16 素直にはなれません

 本当に馬鹿にしてる。


 館山先輩を平手で張りたおし、服だけ整えて生活指導室をあとにした私は、怒りに任せて階段を駆けおりた。


 「あれ、こがねちゃん。お昼どこ行ってたの?」


 突然声を掛けられて振り返ると、そこにはエミリちゃんが立ってた。

 気づけば私ったら怒りのままにズンズン歩いて、自分の教室を通り過ぎてたらしい。


 すでにお昼を終わらせて食堂から返ってきてたエミリちゃんが、教室の前を通り過ぎていく私を見かけて声をかけてくれたらしい。


 え、ちょっと待って。

 ってことはあれからたったお昼休み程度の時間しか経ってないの?

 この転移、非常にお手軽って言えばお手軽だ。


「えっと先生の言付けでちょっと用事を終わらせてきただけなのよ。これから食堂でパンでも買ってくるわ」


 私がそう言うとエミリちゃんが困った顔で見返してくる。


「うーん、多分もうほとんどなにも残ってないんじゃないかしら? それに授業始まっちゃうわよ」

「あ、本当。最悪ぅ」


 私が情けない顔で泣きそうになってると、エミリちゃんがちょっと微笑んでカバンの中をゴソゴソと探る。


「午後のおやつの時間に一緒に食べようと思ってたんだけど、はい。これでしのいで」


 どうぞっとカバンの中からお目当ての品を探し出したエミリちゃんがチョコレートを一箱手渡してくれた。


「あ、ありがとうエミリちゃん、今度は私が持ってくるね」


 この際カロリーは気にしない。それだけの体力は使ったはずだもの。


 私は頂いたチョコレートを教室の片隅で隠れて一気に食べつくした。

 とはいえ、チョコレート一箱で午後一杯お腹が持つわけもなく。


 空腹を抱えて家に帰った私がイライラとお父様に当たり散らしたのは言うまでもない。


 でも。部屋に戻ってから独り泣いたよね。


 正直、ここ最近ではもうあれは全部夢だったんじゃないかってちょっと思ってなかったわけじゃない。毎週見るあの夢がなかったらとっくに諦めてた。


 それが。

 突然過ぎて感動もなにもないままに帰ってきちゃったけど、十年以上帰れなかったあの世界に、今日、私、戻れたんだ。

 しかも祭祀までちゃんと出来た。


 そして……いつまでも終わることなく想い続けてたマルテスの元気な姿も見れた。

 私の切ない恋心は行方不明になっちゃったけど。


 それでもあの世界が実在した。行ける方法が見つかった。そして、もしかするとあの日をやり直すことが本当に出来るかもしれない。


 ならば今度こそ。絶対に犯人を捕まえてやる!


 感動と戸惑いと決意で興奮が全然冷めやらなくて、私はその夜いつまでも眠りにつくことが出来なかった。


        ∮ ・ ∮


 先輩の宣言通り、次の日には担任の先生から私が次の生活指導委員長に指名された旨が伝えられた。

 私がどうにか辞退できないか尋ねると、先生が非常に申し訳なさそうな顔で言いにくそうに答えてくれる。


「山之内さんもお気の毒だけれどもこればっかりは指名制で私ではどうにもしてあげようもありませんわ。もし本当にどうしようもない時は理事長に直接ご相談なさってみてはどうかしら」


 うーん、叔父様にはなるべく近づきたくない。


 実は私、叔父様が少し苦手だったりする。だって小さい時からご挨拶しても凄く冷たくて、あまり声を掛けてくださらないんだもの。

 でもこれ以上先生を困らせてもどうしようもないのはよく分かったから、私はさっさと切りあげることにした。


「い、いえ大丈夫です。そういうことでしたら直接館山先輩に相談してみます」


 私の返事に先生は少しほっとした様子で付け加えた。


「良かったわ。でも山之内さんでしたら立派に生活指導委員長を務められるんじゃないかしら。挑戦されるのも悪くないと思いますよ」


 他人ひとごとだと思ってそんなこと言ってくれるけど。


 実際生活指導委員の仕事は気が重い。自分の学生生活においてだけならいくらでも規則正しく過ごせるけどね。

 これが他人のことになると非常に微妙なのよ。

 だって、理事長の姪の私が注意なんてしたら、下手したら先生方から不必要なレッテルまで貼られてしまう。


 先輩は本当に嫌ならギリギリで他の人を指名してくれるって言ってたけど、あの腹黒い先輩の約束じゃ全然信用できないし。

 あ、いっそあとでエミリちゃんを巻き込んじゃおうかな。

 でも嫌がられるだろうなぁ。

 それでも一応打診だけはしてみる。


「え? 私は構わないよ。もし本当にこがねちゃんが逃げられなくなったら一緒に行ってあげるね」

「ほ、本当にそれでいいの?」


 驚きの声をあげた私に、鼻の頭をかきながらエミリちゃんがちょっと照れたようにはにかんだ。


「こがねちゃんが一緒なら館山先輩を近くで観察するのも楽しそうだなって」


 え、ちょっと待って。


「エミリちゃんまさか館山先輩を──」

「あ、こがねちゃん誤解しないでね。こういうのって一種の話のネタというか人生の彩りって言うか。あんな色んな意味で際立っている人、被害が及ばない程度に近場で観察してみたいってだけなの」


 ……エミリちゃん、何気にひどいこと言ってるね。


 とは言うものの、その気持ちは少し分かる。自分に実害がなければだけど。


 うーん、エミリちゃん参戦は非常に魅力的なんだけど、かと言って今エミリちゃんに付いてきてもらっちゃうと転移が出来なくなっちゃう。まさか一緒に転移してもらう訳にも行かないし。


 大体、根本の問題は私が委員長になると自動的についてくるゴタゴタと嫌われ者のレッテルなのよ。それをエミリちゃんにまで負わせるのはやっぱりよろしくない。


「それにね、こがねちゃんが生活指導委員長のお仕事で忙しくなっちゃって、一緒にいられる時間が減っちゃうのも寂しいでしょ?」


 私を心配そうに見つめながら、はにかんでそう付け足すエミリちゃんが天使に見える!


「ありがとエミリちゃん。でもやっぱり避けられるものなら避けたい。だからしばらくこの件は放ったらかし決定。放っといたらそのうち忘れてくれるかも知れないし」

「そうね。避けられればそれが一番よね」


 ことなかれ主義と呼びたければ呼べばいい。


 正直、生活指導委員をどうしてもやらなきゃならなくなったらそれはそれでいいのよ。なんとかするし、エミリちゃんもいるし。

 お昼に生活指導室行くのも転移して犯人見つけるには仕方ないと諦めればいいだけのこと。もちろん転移はしたい。したいんだけど……


 ふと胸元に視線が落ちる。

 制服の下に隠された小さな赤い跡の辺りが勝手に熱を持ってくる。

 私の不安定な気持ちを知りもしないで、あんなまねする先輩と二人きりの時間なんて、絶対避けたい。


 せめてこの跡が完全に消えるまで。

 私の中の気づきたくない感情が消え去るまで。


 私は先輩から逃げ回ることにした。

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