5 事前説明は大切だと思います
「……のうち、山之内君、起きたまえ」
暗転した意識の彼方から、誰かが私を呼ぶ声がする。
揺すぶられ、名前を何度も呼ばれ、覚醒する意識とともに私はゆっくりと目を開いた。と!
「……え? ぇぇえええ!」
「こら! 叫ぶな! 人が来たらどうする!」
逞しい腕が私の上半身を押さえ込み、大きくがっしりとした手が私の口を塞いだ。
それでも私の悲鳴混じりの叫びは止まらない。
だって、だって、だって!
突然この状況で目覚めてどうやって驚くなと!
今、目前二十センチの近距離で私を覗き込んでるのは、毎週あきるほど見続けきたあの美顔、マルテスその人だった。
ただし、その端正な顔にはあの夢で見るような無残な傷も血糊もなく、健康的な小麦色の肌は窓から射す日差しを照り返して薄く輝いていた。
彫りの深い顔をる縁取るように波打つ豊かな黒髪は、そのままく後ろに流され緩く一本に結ばれている。けぶるような長い睫毛のその奥からは、紫水晶のような澄んだ紫の双眸が私を真っすぐに見下ろしていた。
あまりの懐かしさに、そのまま彼の手の中で叫ぶ。
「マル……!」
だけど私の叫びは声にならず、私を見下ろすその瞳には夢で見たような優しさや情愛が全く見られない。
それどころかムッとした様子で眉を寄せ、不機嫌にこちらを睨む。
「山之内君、やっと目を覚ましたか」
少し厳しい声でそう言ったマルテスが「いいか、もう声をあげてくれるなよ」と早口に釘を刺す。
私がコクコクと頷くのを確認して口をふさいでいた手を外し、代わりに手を貸して起こしあげてくれた。
どうやら私はこの部屋の長椅子に倒れ込んでいたらしい。
混乱する頭を振りながら、改めてもう一度目の前のマルテスを見る。
……今この人、私を『山之内』って呼んだわよね?
それにこの仏頂面……もしかして顔の作りが違ったら能面顔?
ま、まさか。
「館山、先輩?」
「他に誰がここで君を『山之内』と呼ぶと思ってるんだ?」
ほ、ほんとに館山先輩だった!
そ、そんな馬鹿な。
だってここは多分、私の前世の世界だ。
この部屋だって見覚えがある。ここはお父様の邸宅の一間、私が午後のお休みに使う部屋。
私が混乱の極みで周囲を見回していると、ヌッと目の前に青みがかったグラスが差し出された。
「ほら、これを飲んで少し落ち着きたまえ」
厚手で少し重いグラスを手渡してくれるその仕草がやけに手馴れてる。
なんというか、その
そう、館山先輩の入ったマルテスったら、見惚れずにはいられないほど艶やかで、思わずため息がれちゃう。
マルテスが
熟練の乙女の手のみで織り上げられる純白のキトンは、この世界でも神殿に関わる者や高貴な生まれの者にだけに許される極上品だ。
均一に織り上げられ、シミひとつないその純白のキトンを緩く身体に巻き付け、肩のところで鳥を
あまりに完璧すぎるその美しさに、不躾なほど釘付けになってしまう自分の視線に焦りつつ、それでもつい、いらない感想が勝手に口からこぼれてしまう。
「館山先輩ったら、またご立派な身体に生まれ変わられて」
私の独り言を聞きとめた館山先輩が、一瞬おやっという顔をして、すぐにニヤリと顔を歪めた。
「なにを言っている。君こそ素晴らしく美しい姿に生まれ変わってるぞ」
へ? 私の姿? ってまさか!
慌てて見下ろして絶句する。
そこには同じく足首まで隠す美しいキトンと、その上に幾層ものウェーブを作る上掛けのヒマティオンを身に
その上、白くほっそりとした上腕には金の腕輪がはまり、胸元には大粒の貴石を幾つもはめ込まんだ神々しい金細工の首飾りが揺れていた。
両肩から胸にかけて垂れるのは、日の光に輝く艷やかな金の髪の
ちっとも違和感がなかったけど、これ、フレイヤだった時の私の身体じゃないの!
「えぇぇぇえ!?」
「だから静かにしろって」
またも先輩に、いやマルテスに、いや先輩にきつく抱きしめられながら手で口を塞がれて、キトン越しに感じるその筋肉質な身体つきやら、うっすら伝わってくる体温やらで、一気に頭に血が上り、今度こそ心臓が飛び出しそう。
「おや、山之内君は意外に初心なようだね」
多分私の顔がよっぽど赤くなってるのだろう、先輩がからかうように私の顔を間近に覗く。
違う、違くはないけど、でもそうじゃなくて!
その顔はダメ!
ダメなのよ。
だって。
なにを隠そう、生前の私はマルテスに恋していた。
心に秘めた強い想い。決して報われることのない幼い恋。私の最も尊い前世の思い出……なーのーにー!
そのマルテスに館山先輩が入ってるなんて酷すぎる!
「先輩、お願いですからその身体から出ていってください」
「酷い言われようだな」
「だって……」
だって、マルテスはそんな下品な喋り方しないもの!
私の必死さに流石に申し訳ないとでも思ってくれたのか、先輩がフィっと私から視線を外して口を開く。
「まあ目的を果たしたら出ていくから安心しろ」
「え、目的?」
待った!
今までマルテスの顔とか、身体とか、筋肉とかに気を取られてたけど、私が本来一番最初に聞きくべきなのはそこだったんじゃないの!?
「そもそも先輩は一体なにをしてくれちゃったんですか? なんで私ここに戻ってるの?」
私の質問に、先輩がマルテスの顔でキラリと目を輝かせた。
「……戻りたかったんじゃないのか?」
「え?」
「あちらで『祝福』をこぼす程だ。よっぽど戻りたいと感じてたんじゃないのか?」
「どうして……どうして先輩が『祝福』のことを知ってるの?」
問いかけを聞いた先輩の眼が嬉しそうに輝きを増す。
「どうしてだと思う?」
それは──
考えなかった、いや、考えたくなかった理由が一つだけある。
絶対違うと思う。思いたい。思いたい、けど。
「……先輩が、マルテス?」
自信なげに私がそう呟いた途端。
目の前で跪いた先輩が、いや、マルテスが、まるで大輪のバラが咲くかのように極上の笑みを
「正解」
伸ばした腕を恭しく私の背と頭に回し、幼い私にしたように、私を優しく抱き寄せた。
そ、そんなぁ……
私を抱きしめ、笑顔で見上げる意中の騎士を、私はひじょーに微妙で複雑な思いで見下ろした。
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