Chapter 2 私を覚えていてくれましたか?

4 すっかり忘れた頃に戻ってきました

 穏やかに、だけど忙しく時間は流れさり、三学期もなかを過ぎて、そろそろ館山先輩の存在もすっかり記憶から薄れかけてた頃。


「山之内さん、申し訳ないけどこれを生活指導室に持って行って下さる?」


 お昼休みの鐘が鳴り、それぞれ散り散りにお昼に向かう中、そう言って私を呼び止めた担任の出口先生がアンケート調査の集計表を手渡してきた。


 こんなの、自分で持っていけばいいのに。


 そうは思ったはものの、担任の心証がいいにこしたことはないので素直に頷いて受け取った。


 生活指導室は東棟の一番上階の階段教室にある。

 自分から喜んで近寄るような奇特な者がいる訳もなく、人気のないその一角はなにやらさびれた雰囲気がただよっていた。


「失礼します」


 コンコンっとノックをして声をかけて扉を開くと、そこは外から予想してたよりも広々とした空間だった。


 他の教室より心持ち天井が高いきがする。

 ほぼ正方形のその部屋には、中央に大きな机がドーンと一つ置かれていた。

 机の上や、床の上、本棚の前など、場所を選ばずに乱雑に本が積みあげられている。他にも顕微鏡やら大きなコンパス、授業で使う地球儀なんかが、乱雑に点々と散らばっていた。


 こんなに散らかってるのに、なぜか凄く落ち着く気がする……なんでだろう、なにか懐かしいような。


 うらやましいことに、この部屋の一面には街を一望できる大きな窓が開いていた。四角く切り取られた青空と、小さく見える商店街の屋根が一緒に目に飛び込んで来て、まるでこの部屋が空中に浮いてるような錯覚さっかくさえ覚える。


 ぼんやりとその景色に見とれていると、机の向こう側、窓を向いていた背の高い椅子がクルリと回り、その主がこちらを向いた。


「山之内さん、お久しぶり」


 そこに座っていたのはあの館山先輩。


 なんで先輩がこんなところに座ってるの?

 ってそりゃ先輩は生活指導委員長だけど。じゃあ先生はどこにいるんだろう?


「生活指導に先生はいないよ。この学校の生徒は優秀だから生徒自身で充分規律きりつを守ることが出来る、という建前たてまえでね」


 私の考えを見透かしたように先輩がそう言って、フッと小さな微笑みを口元に浮かべた。

 能面顔が通常モードの先輩が微笑むと、そのストイックな容姿が途端どこか妖艶ようえんなものに塗り替えられる。


 これ、エミリちゃんとかが見たら大騒ぎしそうな色気だわ。


 危ない雰囲気に取り込まれないよう、私は慌てて手に持っていた紙をテーブル越しに差し出した。


「先輩、これ……クラスの担任に言われて持ってきました」


 先輩は私の手から紙を受け取ると、興味なさそうに一瞥いちべつだけしてテーブルに置く。


「ああ、僕が先生にお願いしたんだ。君をここに来させる理由にね」

「え?」

「まさか僕があの日のことを忘れたとでも思ったのかい?」


 ドキンと心臓が飛び上がった。


 しまった、まさか今更ここでこの話題を掘り返されるとは思わなかった!


 自分の浅はかさに胸の中で後悔が渦巻く。

 そんな私を追い詰めるように、先輩がその漆黒しっこくの瞳を悪戯いたずらっぽく輝かせて言い放つ。


「君が思っているよりもずっと僕は君を観察してきたよ」


 観察って一体どういうこと?


 脅されるのかと身構えたけれど、先輩の態度にはその様子はない。

 机の向こうの先輩は、机の上で組んだ両手の指の上に自分のあごを乗せ、静かにジッとこちらを見あげてる。

 窓から差し込む冬の日差しは緩く、そのせいでいつもより少し逆光気味ぎゃっこうぎみな先輩の能面顔が怖い。その暗い顔の中、二つの綺麗な瞳だけが、まるで別の生き物のようにギラリと光って見えた。


 それはなにかとても熱いものを内在ないざいしているように見えて……

 その瞳にジッと見つめられてると、なぜか私のほうが居たたまれない気持ちでいっぱいになってくる。


 待って私、怯えててどうするの?

