、そんなの、私は絶対に望めない。


「私は神に仕える者の一人として、『運命』を正しい流れに戻さなければなりません」


 私のはっきりとした決意を見た先輩は、とうとう諦めたようにため息をこぼした。


「仕方ない。準備はしていたよ。あまり乗り気はしないが、明日僕の実家で開かれるパーティーに出席の返事を出してある。メルクリ総督もソリス皇太子も出席するそうだ。兄にも話は通してあるから、それに参加して周りの様子を見よう」

「ありがとうございます。でしたら明日は頑張って、誰が犯人か探しださなくちゃ」


 私はホッとして胸をなでおろし、決意も新たに先輩を見あげた。


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