6 私を覚えていてくれましたか?

「本当に貴方、マルテスなの?」


 なんとかマルテスの腕から逃れた私は、身の安全を確保するためにもマルテスを向かいの椅子に押しやってから尋問を始めた。


「なんだ信じないのか?」


 少し不満そうに先輩のマルテスが(ややこしいな)こちらを睨む。

 『マルテス』も転生してそれが『館山先輩』。

 私も転生してるんだから無理なことじゃないとは思う。思うけど。

 そんなの信じたくない……って言うのが本心なのよ。


 だってマルテスは本当に素敵だったんだもの。


 元々長く続く神殿騎士の家系とはいえ、飛びぬけた技量を持って十三歳の若さで神殿騎士への入隊を許されたマルテスは、その時点ですでに各所で噂に上ってはいたのだけれど。


 成長とともに逞しさを増す体つきと精悍せいかんなマスク、どんな時も冷静でちりも動じないストイックで凛々りりしい騎士姿に見惚れる娘は数多く、神殿の隠れアイドルとして町中の娘たちに知れ渡っていた。

 神殿内で神事を手伝うその優美ゆうびな仕草には神官たちでさえため息をつき、外では剣を帯び、颯爽さっそうと道をゆく姿に誰もが振り返る。

 もちろん当時の私だって幼いながらも真剣に憧れてたのよ。


 それが次期隊長に指名されていたにもかかわらず、神殿の御神託ごしんたくに従って当時たった十歳の私付きの騎士様になって下さった時には、もう覚めない夢に突入したんだって本気で疑ったくらい。


 八歳も年上にも関わらず巫女の私を敬い、いつもすぐ隣で守り続けてくれた私の、私だけの騎士様。

 マルテスは私の自慢の『完璧な純正騎士様』だったの。


 そのマルテスと『皆の嫌われ者』、ただの堅物の館山先輩じゃどうしてもイメージが一致しない。しないけど……


 ここはとにかく一旦受け入れないと先に進めない。

 渦巻く不満は胸に収めて、気を取りなおして質問を続けた。


「じゃあ先輩は初めて会った時から私に気づいてたんですか?」

「それは答える必要があるのか?」


 なにが気に触ったのか、ムスッとした顔で先輩がぶっきらぼうに聞き返してきた。

 先輩の態度はあまりよろしいものではない。ならば仕方ない。


「マルテス。正直にお言いなさい」


 フレイヤの口調を思い出し、昔のように命令すると、先輩マルテス(あ、これが一番ぴったりくる!)がビクンと肩を揺らし、直ぐに私の前に歩み出て、低頭ていとうしながら床に跪いた。


「……はい。最初から存じておりました」


 うああああ、混乱する!


 その場でうやうやしく跪く先輩マルテスの仕草は、正に私がいつもうっとり見惚れて純正騎士様そのものなのに!

 だけど中身はあの能面顔、堅物の館山先輩。

 だけどやっぱり見れば見るほどカッコいい。

 だけど中身は階段エスカレーターの館山先輩。


 ダメだ、無視!

 今は一旦無視!

 まずは状況をしっかり掴まないと。


「そ、それじゃなぜあの時言ってくれなかったの?」


 少し非難するような響きを含んだ私の問いに、先輩マルテスがゆっくりと頭をあげる。

 でも私と視線が合う前に、俯き加減のまま頭を止めると、結わかれた黒髪がするりと数本肩から零れ落ちた。


「……君は。君は覚えてないんだと思ったよ」


 そう答えた先輩マルテスの瞳が暗く光って私を射抜いぬく。うつむき加減のまま、上目遣いで先輩マルテスが私を見つめてる。

 はぁ……どうしましょう。その上目使い、メチャクチャそそられるっ、け、ど。


「覚えているもいないも。分かるわけないでしょ!」


 これは館山先輩。

 必死にそう自分に言い聞かせながら返事してるのに、今度は跪いたままの先輩マルテスがスッと手をこちらに差し伸ばし、


「僕はすぐに気づいた」


 そう言って私の右手を取り、その甲に優しいキスを落としてくる。


 やだー!

 もうダメ、

 その顔(マルテス)で、その言葉(館山先輩)で、そのキスをするなー!!!


「先輩! お、お願いですからマルテスか先輩かどっちかにして!」


 とうとう音をあげて私が叫べば先輩がキョトンとして私を見る。


「なにを言っている? 僕は僕だろ」

「ち、違うから。キャラが全然違うから!」

「あ? ああ、フレイヤ様の前ではあまりこういう喋り方をしてなかったからか」

「え……?」


 私が驚いた声をあげるとマルテスが跪いたままスッと背筋を伸ばし、困ったように私を見ながら悪戯っぽく笑う。


「僕の女神さまは幼過ぎて、からかうには申し訳なくて」

「え、じゃあ私、フレイヤの知ってるマルテスは……?」

「あれはまあ、仕事用?」


 トボケた笑顔の先輩マルテスに、こっちの方が目が点だ。


 うああああーーーん、み、皆様、分かってください。

 今、私の初恋が死にました。

 あの、私のお慕いしていた純朴じゅんぼくな騎士様が!

 私が恋い焦がれていた神殿の輝く火星マルテス、清廉潔白、礼儀正しいあのマルテスがぁぁ。

 私の前だけの『仕事用』だったなんて!

 こんな事実、死んでも知りたくなかった~~~!


