18 戻っては来ましたが

「フレイヤ様、どうなさいましたか」

「え、あ。すみません、今ちょっと眩暈がして聞きそびれてしまいましたわ。もう一度お願いできますかしら」


 光に包まれても今回は気を失うこともなく、私は気が付けば引き寄せられるようにフレイヤの中にいた。

 前回のように倒れこんでることもなければ、マルテスに抱き留められていることもなく、胸の中はなにかもやもやと複雑な心境だ。


 マルテスはいつものごとく私のすぐ横に立っていた。そしてそこは少し広い来客用の応接室。目の前には会いたくない人トップ・スリーに入ってるソリス皇太子が座っていた。その横にはこれまた会いたくない人ナンバー・ワンのメルクリ・ノウティア海軍総督。


 え、こんな場面、私知らない!

 この二人が私の家の応接室で一緒になったことなんて以前はなかったもの。


 こんな状況、知らなかったはずなのに。突然脳内に新しい記憶が降ってきた。


 え、なにこの感覚。これって五歳の時に感じたのと同じだ。

 失われてた記憶が補完されていく──


「ですからなぜ私の求婚をお受け下さらない」

「それはお受けするわけにいかないと、何度も申しあげたはずです。私が祭女の責務を果たし終えるまで結婚はできません」


 咄嗟とっさに断りの言葉が口をついて出た。記憶が今の場面に追いついて、この自分絶対主義のソリス皇太子がこの三日の間しつこく求婚に家を訪れていたのを思い出したのだ。


「それは習わしではのこと。実際には祭女をめとった者もいると聞きます。後継こうけいの祭女が育っていれば求婚を受け入れて、早くにその任をすことも出来るのでしょう」

「それは全ての祭女には当てはまりません。『祝福の祭女』の中でも水の祭祀をになえる『豊穣ほうじょうの祝福の祭女』はまだ他におりません。そんな事はソリス皇太子もご存知だと思いましたが?」

「いや、神殿内にもう一人、『水の祭祀』の月に生まれた祭女がいると聞きおよんでおりますよ」


 分かっていない。同じ祭女さいめでも、祭家さいけに生まれた私と、それ以外の家で生まれた祭女では、ほどこせる祝福の大きさが全く違うのだ。

 そんな当たり前のことが、どうにもこの二人には納得いかないらしい。


「大体『祝福』と言っても、実際には水面に流れる花がほころぶだけで、それ以上本当にどのような効果があるのか分からないではありませんか」

「な、なんと無礼なことを!」

「お待ちください、殿下の求婚など考慮するまでもない。すでに何年も前からワシが祭女どののパトロンと決まっております」


 ソリス皇太子のとんでもない言いがかりに私が激高した隙に、横からメルクリ総督が口をはさむ。


 いい加減にして!


「そちらも、お受けした覚えはありません!」


 私がはっきりと断ると、それに気分を害したメルクリ総督がフンッと小さく鼻を鳴らした。

 ジッと私を睨む細い目には尊敬などまるっきり見えず、まるで自分の手に入れたい宝石かなにかを値踏みするような目つきだ。


 確かにパトロンを持つ祭女は多い。

 祭祀は本来国の主導で行われる儀式だけど、その祭祀がどのくらい華やかに大規模に行われるかはパトロンのあるなしで大きく変わってしまう。一部の祭女はその様を自慢したがり、喜んでパトロンを受け入れてる。

 でも私は絶対この人は嫌だ。だってこの人、どうみても下心だけなんだもの。


「この度の『水の祭祀』がいい例ではありませんか。ワシの水軍からガレー船をご提供して祭祀の費用もこちらでお出しすることになっているのですよ」

「お待ちください。それはメルクリ総督がご自分から職務の一環として国へ進言されたことでしょう。フレイヤ様のパトロンのお話とは全く関りがありません」


 家臣のトルトスが私の代わりに反論してくれたけど、メルクリ総督はその爬虫類のように細い目でジッと私を睨んでくる。

 睨まれて、つい私が少しばかり弱気な気配を見せると、すぐにメルクリ総督が私の身体を上から下まで舐めまわすようにそのねちっこい視線を這いまわらせてきた。


 うわああ、ゾッとする。

 この人の視線、ほんとに気持ち悪すぎてもう我慢できない。


 しかもそれだけじゃなくてね。

 今もその平べったくて丸い顔を上下左右から覆ってるモジャモジャのオレンジの髪をガリガリと掻きむしってはフケを落とすし、その下の顔が赤いのはなにも海風にあてられてきたからだけじゃない。微かだけど、お酒の匂いがする。

 祭女の家に来る前に飲んでくるってどういう神経なのか理解できない。


 総合すると、その容姿はまるでマントヒヒそのもの。

 髭と髪の間の狭いスペースを主に占める丸く太い鼻をヒクヒクとさせ、私を見ながら赤黒いタラコ唇をねっとりと分厚い舌で舐めあげる。

 お腹はでっぷりと太って、歩くたびに上下にブルンブルンと揺れて海軍総督の制服がはちきれそうだ。


 こう、私にとってこのメルクリ総督は生理的に受け付けないタイプそのものなのだ。


「まて、なんだその『パトロン』とは」

「殿下はご存じないのかもしれませんが正式な『パトロン』とは要は祭女様の婿候補むここうほですよ。祭女様の祭祀、または生活の費用を負担して、その生活の保障を生涯担う責任を負う者でございます。祭女様が三十歳を超えられて、祭女の職を退かれる時には、そのまま花嫁として迎え入れます」