 こんなの適当にシラを切り通せばいいだけのことじゃない。


 そう思いつつも緊張で体が強張り、背中に冷汗が滲み出し始めたその時、先輩が思いもしない質問を口にした。


「君は夢を見るかい?」


 唐突な質問に、なにを問われたのか一瞬戸惑った。


「夢って、あの寝て見る夢のことですか?」

「ああ、その夢だ」


 言葉を切った先輩の目が、なぜか今まで以上に妖しく光った気がする。

 獲物を見据えるような先輩の瞳に吸い付かれ、どうやっても目が離せない。


 ダメだ、あの目は見ちゃいけない。


 本能的な危険を感じた私は、逸らせずにいた自分の眼を無理やり引き剥がし、床に落とした。


「僕は見るんだよ、忘れられない夢を」


 そう強調する先輩に、またもドキンと心臓が勝手に跳ねる。


 私も見る。

 絶対に忘れられない夢。

 先輩の口ぶりに、一瞬まるで自分の夢のことを見透かされた気がして緊張が走る。


「一度は諦めたんだけど、僕はどうしてもその夢を手に入れたくてね」


 ちょっと待って、さっきっからこれは一体なんの為の質問なの?

 なにかおかしい。

 でもなにが?


 考えがまとまるよりも早く先輩がスッと椅子から立ち上がり、素早い身のこなしで机を周ってこちらに歩み寄る。


 なにかされる!


 そう思って身をかわそうとした私は愚かだった。

 先輩はそのまま私の横を素通りして、すぐ後ろの扉の前で立ち止まる。


「この半年、色々ここで試してみたけど全部失敗だった」


 扉の前で振り返った先輩の顔には穏やかな微笑みが浮かんでる。

 でもその瞳に閉じ込められた熱だけが温度を増し、今まで以上に居心地が悪くなった。


「お誂え向けにここには誰も近寄らないし、たとえなにか起きたとしても、頭の硬い僕を疑うような奴はこの学校にはいない」


 そこでカチリっと小さな音がした。


「先輩?」


 ちょっと待って。

 今鍵かけなかったかこの人?


 やられた、退路を塞がれた!

 この人もしかして凄くヤバい人だったの!?


 焦る私をじっと見つめて、軽く首をかしげながら先輩がこちらに一歩踏み出した。


「見つけられる限りの文献や手引書なんかも集めて試したけどどうにも上手くいかない」


 慌てて一歩後ろにさがったけど、すぐに背中が重くて大きなテーブルに突きあたる。


 こ、これ以上後ろに下がれない!


 逃げ場を失った私に向かって先輩が一歩一歩こちらに歩み寄りつつ、とんでもないことを口にする。


「手っ取り早く一人二人生贄にしてみようかとも考えたが失敗する可能性もある」

「な、な、な、」


 なんの話をしてるんだこの人は!


 だんだんホラーじみてきて、震え上がった私がなりふり構わず逃げ出そうとした時にはもう手後れだった。

 目前まで迫った先輩が、スッとその大きな身体をこちらに傾け、両手を私の左右に伸ばしてすぐ後ろの机についた。

 先輩の美麗びれいな顔が急接近して、不覚にも顔に血がのぼる。

 間近に迫った先輩の瞳が、微かに揺れながら私を真っ直ぐに射抜いた。


 目を逸らしたら襲われる!


 こちらはこちらで、湧き出す恐怖心から先輩の顔をジッと睨み返したまま目を逸らせない。


「だからやはり君で試してみることにした」

「え? 試すって──」


 ──なにを?


 って聞きたいけど、すでに距離が近すぎて、見あげる私は声が出せなかった。

 だけど先輩はどうやら私の顔から私の問いを読み取ったらしい。

 私を腕に囲い込むように立ち、私を見つめていたその視線が、スッと下を向く。


「下を見ろ」

「うわ、なにこれ!?」


 先輩の視線を追って床を見た私はその場で飛び上がった。


 だって床が光ってる!

 これ、一体何事!?


 焦って全身を堅くする私に先輩が更ににじり寄り、机についていた腕を回して私の腰を抱く。


「やっぱり必要だったのは君か……」


 先輩の口元が満足そうにほころぶ。

 先ほどよりもより強烈に甘いその笑みが、先輩の人間離れした妖しさを一層際立たせた。

 慣れない美形のドアップと垂れ流しの秋波をモロに受けた私は、一瞬クラリとしながらも必死で頭を現状に引き戻す。


 視線をもう一度下に向ければ、床に広がっていた光が靴の周りから伸び上がり、自分の足がゆっくりと光に溶けていくのが見えた。


「な、なにこれ──!」


 盛大な悲鳴をあげたのと時を同じくして、光量を増す床の光が私たちを包み込み、そして私の意識はその場から消え去った。

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