 あまりのショックにそのまま長椅子に突っ伏した私は、先輩マルテスそっちのけで目玉が飛び出すほど泣きました……泣き続けました。


 流石に悪いと思ったのか、先輩マルテスも大人しくし私を放置してくれてけど。

 いつまでたっても泣き止まない私に飽きたのか、しまいには「いい加減にしろ」と容赦なく引っぱり起こされた。


 待って、まだ鼻水が……、と思ったらすぐにテーブルに乗っていたナプキンで目と鼻を拭かれてしまった。

 先輩マルテス気が利きすぎ。


 半泣きの私が文句言えないのをいいことに、マルテスったらちゃっかり私の横に座ってるし。


「そろそろ僕も君に聞きたいことがあるんだがいいか?」


 少しイライラした様子の先輩マルテスがこっちを睨んでるけどね。


「乙女が失恋に涙してるのにそんな言い方ありません!」

「失恋って。僕は君を振るつもりはないのだが?」


 先輩マルテスの思わぬ返答に、一瞬で思考が停止した。


「え? は、え!?」

フレイヤみたいな美しい女性を欲しいと思わぬ男がいると思うか?」


 こ、こんなこと、マルテスは絶対言わなかった!

 違う、これはマルテスじゃない。これは館山先輩なんだ。きっと転生のせいで昔の記憶があいまいなんだ。そうだ、そうに違いない。


 私が独り、自分の中に新しい答えを作り上げている間に、マルテスの腕がスルリと伸びて躊躇なく私の腰を抱きよせる。


 ちょ、なんでこの人、こんな躊躇いもなく私の腰を掴んでくるの!?


 今までマルテスにされたこともない、情熱のこもった抱擁ほうように、勝手に私の心臓がバックンバックンいいはじめる。

 驚愕と困惑と不安と戸惑い。

 散り散りになる沢山の感情でいっぱいいっぱいまで追い詰められた私は、自分でも理解しきれないそれらを顔に出すまいと、キュッと眉を寄せて先輩マルテスを睨みつけた。

 なのに、そんな私を見返すマルテスの瞳が妖しく光る。


「美しい君を前に、一切手出ししなかったことをあの後どれほど悔やんだことか」


 そう言いながらマルテスの手がゆっくりと私の身体を自分の身体に引き寄せ、もう一方の手が私の背中を支えた。


「見つめるだけでなにも出来ない苦しみを、君は知ってるかい?」


 マルテスがなんか言ってるけど、切迫する自分の状況に気を取られて全然頭に入って来ない。背中にあてらえたマルテスの大きな手は暖かく、薄いキトン越しにその情熱を伝えてきた。

 あ、あれ、なんだ、私の身体が徐々に傾いてる──


 気のせいじゃない、間違いなく押し倒されかけてる!

 これ、まさか本気じゃないわよね?


 そう思いたいのに、先輩マルテスの表情はすごく真剣で。その真剣さが怖すぎて、私は勝手に高鳴ってくる心臓を無視するので精一杯でなにを言い返しているのかも分からない。


「そ、そんなの知ってるわよ。知ってるけど……知ってるから……」


 えっとなにを知ってるんだっけ?


 最後の方はどんどん尻すくみになってしまう。

 だって文句言ってるのに、マルテスはお構いなしに私をそのまま長椅子に押し倒し、私の顔の両横に手をついて囲い込む。


 ちょっと待って、この人どさくさに紛れてどこまで迫って来る気!?


「ま、待って、待って、待って、ちょっと待って。マルテスあなた、私になにするつもりよ!」

「それはほら、どうせもうすぐこの身体も死んでしまうだろう。だったらいっそ──」

「そんなの、ダメに決まってるでしょ! もうすぐ大切な祭事さいじがあるんだからこんなことしちゃだめ!」


 私の叫びにマルテスがぴたりと動きを止めた。


「山之内君。君、やっぱりフレイヤの記憶がちゃんとあるんだね」


 ある、というかなんというか。


「と、とりあえず戻ってください、これじゃお話出来ません」


 腕を突っ張って先輩を押し返した私は、宥めすかして座りなおしてもらった。


「先輩、この腕はなんとかなりませんか?」


 一応は私の話を聞く気はあるらしく、起こしあげてはくれたけど。

 そのままナチュラルに私は先輩マルテスの腕の中、しかも膝の上にお座りさせられてる。

 ゆりかごじゃないんだから下ろして欲しい。


「全く、君は文句が多い。横になったままのほうがよかったか?」

「いえ結構です。このままでも構いません」


 またも先輩マルテスの瞳が妖しく輝いて、私の身体が斜めに傾き始めた時点で諦めた。

 ダメだ、これマルテスみたいだけどマルテスじゃない。

 ついでに言うと館山先輩がこんな危ない人だなんて思わなかった。

 誰だ硬すぎるくらい硬いとか言ってたのは。


「それで結局、君には本当にフレイヤ様の記憶があるのか?」

「……多分?」

「なんでそこで疑問形なんだ」


 私は素直に答えたのだが、先輩は気に入らなかったらしい。煮え切らない私の返答に、先輩の声が少し厳しくなった。

 その圧に押されて私も言い訳を試みる。


「なんでって……。以前は全部あると信じてたんですけど。あとから追加情報が来たので自信がなくなったんです」

「……詳しく話してみろ」

「いいですが長いですよ」

「構わん」

「……最初に記憶が戻ったのは、私が五歳の時でした」


 先輩に聞こえぬよう、小さなため息を一つついた私は、思い出せる限り黄金わたしのこれまでの人生を説明し始めた。

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