 胡乱うろんな目でメルクリ総督を見ながらソリス皇太子が口をはさむと、それにすぐ横のメルクリ総督が慇懃いんぎんな態度で説明する。


 彼の説明はまあ正しいことは正しいけどね。メルクリ総督自身がそれを私に申し込むっていうのはほんとに考えられない。

 だってこの人、うちのお父様より年上なのよ!


 彼の一人息子のジョヴィスでさえ私より年上なんだし、彼との話ならまだしも、なにが悲しくてこのヒヒ爺の申し出を受けなきゃならないのよ。


 だけどこの話が申しだされてもう五年。繰り返し申し込まれてるのを最初っから私はお断りしてるのに、政治的な関係からお父様は正式なお断りを入れさせてくれない。

 おかげで中途半端な状態でこの攻防がずっと続いてきたのだ。


「そんな先の話はどうでもいい。祭女殿は今私が娶る予定だからな」

「ですから、どちらのご希望もかなえかねると申してます!」


 こっちはこっちで、人の話など聞く気のないソリス皇太子がメルクリ総督を突き放すように宣言するのを私も頑張って却下する。だが、それを聞いたメルクリ総督が流石にカチンときたらしく、ギロリとその細い目を光らせながらソリス皇太子を睨みあげた。


「殿下、どのような準備があってそのようなことを言われるのでしょうか? ワシは少なくともこの数年ずっと祭女様の祭祀に少なからずご寄付をさせて頂いています。今更、のこのこしゃしゃり出て来て求婚などと無茶を言われては困りますなぁ」


 困ったことにこのメルクリ総督、もとは隣国の総督だったのだ。

 最後にこの国が彼の国を占領した時点で寝返ってこちらに着いたからこそ市民権を持ってはいるけど、実は評議院に席を持ってない。

 そんなこともあってあまり王家に対する敬意も持ち合わせてないらしい。


 メルクリ総督のドスの効いた言葉を、だけどソリス皇太子はこともなく切り捨てる。


「ならば私も金を出そう。今度の祭祀は私の名前で執り行う。皇太子が祭祀のあと押しをするのはなにもおかしなことではなかろう」

「い、いいえ今回はワシが船を提供して──」

「お前は船を出せばいい! 私が残り全てを出せば──」


 二人が激高し始め、真っ赤になってお互いなりふり構わず立ち上がりそうになるのを、私は必死に声をあげてさえぎった。


「ちょ、ちょっとお待ちください。そんなことをされても私の気持ちは変わりません。このまま祭女の役割を最後までまっとうさせていただくつもりですから!」


 そんな私のことなどお構いなしに、二人が結局立ち上がって腹を突き合わせて睨みあう。


「それはまずは祭祀が終わって、どちらがパトロンとして、婿候補としてふさわしいか見てもらってからに願おう」

「そんな必要は──」

「フレイヤ様。ここはお二人にそれぞれお出し頂くということでいいではありませんか。別に祭祀自体の費用は我が家のはかり知るところではありません。すべては神への喜捨きしゃですし、それをないがしろにすることはございません」


 止めに入ろうとする私を逆に押し留めてトルトスが口をはさんだ。これだ。お父様もトルトスも、結局こうやって政治的配慮とやらでのらりくらり引き伸ばすだけで、私にしっかりお断りをさせてくれない。


「祭女様、皇太子さまがどう言われましょうがワシはまだパトロンを降りるつもりはございませんよ。祭女様がなんと言われようと今までの貢献から現在はワシこそが正式なパトロンと言える立場におります。そして考えたくもございませんが、もしも・・・祭女殿にもし、なにかあって祝福が行えなくなった場合には、ワシは即祭女様を娶ってその生涯をサポートする覚悟がございます。一つどうぞお忘れなく」


 最後にそう捨て台詞を吐いて、メルクリ総督は独り怒りのままに部屋を出ていってしまった。

 残ったソリス皇太子も不機嫌に「では」と言って立ち上がる。そのまま帰ってくれるのかと思えば、私の目の前に跪いて私の手を取り、その指先にチュッと触れるだけのキスを落とした。


「祭女殿。私はあきらめません。またこれからもこちらに通わせていただきます。祭女殿の気持ちがいつ、私にかたむいてくれるか分かりませんからね」


 手の先に触れたソリス皇太子の唇の感触がやけになまめめかしくて、私は慌てて手を引っ込めた。

 それにつられるように視線をあげたソリス皇太子がニッコリ笑いかけてくる。


 引き抜いた手を握りながら声を失った私の様子を確認すると、満足そうに「ではまた来る」と言いおいてやっと帰ってくれた。

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